(by paco)見えていないものを見る力を、想像力といいます。
僕は論理思考を教える仕事をしていますが、研修のなかではしばしば想像力、イマジネーションを強調します。論理と想像、そしてその先にある創造。この3つは、かなり強い関係があります。
想像力は、本当にないことを思い浮かべる力という意味合いもあり、この部分を強調するときには「妄想」読んだりします。しかし、今回僕がお話ししたいのは、実際にはあるけれど、見えにくいものを見る力であり、未だビジュアルになっていないものを、絵として具現化させる力のことです。
なんだか難しそうな感じになりましたが、こんな例を考えてみましょう。
僕が音楽好きなのは知恵市場でもたびたび書いていますが、Garnet CrowのライブDVDを最近よく見ます。このグループは、4人バンドなのですが、4人の役割が普通のバンドとちょっと違って、ボーカル、ピアノ、ギター、アレンジという構成です。アレンジャーが入っているところがミソで、ぱっと聞くとオーソドックスにもきこえるのですが、実はかなり凝ったアレンジをする、職人的な色彩が強いバンドです。
メンバーに不足している楽器は外部のミュージシャンを呼んできているのですが、必ず必要なのがドラムスとベース。アレンジャーの古井はライブではキーボードを操るので、これで6人編成、キーボードがダブルになるという構成です。しかし実際のライブはこれに留まらず、ぜいたくに人を配置しています。アコースティックギター、エレキギターを加える。こうなると、ギターが3本になり、さらにそこにストリングスかコーラスを3?4人、入れています。
CDで音だけ聞いていると、いろいろな音が入っているのはわかるのですが、具体的に何が鳴っているのかわからない部分が多い。ライブだと、メンバーがそれぞれ楽器を弾いているのは見えるので、ヘッドホンを付けて一生懸命聞いてみるのだけれど、どの楽器がどこで鳴っているのか、なかなかわからないのです。何しろ、アレンジャーの古井は自分の楽器だけでキーボードを5台ぐらい持ち込み、1曲の中で弾き分けていきます。おそらく、シンセサイザーにプリセットでいくつか音を設定しておいて、違う音を出しているのでしょう。シンセサイザーなので、基本的にどんな音でも出てしまう。だから、よけいに他の楽器と、古井が鳴らしている音の区別がつかないのですね。いわゆるキーボードっぽい音だけでなく、時にはフルートやケーナの音までシンセで鳴らしているのですから、映像とセットでなければわかるはずがありません。
必死に映像を見ながら音に集中してみると、それまでは聞こえていなかった音が聞こえてくることがあります。かすかに鳴っているアコースティックギターの音。エレキギターが歌とかぶらないように小さくユニゾンしていたと思ったら、サビに向けてぐいぐいボリュームを上げていったり、古井のキーボードと、ナナの電子ピアノの音もだんだん聞き分けられるようになってきます。
それ以前に、ロックやポップミュージックの場合、ベースの音を聞き分けること自体が意外に難しい。ピアノやギターの弾き語りを除いて、ベースがないポップスはほぼ皆無なんですが、楽曲になってしまうとどの音がベースかわからないのですね。イントロや間奏でベースがとぎれる楽曲だと、その瞬間は気がついたりするのですが。
この音の聞き分けと、想像力とはどう関係があるのかというと、論理思考で想像力を使うというのは、音楽の中から特定の楽器の音を聞き分けるのに似ているのです。楽曲になってしまうと聞こえていない音が、注意して聞き分けるときこえてくる。その時、視覚的な情報など、音以外の情報とセットにすると、もっとよくわかる。この、きこえないけれど、本当は存在していて、注意して見分けると見えてくる、というアプローチが、論理思考を加速させるのです。
こうして聞き分けてみると、聞こえなかったアコースティックギターのコードがどんな役割を果たしていたのかがわかってきます。ギターがなぜ3台あるのかというアレンジャーの意図のすべてはわからなくても、ああ、そういうことだったのかとわかる瞬間がある。音楽は、感性の芸術のように思われがちですが、実は非常に論理的にくみ上げられています。リズムは1秒間に90拍、4拍子、C調(ハ長調)、楽曲の構成は「A→A'→サビ……」というように。作曲のときも、メロディが着くのは一番最後で、それ以前にリズムや速さ、コード進行が何となく決まり、そのコードのいずれかの音を拾ってメロディーがつくられるというように、ロジカルなルールに則ってつくられるので、逆に言えば、感性がそこそこでも、楽曲として成立させることができるのです。
世の中に起きている、一見、論理性がないような事象でも、たいていのことには7?8割程度の論理があり、残りが偶然的に生まれた意思、ということが多いのです。そういう事象について、2?3割の思いつきや偶然の部分に注目して「これは思いつきでやったらうまくいった例だね」と考えてしまうと、7?8割の論理の部分を無視してしまう。論理が不適切なら、同じ思いつきも良い結果は生まれません。音楽がそうであるように、多くの物事も、大事なことはきこえてこない小さな音の中に含まれていて、無視したとたんに、本質の理解が遠ざかっていくのです。
僕がロジカルシンキング研修に使っているケースで、ミサワホームが出していた「リミテッド25」という低価格住宅があります。坪単価50万円程度が常識だった時期に、坪単価半額の住宅を投入するのですが、なぜこの商品が成功できたのかを説明するのが課題です。
こうした場合、受講者は、通常の半値という強烈な価格に気をとられてしまい、安いから売れたという理由ばかりを考えます。もう少し注意深い人だと、安いのに品質は十分高い、という点にも目を向けて、低価格と品質のふたつをキーラインにするのですが、実はこの商品の本質は、別のところにあります。顧客が求めるものが、きめ細かな対応による完全な自由設計が中心だった時代が終わり、専門家がもっとも使いやすいと考えて設計したオーソドックスな住宅で十分、という方高に変ってきたのです。戸建て住宅だから、施主の思い通りにつくりたいだろうという常識があるのですが、顧客の方は、あくまで「住まい」がほしいだけであり、比較対象としては建売やマンションも入ってくる時代です。建売住宅もマンションも、設計者が定番と考えられる設計をして、「平凡ではあるけれど、これはやっぱり使いやすく、住みやすい家なんだよね」と提示されたものを「確かにそうだよね」と買うことが普通なのです。
この考えをハウスメーカーがつくる戸建て住宅に当てはめれば、設計の自由度などいっさいなくても、使いやすそうで性能がいい、かつ低価格なら、それで十分だったんだと気がつき、そこに気がついた人々がこの商品に殺到しました。
つまり、「戸建て住宅を建てるならわがままにたてるべき」というように聞こえている音楽の中から、「顧客はワタシ専用の設計でなくても、住みやすい家ならよいとおもっている」という小さな演奏の音を拾い上げられるかが、この商品の秘密を解き明かすポイントになるのです。その小さな音を拾い上げるのが想像力であり、見えない音を聞き分ける力です。その音は、鳴っていないのではなく、ずっとそこで鳴っていた。でもなっていることに気がつかなかったり、気がついていても、どのような楽器の音かわからない。そういう状態の人は、「低価格」と「品質」というオーソドックスな楽器の音しか聞こえません。ボーカルとドラムの音ならわかる、と言っているようなものです。しかし本当にその音楽の魅力をつくっているのは、ギターのコード進行だったり、効果的に使われる民俗楽器の音色だったりするのです。
では、こういう見えていない音を聞き分けるにはどうしたらいいのでしょうか。残念ながら、手っ取り早い方法はありません。
基本的なアプローチの方法は、3つぐらいあります。
ひとつめは、自分の耳を疑うこと。聞こえている音がすべてと考えるのではなく、いまは聞こえていないけれど、必ずこの音楽を特徴付けている音が隠れているはずだというように、自分のいまの聞こえ方を疑い、聞こうと意識を向けることです。
ふたつ目は、観察すること。DVDを見て、楽器が思ったより多いことや、妙に楽器が重複していることなど、聞いていてはわからないけれど、見ればわかるというようなことに注目する。そのうえで、聞こえないけれど、演奏している瞬間を見つけることができると、目では見えるのに音としては聞こえない音があることに気がつきます。ここから意識の向けどころがわかります。
3つ目は、類推すること。類推とは、他のものに当てはめて、妥当かどうかを考える方法です。今ある仮説の絵を描き、それでいいのかを考えてみる。「安くて、品質がよい」住宅が、多くの人に求められているというのが今ある仮説なら、住宅以外ではどうかと考えてみる。安くて品質がよいモノが売れる分野もあるけれど、それならユニクロやGAPの服が一番売れて、ブランドの服は売れないことになりそう。ダイエーだって、もっと売れてもいいはずです。類推であると同時に、これは自分の仮説の汎用性を確かめるという意味合いもあります。他の商品や他の場面でも通用する、一般性の高い法則なのかを考えるためには、類推や推論、あるいは実際に自分や友人がその商品を買うときの場面を想像してみるとわかってきます。
こうしてみてくると、ひとつ目もふたつ目も、想像という意識の使い方が共通していることがわかります。きっと何か聞こえていると想像する。音が鳴っている様子を想像する。場面を思い浮かべたり、別の場面に置き換えてみたりするにも、想像力が必要です。
想像力を駆使して考えていくと、考えが具体的にビジュアル化されるので、考えることがおもしろくなるし、発見も増えます。抽象概念を操作するような考え方では、物事に迫ることはできないのです。
想像力は論理思考に大きなパワーをくれるのですが、その想像力が、いまの時代、育ちにくいらしいと言うのもまた事実です。「モモ」「果てしない物語」のミヒャエル・エンデは、ファンタジーが人間にとっていかに重要かをずっと追求し、物語にしてきました。「果てしない物語」では、主人公のバスチアンが物語の国(ファンタジー)に入り込み、再び戻ってくるのですが、ファンタジーの世界が健全でないと、人間のリアルの世界も健全ではあり得ない。でもファンタジーの世界で人間がずっと生きていくことはできないと説いています。人間にとっての想像力とリアリティの関係を、エンデは繰り返し考え、形にし続けてきました。
しかし、いま、子どもたちも童話やファンジーを読まなくなり、バーチャルリアリティばかりになれば、頭で思い浮かべる努力をしなくても、画像として仮想世界がいきなり与えられてしまいます。それが、人間の想像力にどのような影響を与えるのか、僕に浜田よくわかりません。マイナスだという人は多いのですが、本当にそうなのか。でも、いずれにせよ、僕たちが想像力を駆使する力を持つことは非常に重要で、想像力が育つかどうかの要件は、いまの時代、大きく変化を余儀なくされているということだけは言えます。
見えないものを見る力=想像力と、論理的な思考力。ロジカルシンキングに強くなりたければ、同時に想像力を高めることも忘れずに意識するとよいでしょう。
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