2006年7月アーカイブ

(by paco)湾岸戦争については、10数年前なので、覚えている方がほとんどだと思います。イラクが突然隣国のクウェートに侵攻して占領したことに対して、当時大統領だったパパ・ブッシュが国連などを通じて撃退を呼びかけ、多国籍軍を編成し、圧倒的な軍事力でイラク軍をクウェート領土からイラク領に押し返した戦争でした。

この戦争が起きた背景には、米国のイラクに対する挑発があったといわれています。当時、イラン=イラク戦争が終結して間がなく、イラクは対イラン戦争のために組織した100万人の陸軍力を持つ、中東一の軍事強国になっていました。この軍事力は中東の軍事バランスを崩すものだったため、米国はイラクを挑発してクウェートに侵攻させ、それを口実にイラクの軍事力を大きく削るという目的があったのです。

イラクのフセイン大統領は、クウェートはもともと自国の領土だと主張していました。クウェートが国境付近の油田でイラク領内の油田を「盗掘」していることに対して、「軍事行動を起こそうかな」と発言していたのですが、これに対して、米国は「中東の域内の紛争について米国は緩衝するつもりはない」という趣旨の発言を起こったのです。これを、フセインは「イラクがクウェートに軍事侵攻しても、米国は黙認する」というメッセージと受け取り、クウェートに侵攻したのです。

(by paco)前回までのところで、民主国家の政府が戦争という意思決定を行うに当たって、
メディアを必要とし、そのためにメディアを舵取りするためのしくみを用意しているという点について書きました。放送も新聞も、政府に経営や存在の首根っこを押さえられることによって、基本的に政府の意思に反する報道や主張がしにくく、また政府が本気になって押さえ込もうと考えれば、かなり露骨にコントロールすることができるのです。

放送メディアも新聞も、「報道の中立」を建前にしています。しかし、実際には中立ということ自体を明確に規定することは難しく、企業としての存在も政府のコントロール下にあるわけですから、その「中立」が実際に立っている場所は、かなりべったりと政府よりになり、客観的な報道や政府・軍に不離になるような報道は限りなく不可能になっていくのです。

(by paco)Life Designの話をこのところ休んでましたが、やっていないわけではなく、[各ネタ]としてまとまっていないだけです。引き続き、Life Design Dialogueを受けたいという方は歓迎中ですから、メールをください。

今回は、今Life Design Dialogueに来てくれているZさんに出したメールから、内容を一部変えて、書きました。Life Design上、仕事をもっとやる必要があるけれど、ゆとりのある生活もしたい、という話に対して、僕が書いたものです。

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ゆとりがほしいというのはわかりますが、ゆとりというのは、働く時間が短く、それ以外の時間が長いことだけをさしているわけではないと思います。

自分の仕事時間がコントローラブルであることと、働く時間そのものの長短は、必ずしもイコールではありません。それと、自分がやりたいこと、やるべきことをやっていると、本当にいろいろやりたいことが増えていくので、どうしても時間はそこにかけてしまいます。ゆとりというのは定年後の高齢者が公演で時間をつぶすことではなく、自分が今何をするか、選べることだと思います。

(by paco)前回は、日露戦争以後、民主的なしくみを持つ政府が国民から戦争の支持を取り付けるために、情報をコントロールし、戦争遂行に有益な情報だけを流すことで、大衆の支持を得るという方法がとられるようになった、ということについて書きました。そしてそのような情報をコントロールし、限定的な情報を発信するためのツールとして、マスコミが利用されてきました。

日露戦争(1904?05)から第一次世界大戦(1914?18)にかけては主に新聞がその役割を担ってきました。日露戦争当時は日本は主に欧米の新聞記者に対して情報提供を積極的に行い、それがイギリス市民の支持を得て、繊細の発行がスムーズになったということは、前回も書きました。その後、第二次大戦(1939?1945)になると、ラジオが主役の座につきます。新聞に比べてラジオは速報性があり、また文字よりも音の方がはるかに人間の感受性や感情に訴えるために、影響力の大きなメディアになっていきました。さらにその後のベトナム戦争(1960-75)ではテレビ映像と写真雑誌による画像というビジュアルなメディアが大きな影響力を持ちます。ベトナム戦争では、従軍記者による激しい戦闘シーンや虐殺シーンがそのままテレビによって各国の家庭のテレビに流され、それが米国での反戦運動につながって、米国は撤退せざるを得なくなったと考えられています。

(by paco)テーマ:「変革のリーダーシップ」
○冨山和彦氏(株式会社産業再生機構 代表取締役専務(COO))
○星野佳路氏(株式会社星野リゾート 代表取締役社長)
○後藤英恒氏(株式会社東ハト 取締役副社長 )
○小城武彦氏(株式会社産業再生機構、元カネボウ株式会社 取締役兼代表執行役社長)

■外部からの力を使って変革の難しさとメリット

小城●冨山さんの使命でカネボウに行った。年功序列の会社。カネボウでは44歳は普通課長。なのに、社長として入った。プロパーばかりで外部から人材の違和感。社長とは、仕事をせずに神輿に乗っていい暮らしをしているのが社長という目で見られた。再生のためになることしかしない。言いにくいことをからっと行ってしまうキャラで攻めた。
後藤●ユニゾンキャピタルから、会社更生中の東ハトに入社。カネボウと同じ状況。外からの人間として、いいたいことを言ってきた。「なんで坊や」と呼ばれた。「なんでこれをやってるんですか?」と聞き続ける。朝一番早くいて、夜いちばん遅くまでいて、仕事をしてきたことが信用につながった。

(by paco)あすか会議、day2に行われた第三セッションは、「教育」「グローバルビジネス」「文化芸術」の3セッションが行われました。pacoは教育を選択、以下にレポートします。


テーマ: 「好きこそものの上手なれ」型人間大増産プロジェクト
?私達は学校教育に対して何が出来るか??
○漆紫穂子氏(学校法人品川女子学院 校長)
○平石 明氏(株式会社スプリックス 代表取締役社長)
○梅田真氏(株式会社公文教育研究会 グループ人事室・室長)

■日本の学校の問題点

漆紫●縦割り行政、目的指向ではないやり方が多い。
平石●国にビジョンがない。中国では「国際競争力のある人材」をビジョンに掲げてパワーポイントと英語で授業をやる
梅田●自由度がない日本の学校。子ども12人、教員9人の分校でも、個別指導ができない。公文が中国に入っているが、貧富の差がつきすぎることに公文が貢献していいといえるか?ビジネスとしていいのか? なんのために日本では勉強するのか。それが日本では見えていない。

(by paco)2日間にわたって行われたあすか会議の、day1の第2セッションは、「環境」「キャリア」「スポーツ」の各部課に分かれて行われました。

pacoは当然のごとく「環境」を選択。今年のあすか会議は、山梨県小淵沢のリゾナーレで行われたのですが、経営は日本トップの環境経営リゾートの、星野リゾート(株)ということで、リゾナーレで実際にやっている環境経営を現場で見て体験しようというセッションを行いました。一部で押しかけキュレータをしながら、事前申し込みをすませた30人ほどの参加者と、わいわいと楽しみました。

この分科会は、実際の見学ということと、僕自身、星野リゾートの環境経営については以前からずっと取材してきたので、特に目新しいことはなく、まとまったことを書くのはいささか面倒なので(いろいろな場所で書いてきたし)、ひとまず、こちらの資料を見ていただくことで、星野リゾートの環境経営の基本的な考えは理解してもらうことにしましょう。
pacoが書いたぼらんたーるの記事(PDF 9MB)
去年のあすか会議
星野リゾートの環境セクターの若きリーダー塩手さんのブログ

(by paco)今週末、7月8日、9日にグロービスのあすか会議が開かれています。今回は、その第一セッションの模様を中継風にレポートします。


■あすか会議とは?
Assembly For Synergy,Knowledge,and Ambition
ネットワーク,能力開発、こころざしを養う場。

グロービス代表の堀義人さんの発案で、「ダボス会議」の日本版とも言うべき性格を持つ会議として、昨年、ならで第一回を開催。今年は第2回になります。

■堀義人さんのあいさつ

家族と一緒に来て楽しめるような会にしたい。ハーバードも同じ。
誰もが手弁当。これはダボス会議も同じ。小泉純一郎もヨルダン国王も同じ名簿に載る
来年以降もこの週で実施したい。

(by paco)マスメディアが、民主国家の戦争に最初に大きな役割を果たしたのは、ほかならぬ日露戦争でした。

19世紀半ばに発明された電信システムは、欧州を皮切りに、大西洋をまたぐ海底ケーブル、さらに大英帝国の植民地であるインドや中国へをケーブルを伸ばしていきました。日本でも明治維新直後にはすでに東京横浜間の電信が開通し、19世紀末までにはアジアも含めた世界中に電信網が構築されていました。つまり、遠く離れた地球の裏側の情報も、電信によって瞬時に伝送できる状況になったのが19世紀末だったのです。

そんな中に起きたのが1904年に始まる日露戦争でした。欧州の大国ロシアと、極東の小国日本との戦争は、欧州の人々にとっても関心の高い戦争でした。特にインドやアジアに利権を持つ大英帝国にとって、日本がロシアと戦うことは、ロシアの南下、中国への進出を食い止めることを意味していたため、日英同盟を結び、英国は日本を支援していたわけです。

(by paco)前回の「民主国家が戦争をする理由(1)」の続きです。といいつつ、ちょっとタイトルを変えてみました。

論理思考を学びたい人にとっては、このふたつのイシューの違いについてよく考えてみることをおすすめします。

(1)民主国家が戦争をする理由
(2)民主国家に、戦争ができる理由

このふたつの違いをうまく説明してみる、ということです。で、これについてはまた後ほど、ということで、本題に入ります。

前回、「民主国家では、自ら戦場にたつ可能性がある市民が国としての意思決定を行うので、(みんな死にたくないから)大きな戦争は起こさない」というしそうについて書きました。そしてその考えが、20世紀のふたつの大戦で完全に否定されたわけです。

では民主国家とそうでない国家では、戦争の意思決定のメカニズムに、違いがなかったのでしょうか、それとも意思決定は違っていても、戦争は起きたのでしょうか。

民主国家以前の、王権が強い国家では、戦争は主に王やその周辺の少数の貴族が恣意的に決めていました。一般国民はこの意思決定にはかかわりがないと考えられたわけです。

(by paco)エコジャパンカップ公式ポットキャスティングで、バイオマスや太陽光エネルギーについて取材しているのですが、改めて、バイオマスエネルギーが普及しない理由が見えてきました。

バイオマスとは生物資源量のことで、通常はエネルギーに使える生物資源を表しています。いちばんわかりやすいのは「薪(まき)」で。樹木を切って燃やすことで暖をとれば、バイオマスエネルギーの利用になります。バイオマスエネルギーは、コミトンでもなんとも触れているとおり、石油や石炭、天然ガスと違って、燃やしても大気中のCO2量を増やさないことから、気候変動(温暖化)対策の重要な手段として、以前から注目されています。