2006年6月アーカイブ

(by paco)先週、北海道の知床に行ってきました。

今、札幌のある企業と継続的に仕事をしていて、今年は3月、5月、そして今回6月と札幌にいったのですが、そのついでに、今回は知床と摩周湖周辺にいってきました。

知床は、北海道の東端に出ているふたつの半島のうち、上の方の半島で、今年世界自然遺産に登録されたことはご存知の通り。ちなみに世界遺産はユネスコが各国の推薦を受けていったいの条件に当てはまる場所を認定しているもので、「世界文化遺産」「世界自然遺産」「複合遺産」の3種類あります。文化遺産や複合遺産は多いのですが、自然遺産は世界的に数が少なく、日本では屋久島、白神山地(秋田県・青森県)に続いて3か所目です(文化遺産は姫路城・原爆ドームなど10か所)。

もともと国立公園に指定されていることもあり、知床の自然が豊かなことはいうまでもありませんが、ほかの国立公園が、かつては人に利用されていた山や森である場合が多いのに対して、知床は多くの土地が未利用のまま現代まで原生的な自然が残されているとrokoに特徴があります。同じく自然遺産の屋久島では、昭和の初めまで樹齢数百年以上の大木を切り出す林業が行われていたし(それでも森は十分残っているのですが)、白神山地も木の伐採はあまり行われなかったものの、狩猟など、森の利用は行われてきました。

6月後半、梅雨真っ最中というタイミングですが、6月の六兼屋はけっこう忙しい時期です。ゴールデンウィーク頃から、今年の芽吹きが始まって、ここ1か月、ぐんぐん育ってきた植物たちが、花を咲かせ、実をつける時期が、6月から7月初旬なのです。

まず、ラズベリー。まっかなかわいい実をたくさんつけ始めました。去年は、花は咲いたのですが、実になる前になぜか枯れてしまうという現象で、ほとんど収穫できませんでした。今年も、一昨年などより植物自体の勢いは今ひとつだったのですが、無事に実がつき始めました。毎日、どんどん熟してくるので、熟した順に収穫しなければなりません。もちろん放置してもいいのですが、こういう園芸品種は、実をとってあげた方がいいのです。収穫は手でひとつずつ。ぽろぽろという感じでとれるのですが、なるべくつぶさないように、無理がついた実は避けながら、結局こういう部分は手作業なのです。

6月後半、梅雨真っ最中というタイミングですが、6月の六兼屋はけっこう忙しい時期です。ゴールデンウィーク頃から、今年の芽吹きが始まって、ここ1か月、ぐんぐん育ってきた植物たちが、花を咲かせ、実をつける時期が、6月から7月初旬なのです。

まず、ラズベリー。まっかなかわいい実をたくさんつけ始めました。去年は、花は咲いたのですが、実になる前になぜか枯れてしまうという現象で、ほとんど収穫できませんでした。今年も、一昨年などより植物自体の勢いは今ひとつだったのですが、無事に実がつき始めました。毎日、どんどん熟してくるので、熟した順に収穫しなければなりません。もちろん放置してもいいのですが、こういう園芸品種は、実をとってあげた方がいいのです。収穫は手でひとつずつ。ぽろぽろという感じでとれるのですが、なるべくつぶさないように、無理がついた実は避けながら、結局こういう部分は手作業なのです。

(by paco)交流居住というプロジェクトについては、前回書きました。交流居住といってもいろいろなカテゴリーがあり、旅行に畑仕事体験がプラスされた程度のものから、本格的なIターン、Jターンまで、さまざまなのですが、特にハードルの高いIターンについて考えてみます。今回は、中でも比較的難易度が低い、地方都市への移住を考えてみましょう。

実際にIターンで、自分の生まれ故郷以外の場所に転居し、生活するためには、さまざまな要素が必要です。いちばん大きいのは、仕事と住まいのふたつです。

仕事面では、地方とはいえ、県庁所在地クラスの都市には、仕事そのものは結構あります。最近は景気もよくなってきているので、特に政令都市クラス、たとえば最近しばしば出かけている札幌では、ほぼ全面的な売り手市場になっていて、求人広告の反応がよくありません。札幌は地域の産業だけでなく、観光に関係するビジネスも多いため、レストランやフード、ホテルや小売りなどのサービス系のビジネスは、特に求人が難しくなってきているのです。

(by paco)以前から改めていたテーマを少しまとめて書いてみようと思います。どのぐらいの文章量になるかわからないのですが、とりあえず1回ではすまないと思うので、連載ということにします。

以前にもどこかに書いたのですが、民主主義という考え方は、人類史上比較的新しいもので、古代ギリシャや古代ローマの一時期を除けば、18世紀のものです。

18世紀、なぜ民主主義という考え方が生まれたのか、改めてかんたんに振り返っておきます。それ以前の時代は、16世紀後半頃から、つまり日本でいう安土桃山時代ぐらいから、ヨーロッパでは「絶対王政」の時代です。カトリック教会の力が強く、地域ごとに小規模な王が乱立している時代を終えて、教会から権力を取り返すという動きが欧州各地で起こったのが16世紀ごろ。地方単位ではなく、国という単位をまとめ上げられる協力で集権的な王権が成立し、イギリスのチューダー王朝やフランスのブルボン王朝(ルイ14世とか)などの強い王権をもつ国が発展していきました。

(by paco)総務省過疎対策室からの依頼で、交流居住という政策の立案と実施に協力しているという話は、以前、こちらに書きました。

この交流居住に関する仕事はその後も続いていて、少しずつ形になり始めています。研究委員になって3年目になりますが、今年は、総務省の政策の一環で、交流居住についての情報を各自治体が発信するためのポータルサイトが作られ、程なくカットオーバーと言うところまで来ました。昨年度の研究委員会でなこのポータルサイトの有効性を確認する議論と、そこに実際にどんな機能をつければいいのかを議論し、その結果が反映されたサイトが「器」として仕上がってきました。

この委員会では、メインの研究委員として、大学で専門的に研究している方が2名、過疎自治体の首長の代表として、昨年度は沖縄県東村(ひがしそん)村長、島根県江津市で現地の情報発信や移住の情報発信などさまざま活動をしているかわべまゆみさん(この人がものすごくパワフルなのだ)、そして僕が入って、主に5人ぐらいで議論してきました(他に、各種関係団体からオブザーバーが入っている)。

(by paco)たまには六兼屋の話を書きましょう。

六兼屋ができたのは21世紀の冒頭、2001年1月でした。今、ちょうど6回目の初夏を迎えています。丸5年経過して、六兼屋、特に庭のようすは激変しました。「開拓」時代をようやく終えて、楽しめるガーデンに変わってきた感じています。ようやく、「こういうものがほしかった」ものが、形になってきました。

六兼屋についてはずっと書き続けていたのですが、けっこう前の話になるので、最近の読者や、六兼屋ってどんなところだったんだっけという方はこちらのバックナンバーページから、右の真ん中あたりの「Dライフ」と書いてある記事を見てください。

(by paco)日本人にとっては、特に子どもたちは、勉強はやりたくないものの代表格ですが、これっておかしなことだよなとずっと思ってきました。勉強は、今の僕にとってはおもしろいことです。そして学びたいから学ぶもので、仕事のためとか、何かの役に立つからという動機はそれほど重要ではありません。

勉強が嫌いになる条件をていねいにはずして、勉強のおもしろさをうまく引き出したら、子どもは進んで勉強するものなのか? ずっと気になっていて、その答えを知るために子育てしてきたようなところもあります。
中1の娘pollyが不登校になったという話は無料版の方で書いたのですが、その後の彼女の勉強ぶりはというと、これがちゃんとやっているのですね。

学校に行っていないので、とりあえず学校でどんなことをやっているのかだけでもわかるようにと、進研ゼミを進めてやってみたのですが、これをよくやっています。といっても、1日平均すれば1時間程度?しかやっていないと思うので、学校に行くよりははるかに少しの時間しかやっていないのですが、それで進研ゼミのカリキュラムは普通にこなせるようです。