(by paco)以前から改めていたテーマを少しまとめて書いてみようと思います。どのぐらいの文章量になるかわからないのですが、とりあえず1回ではすまないと思うので、連載ということにします。
以前にもどこかに書いたのですが、民主主義という考え方は、人類史上比較的新しいもので、古代ギリシャや古代ローマの一時期を除けば、18世紀のものです。
18世紀、なぜ民主主義という考え方が生まれたのか、改めてかんたんに振り返っておきます。それ以前の時代は、16世紀後半頃から、つまり日本でいう安土桃山時代ぐらいから、ヨーロッパでは「絶対王政」の時代です。カトリック教会の力が強く、地域ごとに小規模な王が乱立している時代を終えて、教会から権力を取り返すという動きが欧州各地で起こったのが16世紀ごろ。地方単位ではなく、国という単位をまとめ上げられる協力で集権的な王権が成立し、イギリスのチューダー王朝やフランスのブルボン王朝(ルイ14世とか)などの強い王権をもつ国が発展していきました。
広い地域に強力な支配権を持ったことによって、王は余剰の富を集め、華美な生活を送るようになります。その過剰な富を使って、欧州では絶対王権同士の戦争が繰り返され、一般庶民の生活は困窮していきました。強力な王権に富と権力が集中したために、その余剰を王が恣意的に使えることから争いが起こると考えられたわけです。
このような状況の中で、王や皇帝には国を恣意的に動かす権限はなく、王権より、個人の権限のほうが大きいと考える主張が出てきました。個人の考えを結集すれば、個々人の意思に大きく反する政治は行われないだろうと考えたわけです。
それより数百年前、13世紀のイギリスやフランスでは、やはり王の権力の乱用を防ぐために、権力の行使(特に課税)には、議会の承認が必要であるという考えが生まれていました。しかし、この時期の議会は国民全体ではなく、各地の豪族などいわゆる貴族階級が合議して決める会議であって、簡単に言えば、税金を取り、使う権限は、王より帰属の方が持っているのだぞという主張だったのです。これに対して、18世紀の、民主国家が生まれる段階では、より協力になった王権に対して、貴族だけでなく、一般市民の合議によって王の権力を制限したり、さらに進めて王は不要、合議ですべてを決めるという主張が生まれてきました。
これが、近代的な意味での民主主義で、この考えに基づいて、市民が、横暴な王を追放する権利があるという思想が生まれ、これが1776年のアメリカ合衆国独立(アメリカ市民がイギリス王から分離を図った)、1789年のフランス革命(フランス市民が王を処刑した)という、民主国家の誕生につながったわけです。
このような経緯があるので、民主国家が成立した18?19世紀頃は、「絶対王政が倒れて民主国家になれば、戦争はなくなるか、あっても、「絶対王権国家からの侵略に対する、防衛としての戦争」しかないはずだと考えられていました。戦争は富が王に集中して、王が有り余る富を「無駄遣いする先」が戦争だと考えられていたので、「富の使い方をみなで合議で決める」民主国家では、戦争は起きないと考えたのです。一般市民は自ら戦地に赴いて死ぬかもしれないとしたら、市民は戦争を進んでやろうとはしないだろうという発想だったのです。
最初の市民革命である、米国独立、フランス革命から、ほぼ100年かけて、欧州では民主革命が各地で起き、19世紀後半のドイツとイタリアの独立で、欧州は各国が民主的な要素をもった国に生まれ変わりました。日本の明治維新はまさにこのタイミングで実行されたわけで、その意味で明治日本はドイツやイタリアと並んで、最後発の市民革命の国として何とか滑り込んだことになります(民主的な国といっても、国によってその権限の強さにはばらつきがありましたが)。
というような経緯を見ながら、気がついてほしいことは、「民主国家になれば、大きな戦争は起きない」という思想がこの時期までは有効だったということです。しかし19世紀を終えて20世紀に入ったとたんに起こった第一次世界大戦が、悲惨な長期戦になり、ヨーロッパ中が荒廃しきってしまったことは、欧州の民主思想にとっては大変なダメージでした。なぜ民主国家同士なのに戦争が起き、そして絶対王政の時代以上に悲惨な結果になったのか。この問題が、20世紀初頭の欧州の思想家の大きな関心事になっていきます。
「民主国家は大きな戦争はしない」という思想は、今では単なる思いこみに過ぎないことを、僕らはよく知っています。では、国民の意思が結集されているはずの民主国家で、国民の多くが「戦争は好まない」にもかかわらず、なぜ大規模な戦争が起こるのか。その点について、次回考えていきます。
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