2009年2月アーカイブ

(by paco)横浜市の地球温暖化対策検討部会(審議会)で、市民からの「意見聴取」を行ってきました。12月から4回、おいでいただいた市民は、63名。個人、町内会、NPOなどの市民団体、企業、企業団体、市の政策に提言をしたい全国区の団体など、さまざまな属性の方にいらしていただきました。

国や自治体が市民から意見を聞く機会をようするのは今や常識で、ネット上で行われるパブリックコメントやタウンミーティングは必須です。しかし、今回、横浜市では、市にオフィシャルな政策提言を行う責務がある審議会が、市民の意見を聞くという形を取ることで、より実効性の高いものにしようと企画されました。

あれ? 市の職員や市長に直接意見をいうタウンミーティングやパブリックコメントの方が実効性があるんじゃないの?と思うかもしれませんが、実はそうでもないのです。市長は個人や企業からの意見を直接そのまま政策に反映させることは立場上難しく、市長が聞いていても、まず市の職員に検討させることになります。一方、市の職員は、聞いた意見の中から本当に有効なモノをピックアップする能力に乏しく、ピックアップできても、なぜAさんの意見は採用するべきで、Bさんの意見は採り上げないのかを判断することは、やはり「公僕」の立場上困難です。

(by paco)日経新聞が2月2日付で、「地球は寒冷化?」という記事を掲載しました。こちらのブログにスキャンした元記事があるので、読んでない方はみてください。

地球は温暖化している、という説が、一気に正反対の説が出てきたので、ネットの人々がこれに飛びついて、ほれ見たことかという感じで騒いでいるサイトも見られます。

※ちなみに、上記のサイトの筆者「スパイラルドラゴン」も、「騒いでいる」サイトのひとつですが、その中に「CO2発生量が化石燃料の採可年数を超えてしまう」といって、IPCCの仮説をバカにしています。しかし認識ミスはこの記事の筆者の方です。化石燃料の採可年数(総埋蔵量)は、これまでも大きく変動しています。また、メタンハイドレートやタールサンド、オイルシェールなど、代替燃料の埋蔵量は、非常に大きいのです。石油、天然ガスの埋蔵量だけを見て、「そんなにたくさん燃やすものがない」と指摘するのは、すでに視野が狭すぎるのです。

で、僕のように長年環境をやってきた人間は、この情報をどう見ているのか、書いておきます。

日本では早くから「地球温暖化」という言い方が普通でしたが、英語では「Climate Change」気候変動という言葉が一般的でした。Global Warming=地球温暖化という言葉は、アル・ゴアの「不都合な真実」がきっかけだったと僕は感じています。

(by paco)僕のライフワークのひとつ、「Life Design Dialogue」。今、何人の人が来ているのかカウントしていないのですが、だいたい20名ぐらいです。

今週は、Life Design Dialogueって実際のところ、どんな風にやっているの? という話をしましょう。


■スタートはゆるく

「あなたは今日からLife Design Dialogueのメンバーね」というような仕切をしていることもなく、たとえば昨日まで仕事上の付き合いの人が、「相談に乗ってもらえませんか?」という感じで始まるので、契約書を交わすワケでもなく、いつからいつまで、というような約束をすることもありません。「今日は自分の仕事や生き方の話を聞いてもらうために会いに来た」と思っている人は、僕にとってはすべてLife Design Dialogueのクライアント、ということになります。

けじめなく始めてけじめなく進む、という感じですが、もともとけじめという言葉自体あまり好きではなくて、けっこうゆるい方が好きな人なのです。仕事の場合は、けじめがあった方がやりやすいことが多いので、たとえば研修の時は、「おはようございます」や「こんばんわ」でスタートして、「おしまいです、お疲れ様でした」で終わるというやり方ですが、儀式性はなるべく少なくして、おっ、始まったのか、さくっと終わったなという感じで、盛り上がらない方がいい感じです。

(by paco)白川郷から戻ってちょうど1週間たちました(前回記事)。実際に現場に行ってみて感じることを、自分の頭で咀嚼し、言葉にするまでには、1-2週間タイムラグがあるもので、そういえば、コピーライターをしていたころ、取材をしては原稿を書くという仕事を繰り返していたわけですが、取材から執筆まで、たいてい1週間はあけるようにしていました。時間が空くことで、余分なノイズを忘却していき、取材内容の骨格が浮かび上がってくるのですね。

この間、白川郷に行ったことのある人にも合うことができて、「どうだった?」と聞いたら、「よかったですよ?静かで、落ち着いていて、癒された」というので、「合掌(づくりの民家)はほとんど店とかになってなかった?」と聞いたら、「なってました!」というので、僕は「ふう?ん……」と、うなってしまいました。

白川郷は歴史ある伝統的な場所、そしてそこは世界「文化」遺産ですから、伝統的な暮らしがあり、その暮らしを支える合掌(民家)がある。つまり外観としての合掌は伝統的な暮らしをないほうしているからこそ、「文化遺産」なのであって、中身から伝統が失われていれば、それは「文化遺産」ではないのではないかと考えてしまう自分がいます。

まあ要するに、もうちょっと素朴なところを期待していたわけで、というより、本来の伝統的な生活が残っているからこそ、世界文化遺産なのではないかと思っていました。少なくとも、この点については「裏切られた」わけです。