(by paco)前回の続きを書きたい。
前回の最後に、
-------------------------------------
ここでひとつ注意しておきたいのは、社会とは、そのまま国や自治体など、行政を意味するとは限らない、ということだ。むしろ共同体と考えるべきで、米国ではそれが時に教会や宗教団体が担うこともある。大陸欧州では、宗教から離れて、地域コミュニティが担っている。
日本では、コミュニティが崩壊して久しく、それが社会を崩壊させているために、国や自治体の負担がひたすら増えている。「社会=行政」ではなく、「社会=コミュニティ」をいかに機能させるかが、今の課題と言えるわけで、ネグレクトの問題も、コミュニティの機能不全の問題として捉える必要がある。
-------------------------------------
と話した。
今、多くの人が注目している「児童虐待・不明100歳問題」については、メジャーなメディアでは、識者が「国は何をやっているんだ」「児童相談所は?」「民生委員は?」「縦割り行政が悪い」「杓子定規の行政が悪い」など、行政の不備を非難する論調が多い。しかし、これは大きな視点で考える時には、妥当ではない。