(by paco)ふだんは宗教のことなどほとんど忘れている日本人がほとんどかと思いますが、「困ったときの神頼み」にはけっこうよくいきます。受験前になると各地の天神様はにぎわうし、妊娠を希望したり、わかったり、あるいは出産がすめば、安産の神様に行く人もたくさんいます。東京でいえば、安産といえば水天宮が定番で、若い女性が母親と一緒にお参りに来ている姿が妙に目立ったりします。
子供が生まれて30日目ぐらいにお宮参りにいく習慣もあります。特に初めての子どもの場合、成り立ての両親は勝手がわかっていないので、少しでも不安を解消するために、神頼みをしたくなるのでしょう。
サラリーマン諸氏は、日常的に神社にいくことはないかもしれませんが、商売をしている人で、お参りの習慣を持っている人は意外に多いものです。先週書いた札幌のビルの屋上の話は、お参りにいく神社そのものを商売の近くに持ってきて守ってもらおうという発想ですが、僕の父親も、妻の父親も、個人で会社をやっていたので、それぞれ自分の氏神様の祭礼には書かさずいっていました。
受験も出産も子育ても、そして商売も、自分の力だけではうまくいくと確信が持てず、その責任の重さに押しつぶされないように、神様に頼りにいく。その点、サラリーマンは、その不安について会社が保証してくれているので、神様に縁が薄いのかもしれません。
前回、ものみの塔(エホバの証人)の人たちの話を書きましたが、彼らに限らず、キリスト教系の宗教も、こういう人間の弱さに対して、強い力を持っている、というか、よくできているなあと思うことがよくあります。聖書には膨大な物語が収録されていて、今の時代の中でも、人が陥りがちな不安や弱さに、どのようにイエスや神が答えたのか、信徒がどのように行動したのかが、手を代え品を代えして描かれています。このエピソードの豊富さは、日本の宗教にはかなわないところで、日本でも多くの信者を引きつけている理由のひとつだと思います。もうひとつ、キリスト教系の宗教の優れているところは、死の意味を非常にクリアに語る言葉を持っていることで、この点は仏教も含めて、日本の宗教にはまったくおよぶものがありません。特に神道は、死を忌みごととして正面に据えていないので、死の不安に直面した人々には神社の言葉が届かないことが多いのです。その点を日本では仏教が補ってきていて、明治までは神仏混淆(しんぶつこんこう)といって、神様と仏様はセットで置かれてきました。元気な世代の生きる力には現世的なり役の神社信仰を、死期が近い人と、死者を悼む人には仏教寺院が、一体化して対応してきたのです。
今のように仏教と神道の役割が分離したのは明治政府が、日本という国の精神的な支柱造りに困り、神道を命じ国家の正当性を保証する精神的な土台に据えようとした結果です。明治期には廃仏毀釈が行われ、仏教に対する神道の優位性を明確にするために、各地で寺院が破壊されました。のちにいきすぎに気づき、修正されますが、この中で「天皇は神、神の国日本、天皇は国民が命のをかけて守るべきもの」という思想が確立されていきます。今問題になっている靖国神社は、国のために戦って死んだものに対して、その死がただの死ではなく、「国のため、神のための尊い犠牲」という意味づけを与えるために、明治から昭和にかけて強化されて、国家宗教となっていきました。そのシンボルになるのが、靖国神社ですが、その話はまた別の機会に。
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