(by paco)250専門家とシロウト、どちらがよい判断をするか

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(by paco)前回、統帥権と15年戦争の話を書きました。このテーマの研究を引き続き進めていているのですが、ひとつわかったこと。

日本で統帥権が独立・強化される過程は、明治後半の日清・日露戦争の戦争指導と、その勝利、さらに大正デモクラシーという時代の流れと密接に関係していることがわかってきました。

明治後半から自由民権運動が広がりだします。天皇と一部の元老と呼ばれる、明示国家の立役者による狭い指導体制から、より広く民意を集めた政治への流れが求められていくわけです。

僕らは教科書的には、「五箇条のご誓文」にある「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」という文言が記憶に残っていて、江戸から明治国家への変化の中で、議会のような衆知を集めるしくみが明治政府のしくみに自然に取り込まれたのだと考えがちですが、そうではないようです。最初は新しい国をつくるということでまとまっていた明治政府も、新政府樹立の目的が実現してしまうと、運営の方針で分裂し始めます。それ自体よくあることです。いちばん大きく、危機的な分裂は、西郷隆盛が野に下っておこした西南戦争ですが、この時期、板垣退助をはじめ、新政府をつくってきた多くの人たちが政府を去り、できかけた体制が崩壊しつつあったわけです。その中で、自由民権運動が反政府運動として起きていく。つまり新政府樹立の貢献者という限られた人たちによる政治から、もっと広い民意を拾う政治へと動いていくわけです。

その一方で、新政府は、日本を分権国家から中央集権国家に変えるという仕事をやろうとする。その流れの中に、国のために死んだ人を神として祀る「靖国神社」も位置づけられていくわけですが、それはそれとして、自由民権運動に対抗する形で「明治をつくってきたオレたちが政治を動かす」という考えが政府に強固になっていきます。中でも「軍事だけは、専門家が決定権を握らないと、シロウトではダメだ」という考えが生まれてくる。

議会がつくられ、議院内閣制になると、選挙で選ばれた議員が陸海軍大臣になるという可能性もあります。軍のことをよく知らない大臣が好きに軍を動かしたら、大変なことになる。軍を動かしてきた山県有朋らは「専門家のことは専門家に任せろ」という主張で、陸海軍大臣の権限を弱めるために、統帥権(参謀本部)の独立を画策していくのです。

ここに見られる構図は、専門家のほうが軍のことがわかるのか、それともシロウトの方が客観的に軍の意味や価値がわかるのか、という問題でしょう。今では文民統制という、軍人以外が軍のコントロールをした方がいいという考えが一般的ですが、当時も文民統制の考えはあったものの、軍人じゃないと軍のことはわからないという考えは今も強く、それが「選挙で選ばれた民間人が軍の大臣になるなんて!」という不信感につながり、統帥権の独立に理論的な支柱を与えたのでした。こうして生まれた統帥権(とその担い手としての参謀本部)が歯止めなく肥大化した結果が、15年戦争と1945年の敗戦につながるのですが、改めて考えてみて。

ものごとは専門家でないと適切な判断ができないのでしょうか。たとえば、工場を運営するのは、工場でモノづくりをしてきたたたき上げでないと工場長になれないのでしょうか。あるいは外から来た人間がうまく工場を運営するには、その工場長にどのような能力や資質が必要なのでしょうか。

統帥権の問題は、こういう、今の時代でもごくありがちな問題なのだと思います。

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