2010年8月アーカイブ

(by paco)前回の続きを書きたい。

前回の最後に、

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ここでひとつ注意しておきたいのは、社会とは、そのまま国や自治体など、行政を意味するとは限らない、ということだ。むしろ共同体と考えるべきで、米国ではそれが時に教会や宗教団体が担うこともある。大陸欧州では、宗教から離れて、地域コミュニティが担っている。

日本では、コミュニティが崩壊して久しく、それが社会を崩壊させているために、国や自治体の負担がひたすら増えている。「社会=行政」ではなく、「社会=コミュニティ」をいかに機能させるかが、今の課題と言えるわけで、ネグレクトの問題も、コミュニティの機能不全の問題として捉える必要がある。
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と話した。

今、多くの人が注目している「児童虐待・不明100歳問題」については、メジャーなメディアでは、識者が「国は何をやっているんだ」「児童相談所は?」「民生委員は?」「縦割り行政が悪い」「杓子定規の行政が悪い」など、行政の不備を非難する論調が多い。しかし、これは大きな視点で考える時には、妥当ではない。

(by paco)7月30日(2010年)、大阪市西区のマンションで、2人の幼児が育児放棄(ネグレクト)によって志望しているのが発見され、大きく報道されている。

育児をしていたのは23歳の独身の母親で、風俗につとめながら育児していたものの、育児を放棄するようになり、ついにこどもは真夏のマンションの部屋で餓死したと見られている。「足が埋まるほどのゴミダメ状態」と伝えられる現場を想像すると、心が痛む、などという表現では足りないけれど、今回はそこには踏み込まずに、考えていく。

■児童虐待は「増えて」「深刻になって」いる

まず確認しておきたいのは、こういった育児放棄や虐待による子供たちの被害が多くなっているように感じられるけれど、本当か、という点。

実はこの問いに答えるのは意外に難しく、「増えていると考えられるが、証拠はない」というのが答えになる。現実に、日本の社会の中で、たとえば過去50年をとってみた場合に、虐待が増えているのかというと、そもそも統計がないので難しい。児童相談所は50年前からあったものの、虐待をチェックする機能はここ10年ほど前に整えられたもので、それ以前は社会制度的な観点でのチェック機能はなかった。また、制度化のあとも、児童相談所に持ち込まれる件数と現実に起きている件数との間にどのような関係があるかを正確に把握することができないために、実数はさらに闇の中だ。

(by paco)先日、持続可能社会の実現に向けて社会的な活動をしている「Tさん」とメールでやりとりしていたのですが、その中での話を書こうと思います。

持続可能性を実現するために、今何をする必要があるのか、というような大きなイシューの中の話になるのですが、持続可能性というと、パーマカルチャー(持続可能な農業)とか、コミュニティ再生とか、サステナブルコミュニティとか、そんな話になることが多くて、なかなかディープな世界になります。

それはそれで、どんどんやっていけばいいと思うのですが、それだけではないだろう、と思うわけです。実際、それが答えなのか、主流になっていくのかと言えば、違うように思えます。この分野についてそれなりに理解している僕でも「なんか違う」と思えるのですから、一般のビジネスパースンには、そもそも何をいっているのかわからないという感じかも知れません。

持続可能社会の対極にあるのが、持続不可能社会で、要するに現代のような物質消費と使い捨ての社会です。ものとエネルギーを使い捨てにするだけでなく、今では人間まで使い捨てが恒常化し、使い捨てられないポジションに着くというだけで、「成功者」と見なせるぐらいです。これでは、実際「持続不可能」と言いたくなるわけですが、現代の持続不可能社会では、多分、企業の存続(投下資本の再生産)だけは「可能」だと思われているので、それさえ確保できれば、自然や人間が持続不可能であったとしても、「よい社会」と思われているのでしょう。

(by paco)産経新聞のサイトに、法廷ライブというコーナーがあり、話題になった事件の裁判について、詳細な記録が載ります。ちょうど今、秋葉原事件の記録がアップされていて、なかなか興味深いので、それについて書こうと思います。

秋葉原事件とは、一昨年、2008年(平成20年)6月8日に東京・秋葉原で発生した通り魔事件のことで、この事件で7人が死亡、10人が負傷しました。

犯人は静岡県で派遣社員として働いていた加藤智大で、レンタカーでトラックを借り、秋葉原に向かい、横断歩道にトラックで突っ込んで次々と横断中の人をはねたのち、トラックを降りて両刃のナイフを使ってさらに人をさし、17人を殺傷しました。

この狂気の事件は、連日メディアで報道されたので記憶に新しいと思うのですが、当時、逮捕された加藤容疑者の犯行の動機は、派遣先の自動車工場から派遣打ち切りにあい、さらに派遣の同僚からつなぎを隠されるような「いじめ」にあい、自暴自棄になった、と言うものでした。

(by paco)先週、知恵市場をフェードアウトさせようかという話を書いたのですが、どうしようかなといろいろ考えているところです。

そこで、どうするにせよ、このタイミングで知恵市場でやってきたこと総括しておくのはよいことだと思い、書いてみることにしました。

■知恵市場は、知恵の自由市場

昔話になりますが、知恵市場の出発点は、1997年頃、高橋Toshiさんが当時のパソコン通信「NIFTY SERVE」で出会ったメンバーを中心に、何かやろうと仕掛けたことが始まりです。そのまえに、Toshiさんはグロービスでネットを使ったコミュニティのチャレンジをしていて、GNETというフォーラムをNIFTY SERVEないに運営していました。会社の方針もあって、GNETを閉じてインターネットに移行するというタイミングに、グロービスと言うよりは、もっと幅広いテーマで集まっていたコミュニティを独立させて何かできないかと言うことになり、僕を含めて30名ほどが集まって、ネット上で激論が戦わされました。

その中でコンセプトが磨かれ、最後までそれに賛同したのが、Toshiさんと、僕と、阪本啓一さん(Surfrider)でした。