2011年3月アーカイブ

(by paco)先週は旧稿で失礼しました。今週は書き下ろしです。

大震災以後、ひたすら原発の状況のウォッチに時間を使ってきましたが、状況は非常によくないままです。

事故当時と比べると、爆発的な大事故に発展するリスクはかなり下がりました。原発の状況の詳しい分析によれば、チェルノブイリのような、フル稼働中の原子炉を上空に拭き上げてしまったような事態は、現状では起きにくいというのが、最悪のシナリオをになってきました。

しかし、だからといって、今回の事故が「チェルノブイリほどではない」といえるのかどうかというと、そうではありません。詳しい比較は、わかりにくくなるのでやめておきますが、「事故の大きさ」は小さくても、影響の範囲はチェルノブイリ以上になる可能性が大きい、ということです。

チェルノブイリでは、事故を起こしたのは1基だけでした。その1基の事故は現在のfukushimaより大きいのですが、fukushimaでは4基の原発が危機的な状況です。1基ずつの希望はチェルよりも小さくても(それでも大事故です)、4基が隣接していることが大きな問題です。1基でもさらに大規模な事故に発展し、現地での作業ができなくなれば、他の原発でも作業ができなくなって、かろうじて保たれてる小康状態が維持できなくなり、4基ともに大崩壊を起こす可能性があります。

(by paco)原発後のコミュニティ【iwato】を立ち上げ、かなりバタバタしています。


★「原発以後」を構想するコミュニティ【iwato】
http://www.otosha.com/column-1/%E3%80%8Cgenpatsugo%E3%80%8Dwokousousurukomyuniti%E3%80%90iwato%E3%80%91nisankawo

参加者募集中。

ひとまず、以前の原稿を再掲して読んでいただこうと思います。

2003年2月3日のコミトンです。

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今週は原子力の話です。最近、テーマの広がりというか、「飛び」がすごいですね、前回の094号は料理の話でした。

今回の原子力の話は、[com2]MLで始まりました。もともとは、衆議院議員・河野太郎のメルマガ「ごまめの歯ぎしり」1月22日号に、「自民党のエネルギー調査会長である亀井善之代議士が、最近出版した本の中で、国策としての原発推進は、もはややめるべきだと書いている(サイン入りで本を頂きました)。原発推進をしていた自民党の調査会の会長が、もうそういう時代ではないと主張する時代になった。あとは役人だけだよ、頭が切り替わらないのは」とあり、このメールを僕が[com2]MLに転送したのが始まり。いよいよ日本でも原子力の時代が終わるね、というところから始まりました。

その後、MLで元原子力関係のエンジニア、Yさんからいろいろな専門的な情報をいただき、「原子力は終わったのか?」というような話をしていたら、タイムリーなことに、1月27日になって、名古屋高裁金沢支部で、高速増殖炉「もんじゅ」の「無効」判決が出て、国が全面敗訴しました。この判決に対しては、国が上告しているので、確定はしなかったのですが、高裁で国の主要な政策についての「無効」判決が出た意味はとても重いものです。

というような話をしていたら、Toshiさんが「あまりに展開が早いし、専門的すぎて、どういう話かわからないよ」というので、全体を整理してみたいと思います。

(by paco)金曜日、東北から関東にかけて、大地震に襲われて、福島第一原発、第二原発が破壊された。「ついに来るものが来た」と思ったものの、これまでも日本の原発はきわどいところを切り抜けており(その点、確かに「安全」ではあるのだが……)、今回もそれほどの大事には至らないだろうと思っていた。しかし、今回は本当に危ない状況が続いている。

いつもなら、状況がはっきりしていない間は、冷静に、情報提供に留める、というスタンスでいるのだが、今回は一歩進めて、反原発の旗色を明確にし、問題が進行中の段階から、責任問題を表に出して発言している(特にtwitter上)。

その理由は、<おとなの社会科>をやってきて、一般市民の「物忘れの速さ」について、強い問題意識を感じたことが大きい。

9.11以来、現在進行形の事象を分析し、考え方を提示してきたが、たとえばイラク戦争の問題点を、振り返りやすいようにと、ある程度事態が進行して、数年たってから解説しようとしても、そもそも聞いている人が、そもそも戦争ってまだやってたんだっけ? なんで戦争を始めたんだっけ? 日本は関わってないんだよね、という感じで、何があったかもすぐに忘れてしまう。これは進行形の時に、何に注目するべきか、視点を持っていない、つまりニュートラルにメディアから流れてくる情報を受け流しているからだろうと考え、今回は、進行形で流れてくる情報に、かなり逐一コメントをすることにした。

(by paco)今週は二本立てです。

◆「白夜行」映画と原作のエンディングが違うことでヒロインの結末が変わる

前回も登場した「白夜行」ですが、映画公開最終週に「二度見」してきたので、追加でさらに。

原作と映画は微妙に違うという話を先週書いたのですが、特にエンディングの違いが何をもたらしたかについて話したい。

貧しい母子家庭に生まれ、母親から児童売春を強要されていた少女雪穂と、彼女を救おうと犯罪を重ねる幼なじみの亮二。元刑事に追い詰められた亮二は、自殺する。しかし、自殺の場面が原作と映画で違う。

原作では事業家となった雪穂が開いたセレブで華やかなブティックの店内で自殺する。映画では、そのブティックの前の古いビルの屋上から飛び降りる。即死の亮二を抱き起こす元刑事……。

原作では、亮二の死は開店当日の華やかなブティック内であり、開店を亮二の死でけがされた雪穂は、亮二がなぜそこで死んだのかを捜査されたり、噂が立ったりして、危機に陥ることが示唆されて終わる。亮二と雪穂は一蓮托生、二人でひとりであって、亮二の死は雪穂の社会的な終わりが示唆されている。善悪判断でいえば、確かに雪穂にも亮二にも不幸な出発点はあったものの、二人が(ゆるやかに)結託して、他者を踏み台にして(邪魔者は消して)生きてきたことの決着を付けさせられる、という「悪は滅ぶ」結末、と見立てることができる。