(by paco)391白川郷という世界遺産(2)

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(by paco)白川郷から戻ってちょうど1週間たちました(前回記事)。実際に現場に行ってみて感じることを、自分の頭で咀嚼し、言葉にするまでには、1-2週間タイムラグがあるもので、そういえば、コピーライターをしていたころ、取材をしては原稿を書くという仕事を繰り返していたわけですが、取材から執筆まで、たいてい1週間はあけるようにしていました。時間が空くことで、余分なノイズを忘却していき、取材内容の骨格が浮かび上がってくるのですね。

この間、白川郷に行ったことのある人にも合うことができて、「どうだった?」と聞いたら、「よかったですよ?静かで、落ち着いていて、癒された」というので、「合掌(づくりの民家)はほとんど店とかになってなかった?」と聞いたら、「なってました!」というので、僕は「ふう?ん……」と、うなってしまいました。

白川郷は歴史ある伝統的な場所、そしてそこは世界「文化」遺産ですから、伝統的な暮らしがあり、その暮らしを支える合掌(民家)がある。つまり外観としての合掌は伝統的な暮らしをないほうしているからこそ、「文化遺産」なのであって、中身から伝統が失われていれば、それは「文化遺産」ではないのではないかと考えてしまう自分がいます。

まあ要するに、もうちょっと素朴なところを期待していたわけで、というより、本来の伝統的な生活が残っているからこそ、世界文化遺産なのではないかと思っていました。少なくとも、この点については「裏切られた」わけです。

ただ、それを不満に思うことはありませんでした。自然に受け入れている自分がいました。

僕は以前に、「世界自然遺産」に登録されたばかりの知床に行ったことがあるのですが、このときにも、「世界遺産って何?」という点にはけっこう違和感があって、選定基準というのもよくわからないものがあったのですが、それ以前にそもそも僕らにとって「遺産」って何だろうと言うところもわからなくなってしまいました。

あなたにとって遺産とは、どんなものでしょうか。

僕自身は親から遺産をもらったことがないし(まだ生きてるし)、親もその親から遺産らしい遺産を受け取っていないし、その逆に、わずかな遺産相続でもめているところも見てきました。遺産をもらって、あんまり働かなくても生きて行けたらいいのにな、というようなことを考えたことも、ありません。自分は自分で働いて稼ぎ、生きていくんだと思っていたし、実際そうしてきました。そういうこともあって、遺産というものが一般的にどのようなものなのか、今ひとつイメージがつかめていないと言うこともあるのだと思います。一方で、環境問題なんかをやっていると、どちらかというと「負の遺産」という言い方のほうがよく出てくるぐらいで、ネガティブなイメージも強くあります。価値のあるものを遺産として相続できたとしても、たとえば高価な伊万里焼の壺を相続しても、売ってしまうわけにもいかず、保管には神経を使うし、価値はあるかもしれないけれど、使えないもの、というようなイメージもありえます。

では逆に、白川郷から、世界文化遺産とはなんなのかを逆に投影してみたら、どんな「遺産」が描かれてくるのでしょうか。

白川郷は、白川村の中でも、特に合掌が残されたごく一部の集落を指していて、白川村すべてが合掌の里というわけではありません。世界遺産の中心部は荻町と呼ばれる一角で、旧国道沿いに長さで数百メートル、道の両側に集落が広がり、合掌造りの家は全部で100戸ほどでしょうか。すべてが合掌というわけではありませんが、合掌以外の建物もある程度風景に融け込むようなつくりになっているので、全体としては合掌が多い小さな集落という感じに見えます。端から端まで徒歩で見て回るのに3時間ぐらいでしょうか(民家の博物館などを見る時間は別にして)。バスツアーで来ている観光客が1時間滞在というのがパターンのようで、この程度でも核心部分をさらっと見ることができるぐらいの規模です。

ちなみに世界遺産地区としては、さらに北に20km(インターチェンジ1つ先)、富山県に入った五箇山地区にも2箇所の集落が指定されていますが、ネームバリューは圧倒的に白川郷です。

この数百メートルの範囲の集落の中を、来訪者は徒歩で歩いて民家のたたずまいを見て回ったり、一部の大きな合掌が300円程度の有償で公開されているところを見たりするわけですが、回ってみるとわかるのは、合掌の多くがみやげ物屋や飲食店を経営していることで、みやげ物屋まわりのような感じもなっています。公開されている民家も、中は仏壇のある部屋を覗いて、公開向きに生活感覚はなく、古い民具が博物館のように展示されていたり、民家のおばあが同じ説明を延々とテープレコーダのように繰り返していたり(これはこれでなかなか風情ではありますが)、という感じで、少なくとも、集落を回る来訪者にとっては、伝統的な生活がそのまま残された集落、という印象はまったくありません。

その一方で、伝統的な雰囲気を期待する来訪者の期待をがっかりさせないためのくふうはそれなりにされています。電線が地下に隠されていたり、集落の中に現代生活に欠かせない自家用車をあまり置かないように工夫されていたり、みやげ物屋も、遠くから見ると目立たないように、でも集落の中の道を歩いているとちゃんとみやげ物屋、という感じで、まあまあ景観を崩さないぎりぎりのところを狙おうとしているのはわかります。僕の目からは、「ぎりぎり景観が壊されていない」とまで好意的に見ることはできず、ここまで店だらけじゃ、景観は台無し、に見えるのですが、それでも、写真に撮ってみると、みやげ物屋らしい目立ち方にはなっていないようで、写真の方がずっと「伝統的集落」という印象になり、近くに行ってみると「観光地じゃん」という見え方になっています。

ちなみにこういった見え方は、世界のほかの文化遺産にも見られることのようです。フランスの有名な海上修道院「モン・サン・ミシェル」も遠くから見ると、絵はがきのように、古くからある風景に見えるものの、実際に近くにいってみると、みやげ物屋だらけ、ということのようです。だとすると、世界文化遺産になったことを、白川郷もモン・サン・ミシェルもうまく利用して、観光で生活を成り立たせようとしているわけで、世界遺産というしくみは、もしかしたらこのあたりの意味から読み解くとわかりやすいのかもしれないと思い始めました。

高価な伊万里焼の壺のような遺産は、受け取るだけでは価値がありません。かえって、相続した人にとっては負担になるだけです。一方、親から土地を相続した人は、その土地にアパートを建てて経営すれば、引き継いだ土地が収入を産み、その収入で生活が豊かになると同時に、それをためておくことで、さらに自分の子供に相続させるときに相続税分も用意することができます。遺産は過去から引き継いだものですが、それをそのままの形で次の世代に渡す必要はなく、遺産の価値を残しながら、利用法を考え、利用方法から生まれる価値で生活を豊かにしつつ、次世代に相続するというメカニズムをうまくやれる人は、遺産の価値をうまく利用できた人ということになるのでしょう。親から引き継いだ土地を、親の時代のままに置いておいても、何の価値も生まないばかりか、さらに子供に引き継ごうと思っても、相続税だとかで、そのまま引き継ぐこともできないのが、今の時代です。

そこで、受け継いだ価値が目減りしない範囲で、ぎりぎり、今の世代らしい使い方をして最大の価値を生み出すように考えることこそ、遺産を受け継いだ現世代の役割であり、そういう「抜け目なさ」こそが、遺産を相続する要件にもなるのだ。と、そういうことを世界遺産は示そうとしているかのような気がしてきました。

受け継いだ遺産を、そのまま残すことに価値があるわけではなく、遺産の価値を現代の中でどのように高めていくか、抜け目なく考え、最大限利用する。そしてその「利用」によって貨幣価値を生み、それを使って遺産を守り、遺産の価値を高めて、さらに次世代に引き継ぐ。これこそが、世界遺産のねらいなのではないかと思うようになりました。

白川郷で言えば、伝統的な合掌だけ並んでいて、そこで伝統的な自給自足的な生活があっても、今の時代にフィットした価値、それはたぶん、金銭的な価値や人気、ブランド価値を生み出すことはたぶんないでしょう。合掌を残しつつみやげ物屋や飲食店にして、観光客の購買意欲をかき立てれば、古い合掌は現代的な金銭価値を生む装置になります。そのためには集落を歩く来訪者からはみやげ物屋に見え、ちょっと入って買いたくなるようにそそらなければならないし、その一方で全体の雰囲気や外観は以下にも伝統的な集落に見えるようにしておかなければなりません。クルマは集落の中心の旧国道だけに限定して、集落内はなるべく置かないようにする。看板の出し方を規制して遠景からはみやげ物屋に見えにくくして、町外れの丘に展望台を整備して、フォトジェニックなスポットを用意する。ここから全景をとれば、江戸時代とほとんど変わらない風景が写真に収まり、来訪者が満足する。

こうして年間150万人が訪れ、観光客が落とす金は絶大な額になるので、集落の観光課に反対してきた伝統的な生活をしている人たちも、納得せざるを得ないことになります。さらに、観光客が落とした金は集落の人を潤わせ、その金で、高価な合掌のメンテナンス費用に回し、次の世代に合掌を引き継ぐことができる。

こんなメカニズムこそ、世界遺産が密かに狙っていることなのではないか。つまりは、全世代からの「遺産」を、いかにうまく活用して、現世の利益につなげられるか、現世の利益になっているのに、その場の貴重さは失われずに次の世代に引き継がれるか。こういうメカニズムが働いてこそ、その遺産は真に遺産になるのだ、といっているかのようです。


白川郷を一通り見終わって、まだ日没までには少し時間があったので、高速を1つ先まで乗って、五箇山の菅沼集落も見てきました。こちらは白川郷と違ってずっと素朴で、観光化されていないし、集落もよく保存されていました。伝統的な生活も営まれているのが感じられ(田んぼも畑も白川郷よりもしっかり使われているようでした)、僕が期待した合掌集落は、五箇山の方がずっとイメージでした。だからといって五箇山菅沼集落が「現代的な価値」を発揮できてていないかというとそんなことはなく、みやげ物屋も飲食店もちゃんとある。ただ、その数が全体の集落の個数に対して目立ちにくいように存在しているし、商売っ気も薄く、住民の印象も優しい田舎の人という感じに見えました。そのわりに、集落の端にある喫茶店は、なかなか品のいいおしゃれさで、長居したくなる雰囲気がありました。

全体としては、五箇山の方がずっと好感度が高く、実は「白川郷より五箇山の方がいいよ」というのは、途中案内してくれた地元の人がいってくれた意見なのでした。

しかし、白川郷をふくめて世界遺産への登録を認めたのはまさにユネスコであり、世界遺産というものは、ある意味、古くからの遺産を現在感覚でアレンジして、アレンジのうまさゆえに、次の世代に残せる、というしくみを評価してるのではないかというのが、あるべき解釈だと感じます。

価値ある「遺産」であっても、今の時代の中でうまく活用し、富に変えていくしくみがないと、それを維持し、次世代に伝えていくことはできない。そのぐらい伝統を破壊する圧力は強く、守る力は弱い。そういう構造は、里山保全や自然保護とまったく同じ構造です。運良く、偶然が重なって残された伝統(遺産)より、人間が意図的に、何を守り、何を価値に変えようとしているのか、そしてそれが持続可能になっているのかどうか、ということこそ、世界遺産の評価のひとつの軸になっているのではないか。そんな気がした、白川郷でした。

白川郷の旅の写真はこちらから。
[写真館]白川郷、昼[写真館]世界遺産白川郷 ライトアップの夜景
[写真館]五箇山菅沼集落

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