2010年7月アーカイブ

(by paco)参議院選挙で民主党が負け、みんなの党が躍進した、ということになっています。といっても、みんなの党は参議院でやっと11議席、衆議院で5人の少数政党であることには代わりありません。

とは言うものの、一気に10議席を伸ばした今回の参院選挙の結果は、躍進と言っていいでしょう。

そのみんなの党は、マニフェストではなく、アジェンダという名称で政策を提示しています。「わかりやすい」「新しい」と何となく評価の高いみんなの党ですが、僕はけっこう危うさを感じていて、今週はそんな話をします。

最大の危うさは、「わかりやすさ」の中にあります。

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参院選に勝って、政権のキャスティングボードを握るようなポジションにあるみんなの党ですが、民主党をかなり激しく批判し、アジェンダを共有できないなら、政策協調はしないと言っています。

(by paco)映画「告白」を見てきました。

湊かなえの同名の小説の映画化で、今年6月に封切られてから、注目されてきた作品です。といっても、実は僕はこの映画も小説のことも知らず、偶然見つけて見に行ってから、「注目されてますよね」といわれることが多く、なるほど?そういう映画なのかと認識した次第。

もともと別の映画(「ロストクライム 閃光」)を見に行くつもりでネットを見ていたら、「告白」にぶつかって思わずこっちを先に見に行った、というような衝動見、でした。主演の松たか子は、もちろん知ってはいたものの、ちゃんと作品を見たのは初めてで、女優としてもあまり期待せずに見に行ったし、原作も知らないし、というわけで、ほとんどまっさら、先入観なしに見たのですが、「おもしろかった」。

いじめだとか、こどもがこどもを殺す殺人だとかがテーマなので、ストレートな意味でおもしろいわけでは、もちろんないのですが、映画を評価する視点としては、「おもしろい映画」と言うべきなのではないかと思います。

まだ上映中の映画ではありますが、すでに封切りから1か月以上たつし、原作も広く読まれていることなので、あえて「ネタバレ」で書きます。これから映画を見ようという人は、見終わってから読んでください。

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この映画のメッセージをどのように理解するか、人によって違うと思います。

(by paco)<おとなの社会科>をやっていると、僕がいろいろな知識、ネタを持っていることについて、「どのように情報収集しているのですか?」と聞かれることが多いのですが、僕自身は「自覚的にやっているのは、自分なりにテーマを決めているだけで、あとは引っかかってくる情報を吸収しているだけ」というような感じで答えます。実際、何かについて必死に調べた、というのは、9.11についてと、太平洋戦争の開戦前後についてだけで、ほかは仕事や興味のおもむくままに、しかも、時間もかけつつ蓄積したものです。

ただ、テーマの切り口は、なるべくユニークなものにしたい、というか、漠然としているより、何か自分のあたまの中で関心がシャープになるように心がけています。

今、興味があるテーマはふたつあって、ひとつはロシアについて、もうひとつは1968年について。両方とも<おとなの社会科>のテーマにしたのに、今ひとつ切り口が見えていない、というのもあるのですが、特に今、気になっているのが1968年です。

1968年?

(by paco)先々週の記事を受けて、仏教の話を続けます。

仏教の本来の教え(原始仏教)は、どこまでも個人主義な教えでした。修行と瞑想をして自分が解脱すればよく、せいぜい、まだ解脱していない、解脱を求める人を指導するぐらいが、解脱者(僧侶)の役割です。

実は、その意味で、原始仏教の形を現代に再現したのは、あの「オウム真理教」でした。オウム真理教では、輪廻転生の意味を教え、世俗的な生活から出家して修行によって解脱を達成する。教祖たる麻原彰晃は、弟子を指導するグル(導師)である、という位置づけで始まり、この原始仏教的個人主義が、多くの信者を集めたのでした。仏教は今の時代にも実はリアリティを持った教えであることを、図らずもオウム真理教が示したのです。

しかし、グルと弟子との強力なつながりは、次第にグルに対する弟子の、個人的な絶対服従に変質しました。あれだけの大きな教団でありながら、弟子、特に高弟たちは麻原との間に個人的な服従関係を結んだ結果、弟子と弟子の間の情報交換や共同性がなくなり、麻原が個別の弟子に個別の使命を与えた結果、弟子は互いに何をやっているのかが見えなくなって、残虐な犯罪を防止する機会を失ったのです。

という話については、仏教から外れるので、またの機会にしましょう。