(by paco)248認められたい気持ち

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(by paco)何かを主体的にやろうとするときに、その意思決定に大きな影響を与えるのが、「誰かに認められたい、すごいといわれたい」という欲求です。一般的には「お金持ちになりたい」「評価されたい」と行った気持ちがそれで、特に会社員の人がやめて独立する場合は、「今の同僚や取引先からすごいといわれたい」という気持ちが強くなります。

もちろんそれは自然なことだし、そういう負けん気は、行動の原動力になるので、必要でもあります。でもそれにとらわれ過ぎると、「自分が何をやりたいのか」より「人から評価されやすい仕事、早くすごいといわれる可能性が高そうな仕事」を選んでしまいがちです。本来は、自分のやりたいことを実現するのが目的で(what?)、「評価されたい」「負けたくない」という気持ちはそれに近づくための原動力(手段のひとつ=how?)であるはずなのに、しばしば手段と目的の逆転が起きてしまうのです。

人間の脳はとても優秀なので、ひとつのシナリオができると、そのシナリオを正当化するための論理を必死に考え始めます。「評価が難しいこの仕事より、評価されそうなあの仕事の方が、(評価されたという点で)社会的な意義が大きい、つまりThanksをもらえる可能性が高いから、ライフデザインとしてもマッチしているはずだ」「お金が得やすいということは、社会からの支持が大きいということで、価値が大きいのだから、評価されにくい仕事よりも優先してやるべきだ」などなど。

自分は論理的でないという自覚を持っている人は多いのですが、実際にはそんなことはありません、けっこう多くの人は論理的なのです。だから、ときに不適切な結論も、「これでいいのだ!」と強い確信を持って結論づけてしまう。その理由は、革新の裏に論理があるからです。問題は、その論理が無自覚的に、脳が自律的に構築している点にあって、それ故に、自分の思い(=必ずしも論理的でないように見える直観=what?)をあえて押しのけて、論理的に納得しやすい方を結論に持っていってしまうのです。問題なのは、論理の力が弱いことではありません。望まない結論を出してしまうのは、むしろ論理性には問題がなく、脳が勝手に行う論理展開に、自覚的になっていない点が問題なのです。

(もし脳の論理力が弱ければ、結論が出せない、優柔不断状態になると思われます。望まない結論でも、出せているとしたら、論理的な思考力そのものは十分にあり、むしろその「暴走」を止める方法を知らないことなのだと思います。)

という関係から考えると、実は一般に論理思考とかクリシンと呼んでいる脳の働きは、無自覚的に動いてしまう脳の論理思考を、自覚的に行って、暴走をチェックする働きなのだといいかえることができます。自分の脳の動きを、自分の脳自身でコントロールするという作業が必要になるのですが(といっても、こういうこと自体は、日常的にやっていることなのですが)、意思決定が複雑になってくると、チェックする脳に当てられるキャパが小さくなってしまう。それで、自分自身のことをクリシンすることは、もっとも難しい、という結論になるのです。

僕がこのLife Design Dialogueをはじめたのも、もともとは僕が持っている論理思考の力(チェックする力)をお貸ししようということが動機でした。本来なら、教える仕事をする立場として、論理思考を教えることに注力し、教えられた人が、その力を自分自身に適用して、自分の生き方を最適に考えるようになるというのが理想なのはわかっているのですが、自分自身をクリシンすることは、仕事をクリシンすることよりずっと難しいことです。そのため、思考力をつけてからライフデザインに取り組んだのでは道が遠すぎると考え、それぞれの人の思考に寄り添う方法論として、Life Design Dialogueをはじめたというわけです。

という経緯もあって、僕がLife Design Dialogueの特の最初の段階で気をつけているのは、その人が「やりたい」といっていることは、本当に自分がやりたいことなのか、誰かに認められたいということから始まって、自ら正当化したことなのかを見極めることです。「これをやりたいと思っているんです」という最初の段階で、「なぜ? どうして?」と問いを繰り返すのも、この点を明らかにしたいためであり、これが一人ではなかなか難しいことだからです。

ところで、僕は著書「35歳から?」の中で、「ミドルエイジはやりたいことを見つけるよいタイミング」ということを書いたのですが、その理由のひとつがここからも説明できます。今のままいくとどこまで行けるのか、自分に対する評価や自分の能力がある程度、見極めがついているからこそ、過剰な期待を描かなくなる年代の特性を活かそうというわけです。もちろん、そうはいっても人間の心はいろいろに動き、「これまで認められなかったから、これからは独立して見返してやる」という気持ちが根底にある人もいるので、気をつける必要があります。

もちろん、こういうエネルギーは、むしろ必要なことです。でもそれを発散させることを目的にしては、あとで道がずれたことに気がつくことになるだろうと僕は考えています。

ちなみに上で、脳の勝手な論理より、「自分の思い(=必ずしも論理的でないように見える直観=what?)」を優先させるべきという趣旨のことを書いているのですが、あれ?と思った方はいませんか? 論理思考を教える僕が「直観の方が大事」といっているように読めるからです。そう、直観(直感ではありません)はとても重要です。このことについては、また機会を改めて書きたいと思います。

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