Cultural Lifeの最近のブログ記事

(by paco)夏休みモードということで、pacoの夏休みの一幕。

楽器店主催のバンドコンテストに出る。

これを書いている時点では、前日の深夜。外は雨降りの六兼屋。明日の午後、甲府の島村楽器が主催するバンドコンテストに出るのだった。出場は7組の予定、一組2曲のコピーバンドばかり。

家族バンド。メンバーは、妻bibi=ドラム、娘upolu=ベース、僕paco=エレキギターのスリーピース。ボーカルは1曲は妻が、もう1曲は娘がとる。楽器からいえば、ベースもドラムも同時にボーカルという例は少ないし、ギターの僕が歌ほうが自然なのだが、僕はエレキがまだ経験不足で、同時に歌うのはちょっとつらいし、歌の練習も足りないので、ギターのみの主演。

曲は、チャットモンチー「シャングリラ」、相対性理論「ミスパラレルワールド」。

(by paco)明日から8月、夏休みシーズンですが、いかがお過ごしでしょうか。軽めの話もしていきたい、ということで、2週前に続き、音楽の話です。

■若い時期に音楽を「する」経験を積む

中学生のころ、フォークソングが勢いがあり、アコースティックギターの弾き語りに憧れて、練習をしていました。近くの質屋のウィンドウにフォークギターが1本あり、「新品」とあるし、安いし、と言うことで、お年玉を集めて購入し、弾いてみてびっくり、弦が硬くて指が痛い。ナイロン弦のガットギターを少し弾いたことがあったものの、スチール弦のアコギは始めて。

(アコースティックギターには、ネックが太くてナイロン弦のガットギター=クラシックギターと、ネックが細くてスチール弦のフォークギターがある。今はアコギというとフォークギターをさす方が多い。)

手が小さいので、ネックの太いガットギター(クラシックギター)はとても押さえきれないし、カッコもいいし、と言うことで手に入れたフォークギターですが、指に食い込む弦を、しっかり押さえないと、音が濁って鳴らない楽器で、それでも必死に練習して、コード(和音)弾きならそこそこ弾けるところまで行きました。

(by paco)友人が伝記を書いて出版した。読んでみて、じつに示唆的な本だった。

■伝記が読まれなくなった

伝記、あるいは伝記小説というカテゴリがある。

日本では、すっかり廃れてしまった感があるが、世界では、伝記は子供や若い世代が読むべき本として、定着していると聞く。

日本でも、かつては伝記がよく読まれた。教科書にも載っていた記憶がある。野口英世だとか、キュリー夫人、ヘレン・ケラーなどは代表例だろう。娘の小学校の教科書にも、玉川上水をつくった庄右衛門・清右衛門兄弟(玉川兄弟)の話が載っていたようだが、以前より少ない印象だ。

伝記の題材になるのは、いわゆる「偉人」だ。エライ人、すばらしい人が、どのように育ち、何を学び、どんな業績を上げたのかを書いたのが伝記。その伝記があまり読まれなくなったのは、というか、読むように推奨されなくなったのは、おそらく「偉い」という価値基準が明確でなくなったからだろう。どんな人にも、さまざまな面があり、どれどれほどの業績を上げても、それが結局お金のためだったとか、実は周囲に対して威圧的だったとか、マイナス面もあるもので、そういった一面も知れ渡ってしまうと、「偉人」というイメージから離れてしまい、伝記の対象としてふさわしくない、と思われてしまう。

(by paco)改めて最近のコミトンのタイトルを眺めていると、原発関係ばかりなので、今週も原発関係の話を書こうと思ったのだけれど、やめて、もうちょっと気軽な話をします。

◆新しいギターを買った

先週、新しいエレキギターを買いました。

実は、エレキギターを買うのは、え?何本目だろう。

エピフォン レスポール 赤
エピフォン SG ヴィンテージホワイト

スクアイア ストラトキャスター ハローキティ
ギブソン SG '61Reissue
ポールリードスミス ミラ シルバー
※他に楽器紹介

と言うことで、5本目ですね。

(by paco)今週は第5週なので、本来はおやすみですが、短いものを書きます。といいつつ、けっこう書いちゃいそうです。

昨日、のあのわというバンドのライブに行ってきました。メジャーデビューはしているものの、それほど知られたバンドではないし、アルバムを2枚出しているものの、活躍という点では取り立ててみるべきものはありません。

しかし!!

実力は本当にすばらしいバンドで、まさに奇跡的な音楽をつくります。

女子ボーカル、ドラム、ベース、ギター、キーボードの楽器隊が男子、という5ピースで、普通の構成といえるのですが、実は見た目はっきり違うのが、ボーカルのYukkoがチェロを弾く、という点。ボーカルマイクの前に立ち、歌いながら、あるいは感想としてチェロを弾くのですが、これは他のバンドにはないオリジナリティです。チェロを弾くことについて、Yukkoは「大きな楽器を弾きたかった」と言っているのですが、彼女はピアノもちゃんと弾けるし、以前の別のバンドではボーカル&ギターだったので、そういった経験の中から、外見から普通のバンドにはない個性をめざしていたことがわかります。

(by paco)ゴールデンウィークということで、pacoは休養モードです。コミトンもいつもより短め&軽い話題を書かせていただきます。

「最近、あなたのあたまの中の専有比率は、どんなもので占められていますか?」と円グラフを書けと言われたら、いちばん大きな比率になっているのが、エレキギターです。

ちょっと前まで、フィルムカメラだったのですが(^^;)、あらたにエレキギターが加わり、いろいろやりたいこと、たくさんで、今はエレキが楽しい毎日です。

エレキを買って練習を始めたのは、実はかなり前で、たぶん3?4年前になります。詳しくは忘れちゃいましたが。

と思って、ちょいと水族館文庫のサイトを検索してみたら、ちゃんと記録がありました、こちら。2008年4月1日ですね。

Epiphoneの赤いレスポールを買いまして、それ以来独学で練習してきました。その後、実はもう1台、ベージュのSGを買い足してまして、これは東京と八ヶ岳をギターを持ち運ぶのがだんだんめんどうになったからです。

(by paco)年が改まって、2010年、最初のコミトンです。まだ冬休みモードということで、縮小版で行きたいと思います。

このところ、僕の趣味、というか、お楽しみとしては、写真です。8月に古いフィルム一眼レフを買った話を書いたのですが(421古いカメラでモノクロ写真を楽しむ)、その後、この「お楽しみ」は発展していまして、去年後半はずいぶん楽しむことができました。

◆フィルム写真は、抽象画

8月の記事で「画質は問うものじゃない」と書いたとおり、画質自体は最近のデジタル一眼、というより、携帯上位クラスのデジカメであっても、普通に売られているフィルムで撮る限り、もう完全に負けています。ここでいう画質とは、どれだけ精細に、細かく映るか、という話で、いわゆる解像感です。

デジタル一眼を使い始めてから、撮ったときにカメラのモニタで拡大してみるのが習慣になりました。拡大することでピントが合っているか、細部まできちんと動いているかを確認して、安心するのです。

(by paco)村上春樹の最新作「1Q84」。読み終わってだいぶたつのですが、そろそろ「ネタバレ」も含めた記事を書いても許されるころと思い、ざっくり書いてみようと思います。

ということなので、以下、「1Q84」の中身に踏み込んだコメントになるので、これから本を読んでみようと思っている方は、そのつもりで読むか、「読んで」から読んでください。

■村上春樹のストーリーテリング手法の集大成

1Q84の構成は、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」で確立された手法をそのまま使っていて、「青豆」と「天悟」という二人のそれぞれを主人公とするふたつの物語が並行して進み、やがてひとつの物語になっていくものです。

「世界の終わり……」は、僕が最も好きな小説のひとつであり、「世界の終わり」という名前の塀に囲まれた静かな街での物語と、「ハードボイルドワンダーランド」という、現実の東京を舞台にした不可思議な冒険物語が並行して語られ、やがてふたつの世界が連続していたことが明かされるという、構成になっています。

「1Q84」もふたつの物語がまったく別個に、奇数章と偶数章で語られ、次第に相互の関係が明かされていきます。「明かされる」という言い回しの通り、ふたつの物語は謎を含んで展開していき、次第にその謎が明らかになるという、推理小説にも似た展開になっていて、これも初期の「羊をめぐる冒険」に始まり「ねじまき鳥クロニクル」で確立された村上春樹独特の語り口です。

(by paco)先週に引き続き、趣味の話をします。写真です。今年の夏のトピックは、先週書いた「デッキの補修/ペンキ塗り」と「古いフィルムカメラ」でした。

以下、参考写真を見ながら読んでもらうとよろしいかと。
http://picasaweb.google.co.jp/paco156ti/200909DigitalVsFilm#

僕が写真を始めたのは中学生のころ、1973年です。そのころに生まれている読者も多いと思うのですが、あまり年の差をカウントしないようにf(^^;)。写真を始めたのはほんの偶然で、中学に入ってしばらく入っていたバスケ部があんまりおもしろくなく、やめて(当時も部活をやめるのは結構面倒というか、嫌な思いをしたのですが)、何かやることはないかな?と思っているタイミングで、たまたま行ってみたのが写真部でした。運動部の体質にうんざりしていたので、文化部だったら大丈夫かもと思っていっただけ、という感じでした。

少しだけ「下心」があるとすれば、父親が持っていた一眼レフカメラで写真を撮ってみたくて、部活に入れば、貸してもらえるかな、と言う思いもありました。当時、カメラは今よりはるかに高価な貴重品で、子供にはなかなか触らせてもらえなかったのです。

そんなわけで、写真部に入り、計画通り父親からカメラを使う許可をもらって、最初に選んだ被写体は、鉄道。そう、今でいう「鉄ちゃん」です。ブルトレ(寝台特急)とか、ちょっと遠出してSLも撮りました。小海線に、休日だけ走っていたC56を撮ったのが始まりで、これが清里(八ヶ岳)との最初の出会いです。そんな中学生が、大人になった今、八ヶ岳の麓に暮らし、写真を撮り続けているのだから、人ってあまり変らないのですね。

(by paco)豊かさについて、もう少し続けます。前回までに

●選択肢が広く、選択する力がある
●社会の中での孤立感なく、存在できる
●良きエリートが社会をリードするしくみがある

という話をしました。今回は、

●世界との協調し孤立感を排除、独自性の存在感を出す

というテーマです。

この話は、実は2つ目の「社会の中での孤立感なく、存在できる」で話した意味合いを、個人ではなく、国という集団に当てはめたものです。

社会の中で個人として孤立していない、尊厳を持って存在できるということは、個人の豊かさにつながります。しかし、そうやって存在している社会自体が、それを含むもう少し大きな社会の中で孤立したり、尊厳(存在感)がなければ、個人の存在感もまた、希薄なものになる可能性があります。

もし、日本という区に(社会)に存在感がなく、他の国の人々から敬意を払われない国なら、どうなるでしょうか。