2006年8月アーカイブ

(by paco)前回までの連載で、政府がマスメディアを使って強力に刷り込みを行うメカニズムをみてきました。ここで改めて確認しておきたいことは、こういったマスメディアを使った刷り込みは、明らかに意図を持って行われていて、偶然ではないということです。ということは、政府の主張に対して、「本当はどうなのか」を知ることもまた、市民飼いとを持ってやるしかないということを意味します。

ところで、何度でも閣にしておきたいことですが、政府は本当に「意図を持って、時には事実をねじ曲げたりウソをついても、自分たちの主張を刷り込む」などと言うことをするものなのでしょうか。できればそこまでのことはしていないと信じたいですよね。

僕は環境問題についていろいろ活動をしているのですが、特に日経BPのサイトで行っている連載をやっていると、読者から次のような意見をしばしばもらいます。

(by paco)市民に「受け入れがたい情報」を受け入れさせる方法は、特にナチスドイツの宣伝相ゲッペルスによって開発され、その後、英国によって深く研究され、それが第二次大戦後、米国に移植されたと言われています。

その代表的な手法が、露出度を上げるという方法です。これはわかりやすいですね。

日本では小泉内閣になって、小泉首相がほぼ毎日定例会見を開き、これをテレビ(=映像)という印象の強いメディアが必ず報道します。小泉首相がテレビに映らない日はほとんどありませんが、最大野党の党首である、小沢さんがテレビに映る日はまれです。毎日繰り返し見る人に対しては、一般的に親近感や安心感、信頼感を感じやすく、基本的にその人物のいっていることを信用しようというマインドが醸成されていきます。小泉首相の次に露出度が高いのが、内閣のスポークスマンである官房長官で、ポスト小泉のトップランナーは現在の安倍晋三官房長官であるというのも、このようなメディアのしくみによって影響を受けているのです。ついでながら、安倍長官の対抗馬としては、前任者の福田前官房長官が上がっていたのも、同じ理由です。露出度は、民主国家で国民の世論を「操る」ための重要なファクターです。

(by paco)最近、どんなテレビ番組を見ましたか? あるいは、新聞はどんな記事を読んでいるでしょうか。そもそも新聞はほとんど読まない?

日本の多くの家庭では、家に誰かいるときのほとんどの時間、リビングルームでテレビがついています。あなたの家はどうですか? ではそのテレビにどんな番組が映っているでしょうか。そもそも時計がわりにつけているので、中身はほとんど見ていないのでしょうか。

テレビ番組を、ざっくりと「娯楽」と「報道やドキュメンタリー」に分けてみれば、圧倒的に「娯楽」の方が多いのは間違いありません。報道と娯楽の中間的な番組のシェアも増えています。いわゆるワイドショーです。ワイドショーでは、レポーターがいて、事件や重要な事態の現場に行き、人にインタビューして放送したり、「識者」のコメントが流されたりと、報道に当たる部分もありますが、その内容は、事実を深めるというよりは、話題をあおる形で作られることが多く、また画面に映して見栄えがしない、いわゆる「絵にならない」事件や、複雑すぎる事件は取り上げない傾向があります。視聴者が話題に着いてこれることが大前提なので、政治の本質的な部分は扱わず、「小泉チルドレン」のような、笑いとともに伝えられるようなものに限定されます。事実を報道しているような体裁を持ちながら、実態はエンターテイメントであるのがワイドショーです。

(by paco)民主国家と戦争、そしてメディアの関係について考えてきたわけですが、だんだん核心に迫ってきました。

前回までにみてきたことは、以下のような流れです。
(1)君主制国家では、戦争は君主や支配階級が一方的に決め、始めるものと考えられていたので、民主的な制度を取り入れた国家になれば、大きな戦争は起きないと考えられてい(2)しかし民主国家同士でも大きな戦争が起きること、そしてそれはふたつの世界大戦にみられるように、それ以前の戦争よりさらに悲惨な戦争が起きることがわかった。
(3)その理由は、政府が国民をメディアによって強力に情報インプットして、国民が戦争が政党で、積極的にやるべきだという圧倒的な支持を得ることができるようになったからだった。
(4)メディアが、政府が行う戦争のPRツールとして機能し始めたのは、19世紀末?20世紀初頭で、日露戦争はその最初の代表例となり、その後、ふたつの大戦、ベトナム戦争、フォークランド戦争、湾岸戦争、バルカン半島での戦争などを通じて、その手法はより強力に、巧妙になり、市民が気づかないうちに「戦争やむなし」の世論が形成される時代に入った。

さて、メディアは戦争を意図した政府のもとでは、しばしば政府の戦争推進のためのPR媒体として機能することがわかってきたのですが、それにもかかわらず、マスメディアは自らを「公正中立な報道機関」と位置づけていています。そして日本でも放送法などによって、「公共の電波を使うのだから、公正中立でな狩ればならない」と規定され、「多少の変更はあるものの、おおむね中立だ」というイメージが市民の間に浸透しているわけです。