(by paco)最近、どんなテレビ番組を見ましたか? あるいは、新聞はどんな記事を読んでいるでしょうか。そもそも新聞はほとんど読まない?
日本の多くの家庭では、家に誰かいるときのほとんどの時間、リビングルームでテレビがついています。あなたの家はどうですか? ではそのテレビにどんな番組が映っているでしょうか。そもそも時計がわりにつけているので、中身はほとんど見ていないのでしょうか。
テレビ番組を、ざっくりと「娯楽」と「報道やドキュメンタリー」に分けてみれば、圧倒的に「娯楽」の方が多いのは間違いありません。報道と娯楽の中間的な番組のシェアも増えています。いわゆるワイドショーです。ワイドショーでは、レポーターがいて、事件や重要な事態の現場に行き、人にインタビューして放送したり、「識者」のコメントが流されたりと、報道に当たる部分もありますが、その内容は、事実を深めるというよりは、話題をあおる形で作られることが多く、また画面に映して見栄えがしない、いわゆる「絵にならない」事件や、複雑すぎる事件は取り上げない傾向があります。視聴者が話題に着いてこれることが大前提なので、政治の本質的な部分は扱わず、「小泉チルドレン」のような、笑いとともに伝えられるようなものに限定されます。事実を報道しているような体裁を持ちながら、実態はエンターテイメントであるのがワイドショーです。
フルタイムで仕事を持つビジネスパースンにとっては、帰宅後の夜10?12ぐらいの時間帯に、ニュース番組を見る習慣の人も多いでしょう。こういった番組は、さすがに、まともな報道ニュース番組としてつくられています。しかし、実際に報道やニュースの部分はどのぐらいあるかと考えると、意外に短いことに気がつきます。60?90分の枠の中で、スポーツが20?30分。またこの時間枠では経済ニュースも多いので、話題の経営者や新製品、新技術の紹介にも時間が割かれます。さらに民放ではCFも入ります。国内・海外の、政治や社会問題の報道に割かれる時間は、20?30分というところではないでしょうか。
このことからわかることは、まず僕たちは、テレビというメディアを、「娯楽が流れてくるもの」として理解しているというメンタリティが強いということです。そして、ニュースや報道を見ているつもりの時でも、ワイドショーの体裁で、本質に迫らない報道であったり、新製品ニュースのような、社会の大きな動きにはあまり影響を与えない情報が大半を占めていて、本当に社会的な問題を知る時間は、1日に20?30分あればいい方、というのが実態です。つまり、僕たりはたくさんの情報をテレビから受けているように見えて、大きな動きを知る機会は非常に少ないのです。
カナダの優れたメディア研究者、マルコム・マクルーハンは、「メディアはメッセージである」という明言を残しました。メディアとは、そのメディア自体の特性が先に認知のフレームを提供していて、そのメディアから伝えられる情報は、そのメディアから伝えられたというだけで、そのメディア固有のメッセージを含んだものに、バイアスがかかってしまう、という意味です。
テレビというメディアが、今の時代の中で持っている固有のメッセージとは、娯楽やワイドショー的な楽しさや扇情的な、色やゆがみです。簡単に言えば、テレビから世界の本当の状況が伝わってくることに、僕たちはすでに「慣れていない状況」になっていて、「まじめな報道」をテレビで見ようというマインドそのものが失われつつあり、まじめな報道が流れてくることに「違和感」を感じるようになっている、ということを意味しているのです。
そこまでではないだろう、と思うかもしれませんが、では、あなたは最近1時間のドキュメンタリー番組を見た経験はありますか? NHK BSでは、「世界のドキュメンタリー」という番組をやっていて、文字通り各国の放送局がつくったドキュメンタリー番組を放送しています。他にもNHKはさすがに一定レベルのドキュメンタリーや報道番組がありますが、民放ではドキュメンタリー自体の枠がほとんどなくなっています。それだけ、見る人もいなくなっているのです。
では、視聴者である僕たちは、そういう事実をきちんと見せる情報に興味がないのかというと、多分そうではないのだと思います。実際に起きていることは「興味がない」のではなく、「テレビというメディアを通じては視聴したくない、テレビはそういう情報をとるところではない」というマインドができあがっているのです。これがテレビというメディアの持つ固有のメッセージです。
パソコンにテレビ番組が映す技術ができたとき、「パソコンではテレビは見ないだろう」という意見が大勢を占めました。パソコンは椅子にきちんと座り、画面から30センチの距離から画面を「凝視して」使うものです。一方テレビは、リビングのソファに座ったり寝そべったりしながら、2?3メートル離れて、遠巻きに「眺める」ものです。凝視するパソコンモニタに、眺めるテレビが表示されても見ないだろうと。
しかし、パソコンとテレビの融合は、その後確実に進行してきました。この動きがテレビの視聴の姿勢を「凝視」に近づけるのか、それともパソコンとの向き合い方を「眺める」方向に向けるのか、その答えが出るのは、もう少し後でしょう。現状は、「パソコンのテレビか」の方が進行しているように見えますが、どうなるでしょうか。
このように、「娯楽やおもしろおかしい情報」を「眺める」メディアであるテレビに、では実際に戦争が起きてその情報が流されるとき、何が起きるのでしょうか。日本では本格的な戦争に参加していないので、実例はありませんが、米国ではすでにこのような状況があたりまえになっています。知っての通り、米国は20世紀初頭からずっと戦時体制の国家なのです。
米国の3大ネットワークのひとつ、FOXは、このような状況がもっとも進んだメディアです。FOXの経営者は、インタビューに答えて、「戦争の報道についても、視聴者に楽しんでもらうために工夫していかなければなりません」と公言しています。イラク戦争の報道では、米軍を「私たち」、イラクの勢力を「敵」と呼んで、中立的な立場からの情報提供を放棄しているのはもちろんのこと、敵が被害を受けるのを、ビデオゲームで画面上の敵が倒されるときのような表現をしたり、自軍の戦火を単純に子どものように喜んで見せて、その線かの向こうにあるイラクの人々の苦しみには目を向けようとしていない、といった報道姿勢が見られます。FOXの経営者の考えによれば、メディアといえども私企業である以上、顧客が喜ぶ情報を提供し、顧客が望まない情報は提供しないことは当然だ、ということになります。視聴者が楽しめ、安心する情報だけを、そのような視点から流し、逆の情報は流さないことが、企業としての当然の姿勢だというわけです。
こういう考え方に対して、仕事をする人間としてのあなたは、どのように感じるでしょうか。メディアも企業だから当然だと思うでしょうか。それとも、戦争を行っている国の市民に対しては、受け入れがたい事実であっても、その情報も流すべきだと思うでしょうか。
米国では、9.11以後、政府の情報をそのまま疑いを差し挟まずに流し、また視聴者が望まない情報を流さないという、「戦時体制型」の情報提供が主流になりました。9.11から5年を経て、あらためてメディアの責任について自問を始める、放送関係者が少しずつ増えてきてはいるようですが、全体の傾向は変わっていないし、戦況や政治状況が変れば、揺り返しが来る可能性も十分あります。
このようなメディアの状況の中で、登場したメッセージの手法がふたつあります。白か黒かのいずれかの二元論を提示して、選択を迫る方法と、そして昔からある「連呼型」をさらにスマートにパワーアップした方法です。
今、日本では小泉首相による「8月15日に靖国に参拝することにはなんの問題もない」という発言が繰り返し報道されています。これが「今の時代の連呼型」なので、ぜひ注目してみてください。詳しくは、次回また書きたいと思います。
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