(by paco)前回までの連載で、政府がマスメディアを使って強力に刷り込みを行うメカニズムをみてきました。ここで改めて確認しておきたいことは、こういったマスメディアを使った刷り込みは、明らかに意図を持って行われていて、偶然ではないということです。ということは、政府の主張に対して、「本当はどうなのか」を知ることもまた、市民飼いとを持ってやるしかないということを意味します。
ところで、何度でも閣にしておきたいことですが、政府は本当に「意図を持って、時には事実をねじ曲げたりウソをついても、自分たちの主張を刷り込む」などと言うことをするものなのでしょうか。できればそこまでのことはしていないと信じたいですよね。
僕は環境問題についていろいろ活動をしているのですが、特に日経BPのサイトで行っている連載をやっていると、読者から次のような意見をしばしばもらいます。
「環境問題の解決には、人々の良心に頼っているだけではダメだ、法律で規制する必要がある」 「法律の規制には厳罰を科さなければダメだ、不法投棄は環境に対する重大な罪なのだから、無期懲役を」 「わかっている人がいくらやっても、一部の人がそれをはかいするような行為をしていては、意味がない。そういう人たちは強制的にもでもやらせるべきだ」 「いまの官庁では既存の勢力の保護が優先で、環境保護に真剣になるはずがない。一度全部ぶっ壊すべきだ」
市民の側からも、自分が考える「良いこと」を実現するためには、それに反する人に対して「強制したり、厳罰を与えたり、超法規的に破壊したりしてもいい」という考えが、いとも簡単に出てくるのです。これには本当にびっくりしますが、もしかしたら読者のあなたもそういう考えになることがあるかもしれません。
行政や政治家のように、自分が高い視野からものを考え、決めていると思っている人は、その考えが「正しい」「良いこと」と思っているので、それに対して反対する人の存在がだんだん疎ましくなってくるのですね。ある程度の説明まではしても、それ以上のことになると、もうめんどうになってしまい、「法律で強制する」「あの手この手で黙らせる」ことをやってしまいたくなる。そして「その方が国民のためでもある」と自分を納得させることにためらいがありません。
このようなマインドは、人の上に立ち、権限を握った人には、自然に生じてしまうものです。あなたの仕事の場面でもあると思います。そういうことは上が決めて全部に徹底すればいいんじゃないの?という場面が。そしてそれが自然なことだと思っているのではないでしょうか。会社員という職業の人が国民の中心になるということは、こういう「全体のためには、反対する人を強制的にやらせてもいいのだ」というマインドに疑いを持たなくなるということでもあるのです。逆に、日常生活で「自分はだれにも強制されずに、自分の考えで仕事をしている」と思っていれば、政治的な問題でもやたらに法律で縛ろうとすることには疑問を感じるようになるものです。
このような状況の中で、政府が戦争のような国民の意見が割れる選択をするときに、意見を広く求めて議論の末に決めるという方法が以下にめんどうと感じるか、そしてそのめんどうを防ぐために、戦争への支持が圧倒的になるように情報面で誘導してしまうことに、ためらいがないということがわかります。しかも、こういう場面での為政者は戦争という選択について、「それが唯一ベストである」と確信しているのですから、ためらうはずがありません。そのぶん、戦争という選択がいいのだという時の為政者は自信満々だし、そういう姿をマスメディアを通じてみせることこそもっとも効果的だということ、戦略的にやろうとするのです。
とはいえ僕は、戦争という選択をすることが、「あってはならないこと」というような議論をしたくて、この話をしているわけではありません。僕自身はほぼすべての戦争は、避けようという意思を持てば避けられると考えているのではあるのですが、それはそれです。この場面では戦争をすべき、という場面があることも事実です。
ただ、その選択が本当にベストなのか、その選択に至るプロセスでは戦争回避の努力にベストを尽くしたのか、という点について、国民の側は検討をする機会も、情報も十分にないまま、戦争のプロパガンダを受け入れて賛成してるというのが、今の時代の現実なのです。
さらに言えば、多くの戦争は、戦争は関係のない為政者の失点を回復するための代償措置、つまり「国民の目をそらす」ために行われることがしばしばあるという事実も見逃せません。ブッシュJr.の1期目、アル・ゴアとの熾烈な大統領選を、疑惑付きの開票の結果、きわどく当選したのがブッシュJr.でした。つまりブッシュJr.は大統領であることの権威にあらかじめ傷をもって誕生した政権だったのです。そしてその就任後、9か月で9.11テロが起きる。ここで「対テロ戦争」という強いメッセージを瞬時に出したことは、ブッシュJr.の大統領としての正統性への疑問を、一気に吹き飛ばす効果がありました。これによってブッシュJr.は父を超える強い大統領という認知を得ることに成功したのです。
逆に、国民の支持を受けて誕生した政権である、J・F・ケネディの場合は、キューバ危機に際して十分熟慮し、戦争以外の方法をとって危機を脱することができました。もしケネディが国民の支持を得ていない「疑惑の大統領」なら、核戦争に発展していたかもしれません。
そのケネディが暗殺されたのちに副大統領から昇格したジョンソン大統領は、ケネディがためらっていたベトナム戦争への本格参戦を、いともあっさり決断しました。あるいは、さらにさかのぼって、日本への原爆投下も同じ構図です。国民に圧倒的な人気のあったルーズベルト大統領の急死を受けて昇格したトルーマン大統領は、すでに日本が最後の断末魔の戦闘を繰り広げている時期に、あえて原爆を、しかも2回も投下する決断をしました。トルーマン自身が、ルーズベルトが成し遂げられなかった戦争の終結を、原爆投下という大きな決断によって自ら実現したという実績を上げて、大統領としての指導力に箔をつけたかったというのが大きな要因だったと考えられています。
戦争の決断は、ほとんどの場面で、戦争自身の必然性以外の、為政者自身の目的や、軍閥など一部の人々の強い圧力によって決断されています。そしてその一部の人の目的を達成するために、一般国民に対しては強力なプロパガンダが行われ、戦争が一部の人の利益ではなく、国民全体の危機とそれを救う唯一の方法として、プロパガンダされるという構造をつかんでおく必要があります。
このような構造が、戦争の決断の裏側には必ずあるということ、そしてその裏側は、政府はもちろん、マスメディアからも決して見えてくることはないという理解が、最も重要です。戦争を決断し、国民に理解を求める為政者は、マスメディアを通じて「本当のこと」を見せる可能性がほぼありえないのだということ、僕らは決して忘れてはいけないのです。
では、戦争についての本当のことはどうやって知ることができるのでしょうか。それについては、また次回お話しします。
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