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(by paco)これまでエネルギーについて意思決定をしてきたのは、経産省の官僚、電力会社、そして自民党の一部の(経産族などの)政治家だった(→Click!)。

■合意形成型の意思決定システムを日本で機能させる

これに対して、一般市民の意見をこの意思決定にどうのように影響力を与える力を持つことが、エナジーシフトに対する政治シフト(ポリティカルシフト)だ。

政治シフトには、大きくふたつのレイヤーがあり、ひとつは国政レベル、もうひとつは地域レベルだ(→Click!)。両者は基本的には同じ考え方で整合性がとれている必要はあるが、実際にはそれぞれ独立して変革することになるだろう。

国政レベルになると、関わるステークホルダーも増え、動くカネも大きくなるので、意思決定が難しくなる。いろいろな考えがあるからむずかしいよね、という一般論で考えがちになり、意思決定のプロセスや、決定事項に多くの人が疑問を感じていたとしても、あきらめてしまうことになりがちだ。

議会の多数決というのは、その点、納得感が出しやすい方法だとはいえるが、構造を見る(→Click!)と、国会の本会議で、代表者全体で議論することはなく、一部の関係者のみで決めている。小さな部会をつくってワンサイドで決め、その部会の決定に権威付けして、次の会議対を通過させ、国会を通過させ、というようにやっていくと、結局ごく少数の人たちが決められるようになる。

(by paco)現代社会では、身近な情報以外のほとんどすべてをメディアからの情報に頼って生活している。メディアの中でも、テレビ、新聞の二大マスメディアは圧倒的な影響力を持っており、エネルギー問題や原発事故を正しく理解するためには、大きな役割を果たしてほしいと期待されている。

しかし、実際には、市民がほしいと思う情報が伝わってこないという経験を、今回の原発震災で多くの人が実感することになった。

マスメディアからは大量の情報が流されたが、どのテレビ局、どの新聞も、あまり変らない内容の情報が多く、また内容的にも納得がいかないと感じられるものが多かった。

  1. 大メディアがどのように事実を伝えなかったか
  2. なぜ大メディアには、事実が伝えられないのか

の2回にわけて分析する。

(by paco)僕を含め、脱原発、エナジーシフトの立場に立つ人にとっては、原発事故の影響の大きさは説明するまでもなく重大としか言いようのないものだが、逆の立場に立つ人にとっては、実は「事故の結果はそれほど大きくない」という見解になる。

●なぜこのように真逆な見解になるのか。
●この見解の相違が何を意味するのか。

について、考えたい。

まず、順番を逆にして、下のイシューから考える。

■原発容認・脱原発の対立の中で、正当な判断が出来なくなること自体がリスクである。

「両者の見解の相違が何を意味するのか」と考えると、原発容認の立場から見れば、事故の被害やリスクが小さいほど、自らの立場を強固にできるということが背景になる。

当然、脱原発の立場では、事故の影響を大きく説明できた方が、有利になる。

(by paco)3.11の大地震の後、福島第一原発の運転中だった1号機、2号機、3号機が事故を起こし、炉心が損傷する大災害となった。

この福島原発事故を分析する。

大きく分けて、以下の3点ある。

(1)福島原発事故は津波が来る前に、「想定内」の地震によって始まっていた。
(2)福島原発事故は「想定すべき規模」の津波に備えずに、悪化した。
(3)日本では人為的ミスによる事故が多数起きている。

今回は(1)。

(by paco)再生可能エネルギーは、密度が低いために、広い地域に分散せざるを得ない。風車にしても、太陽光、小水力、いずれにしても、狭いところで一気につくるような、これまでの発電システムとは異なる、分散型のエネルギーだ。

このことから、地域でつくったエネルギーを地域で使う「エネルギーの地産地消」がよく言われるのだが、その点については、後半で考えたい。

それ以前に、まず、「地産」、つまり地域で再エネ設備を導入するときの方法論について考える。

■地域のエネルギー開発を、地域で決める

これまでのエネルギーシステムは、原子力発電所にしても火力発電所にしても、大型プラントであり、工業施設としての手続きに従ってつくられてきた。環境アセスメントや地域自治体との協議、地域住民への説明会など。

(by paco)太陽光パネルを大規模に使っていく場合の、環境への悪影響について考える。

一般に、パネルを設置すると、その下には日照が届かなくなる。パネルの下の環境への影響は大きい。一方、風車と違い、作動音や振動はなく、台風などで破壊されるリスクも少ない。太陽光パネルは、環境へのダメージは比較的低く、メリットの大きい発電方法といえる。

詳細を見ていこう。

■環境に影響せずに設置できる場所の研究が必要

これまでパネルは、民家などの屋上に設置されてきた。この場合、屋根に当たる太陽エネルギーをパネルが吸収した方が、建物の内部に熱が届かなくなり、冷暖房の効果もよくなる。発電と両方のメリットを得ることができて、合理的だ。

(by paco)自然のエネルギーを利用していくための、風車や太陽光パネルなどに、実害はないのか。原発が事故を起こして大変な実害を与えているように、風車やパネルにそのようなリスクはないのかを検討する。

■再エネが与える実害はある。

もちろん、風車や太陽光にも自然破壊や人への実害はある。自然に優しいなどというが、自然に影響を与えない技術はほぼないといってよいし、人間に対する害も、ゼロにできない。

人間が活動をすれば、さまざまな影響を与えてしまうし、特に大きなエネルギーを自然から取り出そうとすれば、さまざまな害が生まれるのは、再エネであっても例外ではない。

その意味で「自然に優しい」という表現は、あくまで相対的な意味に過ぎない。

(by paco)エナジーシフトを進めるためには、原発、火力発電を順次縮小し、再生可能エネルギーを増やしていく必要がある。

絶対量は充分にあることは確認したが(Click!)、

コスト面について、どのように考えればよいか、確認したい。

■再エネの成長とともに、単位エネルギーあたりの負担は下がる。

発電所は、いわゆる設備産業にあたり、設備に関わるコストは量産が進めば下がる傾向にある。

単純にいえば、現在は高い再エネも、じょじょに利用を拡大していけば、コストが下がり、負担が小さくなると考えることができる。

では現実的になどのように見ればよいか。太陽光パネルで見てみる。

wikipediaによると、太陽光パネルでは「普及に伴い、ほぼ経験曲線効果に従って価格が低下している。世界的には2012年頃には、条件の良い地域から順次グリッドパリティ(系統電力との等価)を達成し、価格競争力を有し始めると見られている。」これは主に欧州の情報に基づいている。

(by paco)2050年ごろのエナジーシフトの想定は、「省エネを進めて使用エネルギーを2分の1程度にする」こと、その上で「限りなく全量を再エネで満たす」ことだ。

このようなシナリオに対する代表的な反論として、「コストが莫大になり、経済が失速して実現できない」というものと、「再エネにも環境破壊がある」という2点がある。

今回は、省エネ側のコストについて検討する。

■住宅の省エネ投資はストックとして捉えれば享受可能

まず先に、省エネ側を見ておく。

省エネで消費量を2分の1程度にするためには、当然投資が必要となる。代表的な例として、住宅と工場設備を取り上げる。

住宅では、住宅そのものの省エネ性能を上げて、特に空調に関わるエネルギーを大幅に削減することで、住宅での生活で必要なエネルギーを削減することができる。方法としては、断熱、気密と日照のコントロール、そして通風だ。すでに欧州では実用化されており、「パッシブハウス」と呼ばれている。

(by paco)風力や太陽光、地中熱など、再生可能エネルギーは、本当に頼りになるのか。

特に問題になるのは、ピーク電力への対応と、輸送燃料だ。

ピーク電力とは、すでに今年の節電でかなり知れ渡ったとおり、もっとも電力消費が高いときのことをいう。毎年、真夏のもっとも気温が高い日の午後、電力需要はピークに達して、全国の発電所はフル稼働に近くなる。

電気はためておけないので、短時間であっても、需要を満たす発電設備がないと、供給不足が起こり、電力も全体が不安定になって、大停電が起こる可能性もある。

再エネ、特に風力や太陽光発電は、風任せ、おひさま任せで、ほしいときに電気をつくってくれるとは限らない。となれば、再エネが一定比率を超えれば、需要と供給のバラランスをとることができなくなる。やはり主力のエネルギー源は、石油やガスを使うことになる、というのがよく言われる主張だ。