(by paco)522大人になってギターを練習する楽しみ

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(by paco)明日から8月、夏休みシーズンですが、いかがお過ごしでしょうか。軽めの話もしていきたい、ということで、2週前に続き、音楽の話です。

■若い時期に音楽を「する」経験を積む

中学生のころ、フォークソングが勢いがあり、アコースティックギターの弾き語りに憧れて、練習をしていました。近くの質屋のウィンドウにフォークギターが1本あり、「新品」とあるし、安いし、と言うことで、お年玉を集めて購入し、弾いてみてびっくり、弦が硬くて指が痛い。ナイロン弦のガットギターを少し弾いたことがあったものの、スチール弦のアコギは始めて。

(アコースティックギターには、ネックが太くてナイロン弦のガットギター=クラシックギターと、ネックが細くてスチール弦のフォークギターがある。今はアコギというとフォークギターをさす方が多い。)

手が小さいので、ネックの太いガットギター(クラシックギター)はとても押さえきれないし、カッコもいいし、と言うことで手に入れたフォークギターですが、指に食い込む弦を、しっかり押さえないと、音が濁って鳴らない楽器で、それでも必死に練習して、コード(和音)弾きならそこそこ弾けるところまで行きました。

音楽は子どものころから身近にあり、小学校のころはピアノを習っていたものの、ものにならず、5年以上やったわりには、あまり好きになれず、うまくもならずに中級に入ったあたりで挫折。

でもその途中で、小学校で吹奏楽部に入り、フルートを担当して、これはけっこう楽しい経験でした。中学には行って、フォークソングからニューミュージックに移る音楽シーンに憧れて、吉田拓郎→かぐや姫→井上陽水→荒井由実→オフコースなどなどのルートをトレースしつつ、ギターを弾いて気に入った曲を歌う10代でした。

ちなみに小田和正率いるオフコースは、「of cource(もちろん)」ではなく、「off cource(はずれ者)」で、僕自身のメンタリティにけっこう合っていたのですが、実はもともと好きだったわけではなく、当時、付き合ってもいないのにもよく一緒にいたガールフレンドが強制的にレコードを貸してくれて、聞いていたのが、そこそこ気に入って歌ったりしていたのですが、彼女といっしょにギターを弾いて歌うほどロマンチックな青春をしていたわけではありません。

並行して、合唱をやっていた時期もあり、歌、特にハーモニーはけっこう楽しみました。

そんなわけで、僕の人生前半では、ピアノ、フルート、ギター、歌、合唱と、そこそこ音楽を「する」時間を過ごしてきたわけです。

大学に入るころまではギターを時々弾いていたのですが、その後、楽器や歌からは距離が開き、聞く専門に。

とはいえ、子供?青春期に集中して音楽を「する」経験が積めたのは、人生を豊かにしてくれました。なので、子供に音楽を習わせたりするのは、基本的に賛成なのですが、一方で、ピアノを習い、まったく使いものにならなかった経験は、挫折感になっていて、正直、ピアノを習わせようとする大人を見ると、思わずやめさせたくなります。

音楽の「がく」は、「学」ではなく、「楽」。

楽しめないようなら、習わせたり、やらせたりしてはいけません。音楽は楽しくないと思ってしまうぐらいなら、音楽に対して白紙でおいてあげたほうがずっといい。

■大人が楽器を始めるのは、忍耐と戦略というよい点もある

40代も後半になって、アコギを買い直し、その後、エレキを買って弾くようになりました。

前にも書いたとおり、動機は、大好きなバンド「GARNET CROW」のギターリスト、岡本仁志のギターを弾きたいと思い立ったこと。

結局、楽曲のギターソロを1曲弾けるようになるまで5年ぐらいかかってしまったわけですが、もともと急いでいたわけでも、焦る気持ちが会ったわけでもないので、自分なりに模索しながら、弾いたりやめたりしつつ、のんびり楽器を付き合ってきました。

楽器は、どの楽器もかんたんにはマスターできません。

そうだな、いちばんマスターのスピードが速いのは、ウクレレかもしれませんが、それでも、ちゃんとうまくなろうと思ったらたいへんです。それに、ひととおり弾けるまで、簡単であればいいかというと、そういうものでもない。

たとえば、最近のキーボード、たとえばカシオトーンなどは、本当にさまざまな機能があり、指1本でコードが和音で出るなんてのはあたりまえ、アルペジオできれいに鳴ったり、弾いたメロディに合わせてコードやリズムをつけてくれたりもして、習熟しなくてもかんたんに音楽らしく弾ける楽器が登場しています。

あまり練習がいらない楽器は取っつきやすいけれど、ではそれが音楽を「する」ことにつながるかというと、意外にそうでもないところが、人間の不思議なところで、それなりに難しいところが、楽器に挑戦したくなる動機になるのは、たぶん、事実です。

練習しないとうまくならず、うまくならないとおもしろくない。

つまり、楽器というのは、かなり「M」なものなのですね。

修行に耐えるというか、やってもやってもうまくならないとか、うまくなったと思うほどに、さらなる高みが見えてしまう、という、そういうもので、だからこそ、挫折もすれば、のめり込みもする。また、そういう奥深さがある楽器に、人は取り組みたくなる、という矛盾の塊ようなもののなのです。

楽器は若いうちのほうが習得が早いとよく言われます。確かにその通り。指、腕、足や呼吸を組み合わせる身体練習ですから、運動神経が鋭く、やったことが自然に染みつく年代の方がいいのは間違いない。でも、おとなにだって、ちゃんとできるものです。

もちろん、若いときほど、早く習得できないし、たとえば速弾きなどは、どうしても限界があるでしょう。でも、代わりに若いときにはない武器がおとなにはあります。それは、じっくり構えて楽器と付き合う忍耐力と、自分が何をやりたいのか、現実的なステップを考えられる戦略力でしょう。あこがれの曲を弾きたい、という気持ちは同じでも、「いきなりそれは難しいから、ここから」というような順番を見極める力は、おとなのほうがある。

こういう強みを理解して、それを活かせば、大人はおとなの楽器習得ができると思います。

■それでも指は痛いし、進歩はなかなか難しい

大人なりの楽器の学び方はわかっているので、焦らず、時間のあるときに練習しつつ、ここまでやってきました。ほどよくゆるく教えてくれる先生と出会い、教えてほしいことだけを中心に教えてもらって、1年ほど。

この間、いわゆる教本に沿った練習はまったくしませんでした。基礎練習が重要なことはもちろん知っているのですが、基礎練習は退屈だし、自分が弾きたい曲にフォーカスを当てないと、練習する意欲が湧かないことも自覚していたので、それでも教えてくれる先生を探しました。

もちろん、基礎がないと弾けないところはあるので、その部分を強化する基礎練習は教えてもらいました。それもちょっとはやりつつ、でもあまりまじめには基礎練習をやってはいません。

おとなの楽器習得の場合、重要なことは、基礎練習とかではなく、楽器に触れる時間をどうつくるかです。

そうしたって忙しく、誘惑も多い。家族との時間も重要です。

練習することは重要なのですが、それ以前に、楽器に触る時間をどうつくるか。そして、触れる時間も、絶対量より、なるべく頻度高くやることが重要です。

1日30分やれるときでも、30分ずっとやるより、10分を3回やった方がいい。

やったことをキープするには頻度を上げることで、次に、少し集中してやる時間をとることで、レベルをあげることができる。

実際には、食事のあとの食休みタイムになるべくギターをもつようにしていて、すぐに動きたくないお腹を落ち着かせる時間に弾いています。

そのままちょっと長く弾いてしまうこともあるし、それ以外の時間にも、集中してやれる時間があればいいのですが、それができるのは仕事がある程度少ないときで、たまにできる程度、というのが普通です。そうであっても、身近時間の練習の頻度と、時々ちょっと長めの集中練習があれば、確実にレベルアップすることがわかりました。

あとは、イライラしない。練習しても弾けなくても、やっていれば、そのうちできるようになる。これは不思議なことですが、やっていれば、いつかできるようになるものなのです。だから、楽器は人を魅了するのでしょう。

あとは、いい楽器を使うことですね。楽器はどれも、ちゃんとしたものはけっこう高価なので、いい楽器といっても難しいのですが、入門楽器より少し上の、中級ぐらいものを買っておく。音が悪い(そこそこの)楽器は、指使いによる音の変化が少ないので、上達に気がつきにくく、進歩が感じられないと飽きてしまいます。逆に弾けていないこともわからないと進歩がない。それに、高い楽器を買えば、気持ちも入るので、弾く気持ちが持続できるという側面もあります。

そんなわけで、今日も「相対性理論」の「ミス・パラレルワールド」を、繰り返し繰り返し弾くのでした。満足のいく演奏にはぜんぜんならないのだけれど、それでも、弾いていればうまくなるということは、分かっているから。

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