2006年4月アーカイブ

(by paco)ゴールデンウィーク突入ですね。あなたはどんな休日を過ごしているのでしょうか。

僕のようなフリーランスは、時間の自由がきくので、前後はなるべく仕事を入れないようにして、東京を離れ、八ヶ岳のセカンドハウスで過ごしています。

気分はすっかり休暇モードなのですが、仕事はしなくていいかというとそんなことはなく、グロービスの受講生が出してくれたレポートの採点もあるし、研修の企画や本の企画も作ろうかなと、まとまった時間にやるべきことを用意してきています。いつも六兼屋の往復のときに荷物を入れてくる、アルファロメオマーク入りの(^^;)、キャンバス地のトートバックには、レポートやら仕事の資料がいつもよりたくさん入ってますが、でも多くのデータは、ハンディサイズのハードディスク1台にみんな入っているので、実のところ仕事の多さと荷物の多さは比例しないのです。

(by paco)最近、若い人とライフデザインの話をする機会が増えています。それも20代も前半だったり、18歳、19歳という年齢です。要するに、大学生です。亜細亜大学で授業を持っていること、NPO法人環境リレーションズ研究所での活動に大学生もよく来てくれること、そして企業向けに行っているロジカルシンキング研修で新入社員を担当する機会に恵まれたことが、出会いを増やしてくれました。

そんな中で感じるのは、こころざしの格差。自分がやりたいこと、やるべきだと思っていることについて強い意思を持っている人と、そうでない人の差が広がっているということです。特に学生の意欲の高さと、よくものを考えていることには驚かされることが多い。

(by paco)引き続き、大日本帝国と統帥権の話です。ちょっと込み入った話になってきましたが、いわゆる「教科書には出てこない」という種類の話なので、知っておいてもいいかと思います。といっても、もちろんちゃんとした事実です。教科書にも、昭和の15年戦争は「軍部の暴走によって起きた」と書かれています。そのコアはどこにあるかというと、統帥権にあるのです。

元ネタは、以前249号でも紹介した「統帥権と帝国陸海軍の時代」です。

この本の170ページに、統帥権について、その権力を握っていた陸軍参謀本部がどのように考えていたか、書かれています。参謀本部の人材を育成していた陸軍大学校の教科書である「統帥参考書」には次のように書かれています。

(by paco)前回「249 直観と論理」の続きです。直感ではなく、直観を重視するという話をしたのですが、僕自身は直観の力を広告の仕事を通じて鍛えられたと思います。

広告クリエイティブは、基本的に直観の世界なのです。これがいいよね、と言うものが見つかったときに、それははっとひらめきのように頭に浮かぶことが多い、というかそれがふつうです。

といっても、頭に浮かぶ直観は、抽象的な概念の場合と、具体的な色や形の場合と、二種類あります。この広告は重厚な雰囲気がいいなと思うこともあれば、軽やかな方がいいと思うこともある。これらは先に概念が浮かび、そのあとに「重厚な感じを出すには、黒や濃い茶色を使って」という具体的な方法論があとから出てくるわけです。それとは別に明るい色のビジュアルが先に浮かぶこともあります。「なんか、パステル系がいいんじゃないかな」という感じです。

(by paco)前回、統帥権と15年戦争の話を書きました。このテーマの研究を引き続き進めていているのですが、ひとつわかったこと。

日本で統帥権が独立・強化される過程は、明治後半の日清・日露戦争の戦争指導と、その勝利、さらに大正デモクラシーという時代の流れと密接に関係していることがわかってきました。

明治後半から自由民権運動が広がりだします。天皇と一部の元老と呼ばれる、明示国家の立役者による狭い指導体制から、より広く民意を集めた政治への流れが求められていくわけです。

(by paco)ライフデザインに限らず、論理思考を使うときに、けっこうよくぶつかるのが、直感やひらめきと、論理との関係です。

自分はこういうことがしたい、でもなぜだか説明がつかないということもあるし、論理的に考えればこれをすべきだが、気持ち的には別のことをするべきだと思う、という場合もあります。

まず言葉として区別したいのは、直感と直観です。似ているし、日本人の多くは「直感」の方しか知らなかったりするのですが、大事なのは「直観」の方です。どう違うのかというと、辞書にも区別されているとおり、直感の方は「何かを瞬間的に感じ取ること」で、危険が迫っていることを察知するとか、全身を覆う服を着ているのに、見ただけで肉親だとわかるとか、そういう感覚的な理解をいいます。一方「直感」は、経験や推論によらずに、ものごとの本質や真相を直接的・瞬間的に理解することをいいます。直感の方が「感覚が直だ」という意味なのに対して、「直観」は理性の働きなのに、論理の展開を挟まずに理解するという意味です。

(by paco)戦争についての研究を進めています。Global Eyesのテーマでこちらに書くのはかなり生なものばかりなので、僕自身、確信が持てていないようなことを書いていくので、よくわかっていなかったりするところもありますが、そういう生のところをお楽しみください(^^;)

「統帥権と帝国陸海軍の時代」

という本がタネ本ですが、ほかにもこのテーマはいくつもの本に出て来ます。
無料版や旧pacolog!で「なぜ戦争が起こるのか」というイシューについては書き続けているのですが、その中で、何度か統帥権の問題が出てきています。日本の15年戦争(1931年の満州事変から1945年の太平洋戦争終結まで)の原因を考えるとき、統帥権(あ、これはトウスイケンと読みます)の独立という問題が浮かび上がってきて、これをどう評価するかが大きなカギになるからです。

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戦争への強い意思
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pacolog!の記事(下の方にスクロールしてね)

(by paco)何かを主体的にやろうとするときに、その意思決定に大きな影響を与えるのが、「誰かに認められたい、すごいといわれたい」という欲求です。一般的には「お金持ちになりたい」「評価されたい」と行った気持ちがそれで、特に会社員の人がやめて独立する場合は、「今の同僚や取引先からすごいといわれたい」という気持ちが強くなります。

もちろんそれは自然なことだし、そういう負けん気は、行動の原動力になるので、必要でもあります。でもそれにとらわれ過ぎると、「自分が何をやりたいのか」より「人から評価されやすい仕事、早くすごいといわれる可能性が高そうな仕事」を選んでしまいがちです。本来は、自分のやりたいことを実現するのが目的で(what?)、「評価されたい」「負けたくない」という気持ちはそれに近づくための原動力(手段のひとつ=how?)であるはずなのに、しばしば手段と目的の逆転が起きてしまうのです。

(by paco)ふだんは宗教のことなどほとんど忘れている日本人がほとんどかと思いますが、「困ったときの神頼み」にはけっこうよくいきます。受験前になると各地の天神様はにぎわうし、妊娠を希望したり、わかったり、あるいは出産がすめば、安産の神様に行く人もたくさんいます。東京でいえば、安産といえば水天宮が定番で、若い女性が母親と一緒にお参りに来ている姿が妙に目立ったりします。

子供が生まれて30日目ぐらいにお宮参りにいく習慣もあります。特に初めての子どもの場合、成り立ての両親は勝手がわかっていないので、少しでも不安を解消するために、神頼みをしたくなるのでしょう。