2009年4月アーカイブ

(by paco)豊かさについて、もう少し続けます。前回までに

●選択肢が広く、選択する力がある
●社会の中での孤立感なく、存在できる
●良きエリートが社会をリードするしくみがある

という話をしました。今回は、

●世界との協調し孤立感を排除、独自性の存在感を出す

というテーマです。

この話は、実は2つ目の「社会の中での孤立感なく、存在できる」で話した意味合いを、個人ではなく、国という集団に当てはめたものです。

社会の中で個人として孤立していない、尊厳を持って存在できるということは、個人の豊かさにつながります。しかし、そうやって存在している社会自体が、それを含むもう少し大きな社会の中で孤立したり、尊厳(存在感)がなければ、個人の存在感もまた、希薄なものになる可能性があります。

もし、日本という区に(社会)に存在感がなく、他の国の人々から敬意を払われない国なら、どうなるでしょうか。

(by paco)今週も「豊かさの形・私論」というテーマで、QOLの高い社会について考えていきます。前半では、

●選択肢が広く、選択する力がある
●社会の中での孤立感なく、存在できる

というふたつについて考えました。今週はその続きです。


●良きエリートが社会をリードするしくみがある

昔は、エリートという言葉が嫌いでした。

力も氏素性もない若い世代は、エリートという概念が嫌いなのは当然で、なんでそんなわけのわからないものに自分たちの生活が支配されなければならないのか、という反発を持つものです。

それがエリートの否定につながっていくわけですが、今になってわかってきたことは、エリートの存在そのものを否定しようとしていたわけではなく、「かつて考えられていたエリートの概念」と、「そのころ存在していたエリートになるプロセス」について、否定したかった、またはその意味するところがよくわからず、不透明であるがゆえに、肯定できなかった、ということです。

(by paco)今週は、「豊かさの形」と題して、Quality of Lifeについて考えてみたいと思います。もっと言えば、Quality of Lifeの高い状態が社会に実現されているというのはどういうことなのか、ということです。

知恵市場を10年ぐらい続けてきて、知恵市場は個人個人にとってのQuality of Lifeを考える場であり、Quality of Lifeの高い個人の集合体が、社会のQuality of Lifeであるというように考えてきました。そのように定義していたというわけではなく、僕自身の関心が基本的に個人にしかなく、社会全体や企業全体についてはあまり興味がなかったからです。

企業の経営に関わるコンサルティングもするし、横浜市のように政策にも一部関わってきましたが、そのスタンスは、上位概念を変えることで、「個人がどのように豊かになれるのか」という観点から離れたくなかったのです。

そのスタンスは、今も、そして今後もそれほど変わらないと思うのですが、やはり政策に関わるようになると、考えざるを無いことも多くなり、今回は少し上から見下ろし目線から書いていこうと思います。

1b.jpg今年3月17日に、日本の主要な作業会の団体が連名で、新聞全面の意見広告を発表しました。日経と朝日に出したようなので、けっこう話題になったので、ご存知の方も多いと思います。また、広告を出している業界に属している方も多いと思います。

しかし、この意見広告、内容はなんとも無責任なもので、本当に情けない。詳細はこちらをみていただくとして、今週は、この広告を肴に一本書いてみようと思います。

■キャッチフレーズ

まず全体のメッセージを見てみます。ピラミッドストラクチャでいうところのメインメッセージはどこにあるのでしょうか? 本来はいちばん大垣されるキャッチフレーズにこめられているはずですが、そのキャッチは、「考えてみませんか? 私たちみんなの負担額。」なんとも遠回しな言い方ですが、負担額が大きいので、温暖化対策はやるべきではないといいたいと言いたいようです。