2007年10月アーカイブ

(by paco)読者の皆さんはほとんど知らない「事件」だと思いますが、ある本がちょっとした話題というか、波紋を広げています。今週はこの波紋の意味を、読み解いてみたいと思います。

その本とは、「僕はパパを殺すことに決めた」で、著者は草薙厚子、講談社刊。草薙厚子は知恵市場で別の記事を書いているので、そちらも参照してください。

20071014(by paco)渋谷 妹バラバラ殺人事件裁判記録から
20071006(by paco)「普通の子ども」の犯罪、その本質に挑む

「僕はパパを殺すことに決めた」は、奈良県で起きた「医師宅放火事件」の犯人とされた17歳の少年の犯行を書いた本です。僕は読んでいないのだけれど、最初に注目したのは、今から1?2か月前の小さな記事で、「どこだかの図書館がこの本を貸し出し禁止にして公開書庫から引っ込めた」という内容だったので、あれ?と思ったのでした。

アマゾンにいって調べると、すでに新刊書は売られていなくて、古書は5000円を超える値段がついていました。関連するニュースを調べてみると、どうやらこんな話が見えてきました

(by paco)今週は、権利と責任、管理の問題について考えます。pacoさん、ちょっと怒っています。

「ヤマガラの森」の買収を完了させるために、ちょうどいま測量をしています。土地の公式な図面である「公図」というのが登記されているのですが、公図と実際の土地が完全に一致しているという保証はありません。隣地や道との境界を決めて、登記通りの面積があることを確定する作業が必要で、土地を実際に測って図面通りに杭を打ち、その結果で測量図をつくります。もちろんその作業は、資格を持った測量士によって行われます。

測量にはトラブルがつきもので、登記上は100坪なのに、実際には90坪しかない、ということになると、問題になります。「ヤマガラの森」の場合、一方は細いながらも公道に面しているので、公道との境界線を確定した上で、そこを基準に山側に向かって公図通りの距離を測量して杭打ちをすればいいのですが、この方法だと、「ヤマガラの森」が登記通りの面積を確保した結果、その奥の土地が狭くなってしまう可能性もあります。そうなると、地境の争いになってやっかいです。

(by paco)見えていないものを見る力を、想像力といいます。

僕は論理思考を教える仕事をしていますが、研修のなかではしばしば想像力、イマジネーションを強調します。論理と想像、そしてその先にある創造。この3つは、かなり強い関係があります。

想像力は、本当にないことを思い浮かべる力という意味合いもあり、この部分を強調するときには「妄想」読んだりします。しかし、今回僕がお話ししたいのは、実際にはあるけれど、見えにくいものを見る力であり、未だビジュアルになっていないものを、絵として具現化させる力のことです。

なんだか難しそうな感じになりましたが、こんな例を考えてみましょう。

(by paco)「人生のwhat?」のシリーズも今回でそろそろ終わりになりそうです。今回は僕自身のwhat?についてお話ししましょう。

今僕が意識的にもっているwhat?は、「環境問題の解決」と「ライフデザイン」です。

環境問題の解決というテーマがどのように出てきたかは、すでに今回の連載でも話したとおり、高校の時に初めて触れた「成長の限界」に代表されるような資源枯渇問題に気がついたことにあります。しかし、この点に注目するようになった背景には、当時大きな問題になり、教科書にも取り上げられていた公害問題です。

僕が育った1960?70年代は、高度成長のマイナス面が噴出した時代でもあり、水俣病やイタイイタイ病、四日市ぜんそくなどが深刻で、テレビでも被害のようすが盛んに報道されていました。社会の雰囲気も、安保闘争や左派によるテロが頻発していて、国や産業界がやっていることの問題があちこちに見え、それゆえに疑問出しや反対運動が現実的な力を持っていました。今のように、政府と産業界、そして市民が何となくひとつの向きに向いていた時代ではなく、政府や産業界などが提示する成長という求心力がある一方で、それに異を唱える考え方も多様で、今よりずっと説得力と存在感をもっていました。