(by paco)村上春樹の最新作「1Q84」。読み終わってだいぶたつのですが、そろそろ「ネタバレ」も含めた記事を書いても許されるころと思い、ざっくり書いてみようと思います。
ということなので、以下、「1Q84」の中身に踏み込んだコメントになるので、これから本を読んでみようと思っている方は、そのつもりで読むか、「読んで」から読んでください。
■村上春樹のストーリーテリング手法の集大成
1Q84の構成は、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」で確立された手法をそのまま使っていて、「青豆」と「天悟」という二人のそれぞれを主人公とするふたつの物語が並行して進み、やがてひとつの物語になっていくものです。
「世界の終わり……」は、僕が最も好きな小説のひとつであり、「世界の終わり」という名前の塀に囲まれた静かな街での物語と、「ハードボイルドワンダーランド」という、現実の東京を舞台にした不可思議な冒険物語が並行して語られ、やがてふたつの世界が連続していたことが明かされるという、構成になっています。
「1Q84」もふたつの物語がまったく別個に、奇数章と偶数章で語られ、次第に相互の関係が明かされていきます。「明かされる」という言い回しの通り、ふたつの物語は謎を含んで展開していき、次第にその謎が明らかになるという、推理小説にも似た展開になっていて、これも初期の「羊をめぐる冒険」に始まり「ねじまき鳥クロニクル」で確立された村上春樹独特の語り口です。
個々のストーリーやプロットは比較的淡々と進み、謎が謎を呼ぶ、というようなはらはらどきどき感を読者に与えることは少ないのですが、実際には読者には疑問符がたまっていき、読み進むにつれて、謎が明らかになっていくという手法で、読者をぐいぐい引き込んでいきます。基本的に、わからないことがだらけの物語進行なのですが、わからないことをわからないままに置かれた読者は、しかし、答えをやたらに求めるせっかちの気持ちにはなりません。村上春樹の小説を読み慣れた読者なら、謎はいずれ少しずつ明らかにされるとわかっているので、推理小説を読むようには先に急ぐことなく、落ち着いて読むことができます。推理の要素はあるのですが、実際には犯罪のように見える事柄も、犯人捜しや犯行の動機を必要以上に追いかけることなく、個々のプロット(シーン)を楽める。こういう硬軟両面を同時に共存させることができるのも、まさに「手練れ」の域に達した村上ワールドだからこそ、といえます。
同じストーリーを、文章の派手さや、はらはらどきどき間によって読ませるのではなく、静かに読者をなだめつつ、それ故にていねいに読ませながら、ストーリーを展開できる力こそ、村上春樹の「物語」の力なのだと思います。
■村上ワールドの住民が総出演
ストーリーテリングの手法が確立されたものなら、登場人物もこれまでの村上ワールドでたびたび登場してきた「人たち」が今回、”総出演”します。
代表例は牛河でしょう。ウシは確か「ねじまき鳥クロニクル」で登場し、同じように主人公をあらぬ場所に道こうとする役回りの人物であり、名前も描写された貧相なようすも、ねじ巻き鳥に登場したウシが再度登場したいものと言えます。
フカエリはデビュー当時の深田恭子を彷彿とさせますが、こういう実在の人物からモチーフをもらう手法は、「ダンス・ダンス・ダンス」のユキが当時の国民的美少女・後藤久美子のイメージなのと同様です。ちなみに、ユキは13歳で女性としての肉感的な描写はほとんどされないのに対して、フカエリは高校生相当であり、胸が大きく、繰り返し描写されるのですが、この点も胸が豊かな深田恭子と、美少女キャラの後藤久美子の差を反映しているように読めます。こういう実在の人物をうまく利用することで、荒唐無稽の物語のリアリティを与えることに成功しています。
ちなみに、「ねじ巻き鳥」に登場する笠原メイは、今ひとつイメージにはまる実在の美少女がいないのですが、個人的にはカサハラさんというすらっとした女性を知っているので、僕自身はこのカサハラさんがモデルです。実は、実在のカサハラさんに会ったのは、「ねじ巻き鳥」を読むよりずっと後のなので、小説の笠原メイにあとであったおとなのカサハラさんが上書きされた感じです。
ほかにも、過去の作品につながるモチーフがたくさんあります。「1Q84」ではオウム真理教になぞられた宗教集団「さきがけ」が登場しますが、この教祖「リーダー」は、「羊をめぐる冒険」の「先生」にも通じる強力なカリスマであり、「リーダー」はリトルピープルの登場によってカリスマ的宗教者のパワーを得るのですが、これは「羊をめぐる冒険」で「先生」が、満州で背中に★印のある羊と出会い、羊を体内に入れることでカリスマ性を得るというストーリーの近似です。
さらに、満州は、今回「1Q84」でも重要な舞台になっていて、主人公のひとり、天悟の父親が満州開拓民です。満州から、終戦のどさくさをすり抜けて日本にもどってくることで、天悟が生まれるわけですが、「羊をめぐる冒険」では満州がカリスマ性を獲得する舞台になり、さらに「ねじ巻き鳥」では、満州を舞台に、有名な「皮はぎボリス」のエピソードや井戸に落ち、救い出されるエピソードが語られます。
「羊をめぐる冒険」では、強力な力を持つ★印のついた羊を体内に入れる、というモチーフが描かれるのに対して、「1Q84」では、「死んだ山羊の口からリトルピープルがやってきて、それが強力な宗教的カリスマ性の源泉になる」という話になっていて、この点もどこか共通性があります。羊と山羊の違い、生きた羊と死んだ山羊、という違いはあるものの、イメージさせるものは共通しています。
「羊をめぐる冒険」には、「闇世界の帝王」としての「先生」が描かれますが、「1Q84」ではオウム真理教をなぞられた宗教団体「さきがけ」の「リーダー」が世界を支配しかねない状況が示され、理不尽な強力な力が世界を塗りつぶすというモチーフが村上春樹の中につよく根付いていることを感じます。
村上春樹は、1995年の地下鉄サリン事件後、被害者を中心に多くの関係者に徹底したインタビューを行っていて、それをまとめた「アンダーグラウンド」と発表しているのですが、オウム真理教と地下鉄サリンをめぐる状況をこれだけ自分の体内にインプットしたにもかかわらず、本業の小説ではその「成果」をほとんど世に出してきませんでした。インプットした大量の情報が、10年を経て村上春樹の中で熟成され、「さきがけ」としてものがたちに埋め込まれたと考えると、さきがけの描写のリアリティと、現実に接近しすぎた描写についても、完全に計算された自信のある描写であることを感じます(宗教というきわどいものに腰が引けることなくがっつり肉薄できたのは、オウム事件後のインタビューからえたものの本質をしっかり捉え、定着させる10年があったからでしょう)。
「1Q84」のストーリー展開は、一見突拍子もない物語にも見えるし、単なるオウム批判にも読めそうなぐらいですが、実際には、彼の中でじっくり熟成された結果なのだと思います。
■村上春樹の小説観が打ち出される
小説家として、「現実にはない架空の物語」=ウソの話を書くことを仕事にしている村上春樹にとって、ではウソの話をわざわざ人に聞かせる意味はなんなのか。そういう小説家としての自らのポジショニングが、小説家志望の主人公・天悟を通じて語れます。物語とはなんなのか、物語におけるリアリティとはなんなのか。これまでの作家歴の中から村上春樹がつかんだ「答え」を表明したい気持ちが、天悟という主人公を生んだのではないか。天悟の小説についての語りには、村上春樹の気持ちがかなり忠実に反映されているのではないかと思います。
■「人間性が損壊した弱者」を救う「善なる行為」
「1Q84」の物語のモチーフは、「強者による弱者の破壊」「破損された弱者」を誰かが支えなければならないこと、支る方法については、村上春樹自身、示せていないことが、この小説の不安定な状況を象徴しているのではないかと思います。
村上春樹は、「1Q84」執筆中にイスラエルに招かれ、有名な「抑圧する側とされる側がいるなら、自分は間違いなく、抑圧される側の立場に立つ」というスピーチを行っていますが、こういう弱者目線は村上作品に共通するモチーフです。
「羊をめぐる冒険」は闇世界の後継者探しを依頼され、闇世界の強力な圧力に、小さな個人が立ち向かうという形式になっていますが、同じく、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」も「ねじまき鳥クロニクル」も、得体の知れない強力な力に押しつぶされそうになりながら、しぶとく戦い、「勝利」を勝ち取ってく軌跡が描かれます。
「1Q84」も、男たちに一方的に破壊される立場にいるDV被害女性が登場し、加害者への碇が行動の原動力になる老婦人、青豆の戦いが描かれるし、さらにはリトルピープルの強大な力に打ち負かされそうになりながらも前進する天悟の姿に重なります。
破損される人間と、破損しようとする側のものとの戦いは、村上春樹がずっと描いてきた世界観なのでしょう。
■人間の弱さを収束する宗教への非難
さらに宗教についても、これまで以上に踏み込んだ批判を描いています。オウム真理教を彷彿とさせる「さきがけ」はもちろん、「エホバの王国会」をさしているとしか受け取りようがない「証人会」というふたつの宗教を描き、宗教の依存することでスポイルされていく個人を描き、人としての無気力さを批判的に暴露してみせる手法は、これまでの村上春樹のモチーフに共通するものの、明らかに数歩踏み込んでいている点に注目しています。今後、どこまでこの部分に踏み込んでいくのか、日本ではめったに描かれないモチーフであると同時に、世界ではいろいろな意味で最も重要なイシューでもあるので、国際的に仕事をしてきた村上春樹が、どこまで宗教に踏み込むのか、ぜひしっかり見ていきたいところです。
■完結はいつか?
さて、book1と2の2部構成で出版された「1Q84」ですが、これで完結でない、というのが僕の理解です。
1Q84が1984年を意味していること、book1と2が4月-6月と7月-9月になっていることを見ても、残り2冊が出ることはたぶん間違いないと思います。
これは、「ねじ巻き鳥」が、当初2部構成で出版され、のちに3部が追加されたのと同じパターンではないかと思います。だとすると、この物語がどこに行くのか、みんなで予想するのは、下世話ではありますが、楽しい作業だと思います。
今後、どんな登場人物が出てくるか、特に、これまでの村上作品に登場した人物のうち、誰が再登場するかを予想するのも、楽しいでしょう。
では、残りのbook3と4が出るのはいつか?
早ければ来年春、遅くとも来年秋には出るのではないかと思いますが、さて、どうでしょうか。
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