(by paco)先週に引き続き、趣味の話をします。写真です。今年の夏のトピックは、先週書いた「デッキの補修/ペンキ塗り」と「古いフィルムカメラ」でした。
以下、参考写真を見ながら読んでもらうとよろしいかと。
http://picasaweb.google.co.jp/paco156ti/200909DigitalVsFilm#
僕が写真を始めたのは中学生のころ、1973年です。そのころに生まれている読者も多いと思うのですが、あまり年の差をカウントしないようにf(^^;)。写真を始めたのはほんの偶然で、中学に入ってしばらく入っていたバスケ部があんまりおもしろくなく、やめて(当時も部活をやめるのは結構面倒というか、嫌な思いをしたのですが)、何かやることはないかな?と思っているタイミングで、たまたま行ってみたのが写真部でした。運動部の体質にうんざりしていたので、文化部だったら大丈夫かもと思っていっただけ、という感じでした。
少しだけ「下心」があるとすれば、父親が持っていた一眼レフカメラで写真を撮ってみたくて、部活に入れば、貸してもらえるかな、と言う思いもありました。当時、カメラは今よりはるかに高価な貴重品で、子供にはなかなか触らせてもらえなかったのです。
そんなわけで、写真部に入り、計画通り父親からカメラを使う許可をもらって、最初に選んだ被写体は、鉄道。そう、今でいう「鉄ちゃん」です。ブルトレ(寝台特急)とか、ちょっと遠出してSLも撮りました。小海線に、休日だけ走っていたC56を撮ったのが始まりで、これが清里(八ヶ岳)との最初の出会いです。そんな中学生が、大人になった今、八ヶ岳の麓に暮らし、写真を撮り続けているのだから、人ってあまり変らないのですね。
そのころ、趣味で写真を撮る人は、モノクロを撮っていました。もちろんカラーフィルムは普通にあったのですが、いわゆるアマチュアカメラマンは、モノクロがデフォルトです。理由は、モノクロの方がコントロールが効き、趣味性が高かったからです。カラーは、撮影以降はラボ(現像所)に処理を任せなければならず、仕上がった色や調子が自分のねらいと違っていると、修正させるのもたいへんでした。値段も高い。L版で見ているぶんにはそれほど高くなかったけれど、写真展用のサイズに大伸ばしすると非常に高価で、金がかかるわりに、思った仕上がりにならない。モノクロなら、フィルム現像、プリントを、自分で暗室作業ででき、大伸ばししても比較的安価だったので、アマチュアカメラマンはみな、自分で暗室作業をして、ねらいにあったモノクロ写真に仕上げていたのです。
というような昔話のあとは、ばっさりとばして、子供が生まれたころから趣味の写真は封印し、ちっさいデジカメで記念写真を撮るだけだったのが、3年前にデジタル一眼を買ってから趣味が再燃。カラーのデジタル写真を撮り、大きなモニターで楽しみに、A4ぐらいまでなら自宅のプリンターでプリントできる手軽さを楽しんできました。暗室作業から解放され、PC上で作業できるので、狙った色に調整することも楽だし、撮った写真の保管も楽ちんなので、フィルムでガンガン撮っていた高校、大学のころを超えるショット数を撮り、写真は再び生活の一部になりました。
同世代の友人がときどき、やっぱりフィルムカメラはいいよね、味がある。デジタルは味気ない、などといっているのを聞かされ、あえて否定はしなかったのですが、鼻先では、フン、ノスタルジーに浸るやつ目と笑っていました。
デジタル一眼の性能は飛躍的に向上していたし、あらゆる意味で、銀塩写真を超えていることははっきりしています。銀塩写真というのは、フィルムカメラで撮って仕上げる一連のしくみの総称です。フィルムは塩化銀を主成分が感光して造影するので、こう呼ばれています。デジタル写真は、5年ぐらい前までは、表現力ではまだまだフィルムにかなわない、という見方が主流で、趣味性の強い写真や表現力を求められるプロの写真は銀鉛写真でないと、と見られていたのが、デジタルが一気に抜き去り、今や比較する意味がないほど、デジタルの優位は揺るぎません。
デジタル一眼を買ってから、かつてフィルムで撮った写真を改めてみたり、スキャンしてモニターに映したりして、徹底的に比較してきたのですが、デジタル一眼が1000万画素を超えたところで、完全に差が決定的になりました。というより、かつてきれいだと思っていたコダクローム(コダック社のカラースライドフィルム)の写真が、デジタル一眼で撮ったものと比べれば、もう目も当てられないような雑な写真になっていたことに愕然としたのです。
そんな感じのここ3年間だったので、友人たちがのたまう銀塩写真信仰には完全に距離を置いていたのですが、急に銀塩写真を撮ってみたくなったのが8月はじめ。何が起こったのか????
ってほどではないのですが、そもそもフィルムカメラをすべて売却して久しいので、撮りようがなかったのです。そんなとき、あ?そうだ、ヤフオク(ヤフーオークション)でも見てみよう、ペンタックスの古いカメラなら安く落とせるかも。と思いがアタマをもたげてきました。3年前からでペンタックスのデジタル一眼を使ってきて、レンズもそこそこ持っています。デジタル専用のものも多いのですが、一部、フィルムカメラと共用できるものも持っています。ペンタックスは古いカメラとレンズに互換性があるので、フィルム一眼のボディだけ買えば、手持ちのレンズで写真が撮れるので、安く済むのです。
さっそくヤフオクを覗いてみます。こうして思い立ったときに、具体的な出物を物色できるというのは、ネット時代のすごいところで、これも以前なら、銀座や新宿の中古カメラやに行ってみないと、そもそもどんなカメラが、いくらぐらいで売られているのか、使いものになるのか、見当も付かなかったのです。今はネットを開いて、ぽちぽちやるだけで、相場はわかるし、実際に買うこともかんたん。まずは中古カメラを売っているマップカメラ当たりで、ショップ価格をチェックし、ヤフオクで落とすつもりです。ショップは3か月保証が付いたりして安心ですが、いずれにせよ安いものなので、失敗リスクはしょって、安いオークションを狙います(すでに試し買いモード)。
フィルムカメラは70年代から数年前まで、ずっとつくられてきたので、機種も機能もさまざま。今回は単純に「試しにとって見て、どんなモノか実感する」ことが目的だったので、古い時代のシンプルなカメラがいいと思って、目星を付けたのが「PENTAX MX」「PENTAX ME」という、フィルム一眼としては世界最小クラスのシリーズです。アマチュアとしていちばん撮っていた1970?80年頃のカメラになるので、発売当時の評価もなんとなく記憶にあるし(当時はキヤノンを使っていたので、メーカーをスイッチする気にはならなかったのですが)、この2機種を中心にオークションを物色。ちょっとどきどき入札しながら、結局1万円前後で2台を落としました。ついでに当時のレンズ(28mm/F2.8)も3000円ほどで落として、手持ちの中で使えるレンズと合わせて、第五期銀塩写真がスタートしました(第一期はモノクロで撮って暗室作業をしていた時期、第二期は暗室作業はやめてリバーサル=カラースライドで撮っていた時期、第三期はコンパクトデジカメの時代、第四期はデジタル一眼時代)。
出品者から届いたPENTAX MXはちょうど30年前の1979年製ですが、30年たっているとは思えない保存状態で、使い込まれてはいるものの、各部きれいできちんと機能するカメラでした。ラッキー。
入れるフィルムは、やっぱりモノクロ。カラーであってもどうせ画質も発色も悪いことはわかっているし、色を楽しむなら、デジタルでしょうと割り切り。モノクロフィルムはそこら辺では売っていないので、ヨドバシの通販でまとめ買いしておきました。昔懐かしいネオパン(富士写真フィルムの定番モノクロフィルム)とコダックのTMAX(かつての定番トライXの現代版)。
シャカシャカ撮ると、シャッターの感触がなつかし?。デジイチを買ったときも、なつかし?と思ったのだけれど、さらに趣き深し。この頃も一眼レフはまだ機械シャッターで、指の感触がそのまま機械を動かします。80年代に入ると、じょじょに電磁シャッターになるので、感触は今のデジタル一眼に近くなるのです。
1枚撮ると、カメラの背面を見てしまい、視線がさまよう。デジタル一眼なら背面に撮った画像が出るので、すっかりそれに慣れているのです。フィルムカメラだから、当然撮ったものは現像してみないとわからない。知ってはいても、つい裏蓋(うらぶた)を見てしまう癖が未だに直りません。ずっと直らないだろうな。
撮ったフィルムをさっそく現像に。モノクロフィルムは、中1週間ぐらいかかりますが、東京で家の近くの写真屋に出すよりは、八ヶ岳のきららシティの写真屋に出した方が安くて速いことが判明。
その後、カラー現像機にかけられるいるフォードのフィルムがあることがわかって、これならきららの写真屋なら20分待ちで現像してくれます。現像だけしてもらって持ち帰り、六兼屋の複合機スキャナプリンタのフィルムスキャン機能を使って、2400dpiでスキャンすれば、あとは普通のデジタル写真になるので、プリンターでプリントすればできあがりです。
さて、実際に撮ってみての感想。
●画質は問うもんじゃない
グラデーション表現、細部の精細な写りなど、画質は、当然のことながら、デジタル一眼とは比較にならないレベル。レンズは同じものを使うので、やはりフィルムの性能も限界です。スキャナは4800dpi対応なんだけど、2400dpiでスキャンしても画質は変わらないこともわかったので、この辺が画質的にも限界。ちなみに2400dpiでスキャンすると3300×2100ピクセル=600万画素ぐらいになり、上記の「デジタル一眼が1000万画素を超えたところで完全に決着が付いた」という感触と一致します。
●画質、色をきっぱり捨てられる
逆に、画質が悪いから、「写っているべきものが写っていない」という理由で撮れた写真を捨てることにも意味がないことが実感できました。デジタルで撮ると、この条件ならここまできっちり映るはずだし、色ももっとちゃんと出るはず、という「あるべき精細さ」が頭に入っているので、それが撮れていないと、ダメ写真のように感じます。しかしモノクロフィルムならもともと画質が悪い上に、色が映っていないので、その限界の中で、何が美しいのかを判断するようになります。
高画質のデジタル一眼で撮っておけば、色をなくしてモノクロにも処理できるし、画質を落とすこともできるよね、と思うわけです。その通り、フィルムで撮ったのとほぼ同じ絵に仕上げることもできるでしょう。実際、やってみました。でも、もともときれいな色で細部まで写せている写真から、色を抜き、画質を落としてみると、作業がむなしくて、できないのですね。作業を続けるたびに、作品をダメにしているような気がするし、できあがるものがよりよくなっている気がどうしてもしない。
モノクロで撮ったものなら、はじめからそういう画質と色なしなので、あきらめた状態で見て、その中でよさが見分けようとします。すると、モノクロとしてきれいな写真というが、あたまの中に浮かぶようになるのです。さらに、撮る段階で、色の付いた現物から色がないモノクロを想像してとることができるようになります(これはかつてやっていたからさっと切り替えられるのでしょう)。カラー写真にすっかり慣れたアタマが、古いフィルム一眼を持つことによって、ようやくモノクロのアタマに切り替わるのは、不思議な感触でした。
この「きっぱり、切り替わり」感が、モノクロフィルムと古い一眼レフを使う意味なのであって、フィルムの方が写真そのものが味があるかとか、そういうことではないと思います。
●おもしろい被写体が違う
色もある現物を撮ると、モノクロで映ることになれてくると、モノクロに向く被写体と、向かない被写体がわかってきます。
モノクロに向くのは、まず整理された映像。ごちゃついていると、撮ったものと背景に差が付かないのでダメです。森全体を撮っても、ごちゃごちゃするし、花が折り重なっているようなものもごちゃついてダメです。高精細な被写体もダメです。花びらの表面の質感を写すなどは、デジタル一眼の方がはるかに向いています。
光がきれいに回っているか、光がごく一部だけに当たっているようなものもモノクロに向いています。モノクロをきれいに撮るには、光の向き、光の強さ、やわらかさを見る目が必要です。
まだアマチュア写真をやっていた時代の感覚はもどっていませんが、かなり被写体を選んでいたことを思い出しました。逆に言えば、デイジ地位では撮らないものを見つけ出す視点が再開しそうです。
●あえてブレボケ
ぶれたり、ピントがどこにも合っていない写真も、モノクロならイケます。カラーだと、ピンぼけはイカンです。モノクロなら、撮りようではいける。実は、カメラが届いたときに、フォーカシングスクリーンというパーツの取り付け不良で、ピントが合わない状態でした。最初はマニュアルフォーカスだから、ピントが合わせられなくなったのだと思ったのですが、それにしても仕上がり写真がピントなしなので、いろいろ調べたら、機械のトラブルでした。ちょっとしたことで直り、ピンはきちんと来るようになりましたが、いっそあえてはずしてしまうのも、モノクロならおもしろいかもと、実感できたのは、ケガの功名でした。
●デジタル一眼カラーと対比する
同じ被写体(たとえば猫や花)を、フィルムモノクロとデジタルカラーで撮って、それぞれの特長を活かした写真にした上で、並べてみる。見えているようで見えていないようなファンタジーの写真と、現物以上にリアルなデジタル写真の対比は、実はその中間に僕ら自身の肉眼の視覚があるという感じになり、おもしろそう。
という感じで、けっこう気づきがあり、おもしろくなってきました。フィルムモノクロ写真に味があるというはちょっと違い、撮り手としての自分の、世界の見方の再構築、というような感じが楽しいのではないかと思います。
今はおもしろがりぃで撮っているモノクロですが、今後、どんなポジショニングで撮っていくか、すぐに飽きてしまうか、わかりません。飽きてしまっても、ヤフオクで売ってしまえばいいし、こういう古いカメラは動いている限り、だいたい雄ねじ値段で売れるので、Yahoo!に払う手数料以外は機材の損はありません。いい時代になりました。
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