(by paco)これまでエネルギーについて意思決定をしてきたのは、経産省の官僚、電力会社、そして自民党の一部の(経産族などの)政治家だった(→Click!)。
■合意形成型の意思決定システムを日本で機能させる
これに対して、一般市民の意見をこの意思決定にどうのように影響力を与える力を持つことが、エナジーシフトに対する政治シフト(ポリティカルシフト)だ。
政治シフトには、大きくふたつのレイヤーがあり、ひとつは国政レベル、もうひとつは地域レベルだ(→Click!)。両者は基本的には同じ考え方で整合性がとれている必要はあるが、実際にはそれぞれ独立して変革することになるだろう。
国政レベルになると、関わるステークホルダーも増え、動くカネも大きくなるので、意思決定が難しくなる。いろいろな考えがあるからむずかしいよね、という一般論で考えがちになり、意思決定のプロセスや、決定事項に多くの人が疑問を感じていたとしても、あきらめてしまうことになりがちだ。
議会の多数決というのは、その点、納得感が出しやすい方法だとはいえるが、構造を見る(→Click!)と、国会の本会議で、代表者全体で議論することはなく、一部の関係者のみで決めている。小さな部会をつくってワンサイドで決め、その部会の決定に権威付けして、次の会議対を通過させ、国会を通過させ、というようにやっていくと、結局ごく少数の人たちが決められるようになる。
とはいえ、この方法が民主主義ではやむを得ないというわけではない。
EUではEU議会、コミッッション、理事会という複数の会議体ですべての意思決定をしているが、民族も歴史も言葉も違う5億人の域内人口を、ひとつの地域にまとめている。
その手法には「民主的な手続きといえるのか?」「しくみが複雑すぎてわからない」などの批判はあるものの、単なる多数決原理を越えた、合意形成の考え方が活きている。欧州は、民主主義の歴史的経験の中で、単純多数決の欠点を知り抜いている。多数決とした場合、それは国を1単位とした多数決なのか、全市民を1単位とした多数決なのかでまったく変るし、全市民を1単位とすると、棄権する人をどうカウントするかでも結果がまったく違う。企業の代表などを入れると、経済力が議決に影響を与えるが、それをよしとするかが問題になる。
いずれにせよ、民主主義は単純多数決と同義語ではないし、欧州はそのことをよく知っているのだ。それゆえ、合意形成の方法を模索し続けている。
では、この日本で、国レベルの意思決定をどのように変えればいいのか。
基本的な考え方は、
(a)官僚からの権限剥奪
(b)国会を議論の場に変える(本来の役割に戻す)
(c)広く市民・国民から意見を求め、議論し、合意するプロセスをつくる。
(d)インターネットを使った意見交換、集約の機能を、(3)に付随してつくる
になるだろう。
特に重要なのは、(c)だ。さらに(c)を分解すると、「議論をいかに的確にするか」と「議論の結果を政策決定に反映させる仕組みをどうつくるか」の二つになる。
■「議論をいかに的確にするか」
基本的には、前稿(→Click!)の
(1)地域住民の代表やNPOが中心になる。
(2)自治体がこれに協力的に関与する
(3)専門家が入り、技術的、社会的な知識と将来予測を提供する。
(4)現地を視察するなど、フィールドワークが組み込まれる。
(5)議論のプロセスが定型化され、進めやすい。
をベースにしつつ、(1)と(4)を以下のように変形させることになるだろう。
(1)多様な意見を持つ人が公平な人選、人数を集める。
(4)フィールドワークは、(3)の専門家に任せ、原則的には議論の場とする
この中で(1)の「多様性の確保」と「公平な人前と人数」が、キモになる。従来、官僚が主催してきた審議会では、人選を官僚が自由にでき、偏った人選をすることで、結論が先にありきの審議会を主催できた。これが権威付けになって、審議会の少数者の意見が国会承認まで進んでしまう。
そこで、審議会を改革し、たとえば原発問題なら、原発推進と原発縮小・廃止の両方の立場を頭数筒入れなければならないようにルールづくりをする。さらに、現在の利害関係だけで決めるのではなく、過去から将来の人々との利害調整ができる立場として、聖職者(僧侶など)と哲学者、社会学者を入れる。それぞれの立場を明確にして議論を進めると同時に、議論に対する質疑の中で、明確な答えが返せなかった人の意見は、弱くなっていくことをルール化する。
従来の議論では、質疑はしても、的確にこたえられても、こたえられなくても、「ひとつの意見」として扱われた。これでは議論とはいえない。会議のメンバーが納得できる意見なら尊重され、納得行く意見が出せないなら、尊重されない(最終結論に影響しない)という議論のルールが共有される必要があるだろう。
このような議論の運営に、上記(5)の議論のプロセスの定型化があるが、特に重要なのは、議論がスムーズに進むようなファシリテーションだ。議論すべき要素の洗い出し(イシュー出し)や、議論のかみ合わせ(イシュー合わせ)、主張になっているものを尊重し、根拠のない主張を捨てる技術を持ったファシリテータが仕切る必要がある。
日本人は、議論を通じて合意形成を行うことにまったく慣れていない。議論は意見の出しっ放しで終わり、主催者に一任して終わる。主催者は持ち帰って「議論をとりまとめ」て、まとめの草案を出す。このプロセスでは、「とりまとめ」の段階で、主催者の都合の悪い意見を捨てても、気がつかないことが多い。これが不適切な判断の温床になる。
この合意形成のプロセスについては、日本では実践例も少なく、手法をもっている人材もほとんど皆無なため、そもそもそのような会議自体がイメージしにくい。そこで、この点を実践的に開発し、学ぶ機会を、<おとなの社会科>の来年(2012年)のテーマに据える予定だ。偶数月(2月、4月、6月・・・)はテーマを決めた上で、メンバーと合意形成をめざす議論を行い、結論を出すことと、議論のプロセスを回はすること、議論を管理できるファシリテータを育成することをめざす。
■合意を影響力のある結論として政治に役立てる仕組みをつくる
審議会、または類似の会議体をつくって得た結論を、実際の政策決定に反映させる方法は、大きくふたつある。
(1)審議会を改革し、官僚のつくる起案を民主的なものに変える
(2)会議体を政治家のブレインとして機能させる。
(1)は、現在の官僚主導の審議会を置き換える方法で、官僚が期待する案を出すための審議会ではなく、市民や専門家の議論を通じて、あるべき姿を実現するための審議会に改革する方法だ。これによって、出てくる案は官僚の意図とは違うものになる可能性が高いが、官僚は本来、審議会や国民の意図を実現するのが役割(公僕)であって、自らのやりたいことを勝手に実現する役割ではない。結果として、官僚の権限は縮小される。
(2)は、別項(→Click!)で分析した「与党政策部会」のメンバーに影響力を与える方法だ。現状の部会に所属する「族議員」は、残念ながらその分野の専門家ではない。そもそも国会議員の専門性と判断力が低い点が日本の課題である。とはいえ、議員の知識量にも限界があり、また議員になってから短時間でそれを身につけることをいつも期待できるわけではないだろう。
米国では、議員に対して情報や政策案をインプットする役割があり、ロビイストと呼ばれている。議会の休憩中に、議会のロビーで議論の方法について情報を伝えるブレインという意味で生まれた言葉だ。ロビイストは、政策シンクタンクの研究員がなっていることが多いが、日本では純粋な政策シンクタンクが少ないことが、議員のレベルが高まらない背景にある。
シンクタンク自体も増える必要があるが、それ以上に、議員が上記のような合意形成型の会議を主催して、原発の政策(他の政策でも)についての意見を議論してもらい、その結論と根拠を自分の意見として、部会や国会に臨む、という方法をとるべきだ。会議自体は、議員が主催する場合と、民間のNPOなどが主催し、議員にインプットする方法とが考えられるが、いずれにせよ、合意形成型の会議と、その結論を、実際の意思決定権限のある議員にインプットするしくみが重要になる。現状は議員が一匹狼のように動いてしまっている点が、問題なのだ。
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エナジーシフトを実現するために、単に原発や火力発電が再生可能エネルギーに置き換わるだけでは不足だ。政治的な意思決定をいかに合理的、合意的にするか。この結果としてエナジーシフトが起きないと、ちょっとした状況の変化で激しく原発推進と、脱原発を行き来することになる。逆に、政治変革がむずかしいので、日本の国は迷走を続けているように見えるのだ。
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