2011年1月アーカイブ

(by paco)今週は二本立てです。


■スマートフォンはどこがスマートか?

去年秋に発売されたauのアンドロイド携帯第一弾「IS03」を買った。知っての通り僕は何かにつけてものにこだわる方なので、よく「iPhoneは持ってないんですか?」と聞かれていたのだが、そう、iPhoneは持たなかった。

長年auと契約していて、スイッチするのがめんどうだったし、Softbankの3G回線のインフラ密度と速さをいまいち信用していなかったこともある。それにiPhoneはApple製で、まあだいぶ昔にMacをつかっていろいろとめんどうや不自由(Windows系との連動やwebサイトが提供するツールバーが使えないとか)が多かったので、トラウマになっているということもある(もちろんMacのよさもよくわかっているのだけれど)。それに、音楽プレイヤーとして考えると、iTunesとの連携になり、「母艦PCの奴隷」という基本構造があるのだが、母艦自体を複数使っている(東京と六兼屋とか)僕としては、これが一番めんどうなのだった。

スマートフォンに当たる機能は、もちろん大昔から使っていて、ZaurusにWi-FiやCFカード型のau回線をつないでとか、他にも説明してもわかる人がいないぐらい変ったマシンも使ってきた。Zaurusについては、メールはばっちり使えたし、スケジューラ、Officeとの連携、webも基本的にはできて、アプリもある程度揃っていて今のスマートフォーンとの決定的な違いはない(そういえば音声電話はできなかったけど)。

(by paco)排出量取引のこんなニュースを見たのだが、そこから深めて、哲学の話をしてみよう。

■CO2排出枠を家庭から売る仕組みを経産省などが検討中

1月7日に流れたニュース。

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ある家庭が省エネ家電で二酸化炭素(CO2)を削減した際、それを企業などに「排出枠」として売れるようにするにはどうしたらいいか。経済産業省と電機関連4団体がこの仕組みを作ろうと検討を始める。

経産省によると、省エネにすぐれたエアコンや冷蔵庫、テレビなどを買い、これまでより減ったCO2を「排出枠」とする。売り手は家庭、買い手はCO2削減目標がある大企業。家庭は削減分がお金になるし、大企業からすれば、排出枠を買って削減目標に近づけることができる。売買の仲介は商社などが担う。
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このしくみは、2003年に僕が「環境経営の教科書」を書いたころから僕が言い続けてきたもので、とにかく、日本中(世界中)あちこちに排出枠を発生させて、それと売れる状況をつくれば、温暖化対策が進む、という考え方。排出量のカウントの仕方には注意が必要だが、省エネ性能の評価を、単にメーカーの表示に頼るのではなく、実際に電力計を付けて一般家庭で実証し、データを集めてから行えば、かなりの精度が期待できるので、排出枠を売ることと実際の削減量に大きな乖離が起きることは、ないだろう。

では、創り出した排出枠は誰が買うのか。

(by paco)<おとなの社会科>で「罪と罰」というテーマをやっています。day1の内容については、JINさんがまとめてくれたので、こちらをみてください。


◆何が罪とされるのかは自明ではない

day1では酒井法子の薬物使用事件を取り上げ、なぜ薬物使用が罪になるのかを考えました。

最初に断っておかないと、いつも言われなき批判の対象になるので、断っておきますが、僕は、薬物使用に賛成しているわけではないし、薬物の怖さについてもたぶん普通の人以上に研究しているし、容認するつもりはありません。

とはいえ、薬物使用の意味を原理的に考えてみると、なぜ罪に当たるのかを説明するのは意外に難しいのです。それ故に、よけいに難しい問題です。

JINさんは上記のページで

「法律は、他人を傷つける行為は罰しますが、自分を傷つける行為(自傷行為)は罰しないからです。薬物の自己使用は自傷行為に過ぎないのに、なぜ、処罰されるのでしょうか。それが、ここでの問題点です。」

(by paco)2011年最初のコミトンです。

今年は、六兼屋ができて10周年で、10年前の1月18日に、引き渡しを受けました。それ以来、東京と八ヶ岳を往復する生活を10年続けてきました。25年ローンも10年分かえして、でもまだまだだなあ(^^;)。

そもそもなんで六兼屋をつくったのか、どんな生活を始めたのかについては、知恵市場第二期に詳しく書いているので、そちらも参照してください。右のオレンジの下の方に「Dライフ」というタイトルの記事リンクがあります。

※文字化けすることがありますが、リロードするか、文字セットを変更すると読めるようになります。

上記のページはリアルタイムで書いたものですが、改めて、六兼屋の10年をざっくり振り返ってみたいと思います。

◆六兼屋をつくるまで

僕も妻も東京生まれなので、田舎に郷愁はありませんでした。でも、田舎的な環境については、東京生まれだからこそ、大事にしたかった。