2009年9月アーカイブ

(by paco)先日、あるコンサルタントと会ったら、仕事の話をそっちのけで、民主党政府のCO2削減政策について矢継ぎ早に質問を受けました。まさにFAQだったので、改めて書くことにしました。

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Q.CO2の25%削減は無理ではないか?
A.可能。かんたんに達成できるとは言わないが、きちんと手を打てば、十分可能だ。たとえば、一般のオフィスでも「ちょっとした工夫」の範囲内で、10?30%の削減はすぐにでき、かつ初期投資の回収も数年でできる。

一般企業では、数年といっても2年ならいいが3年以上は無理、ということもあるだろう。であれば、この回収年限を縮める分だけ金利優遇を行うか、助成金を出せばよい。あるいは、官民共同のESCO(エネルギーサービス会社)をつくり、3年以上の回収年限のものの初期投資を引き受け、企業からは、向こう5年間は現状と同じ電気料金・ガス料金を払ってもらう仕組みをつくって5年で回収したあと、クライアント企業に設備を引き渡す。初期投資の償却までをESCOが公的サービスとして担当すれば、企業は現状と同じ負担で(初期投資をせずに)エネルギーを削減でき、その後はコストダウン恩恵を受けられる。さらにこのスキームをより大きな初期投資が必要な(きちんと回収できる)省エネ策に応用すれば、30%を超える削減も可能になるだろう。以上は、オフィスを所有する企業の対策になる。

(by paco)総選挙が終わって、政治家の能力について、多少情報が入ってきました。

政治家とは、○山△男という個人の能力を国政や地方行政に活かすものというのが今までの理解だと思います。しかし、米国大統領選挙を見ていると、政治家とは、個人ではなく、個人を中心とした「チーム」に移行しつつあることがわかります。

政治家が、個人からチーム化する、というのはどういうことなのか、なぜそれがトレンドになるのかということについて、考えてみます。

最初に現状のよくない例から。この例は、今回当選したある政治家Aさんの話ですが、あえて名前は伏せます。

Aさんは今回民主党から立候補して、初当選しました。政治経験はありません。これまでの経歴は、まず営業社員からスタートし、トップセールスになって、注目を集めました。その後、この会社の社長に就任して、ブランド価値の向上に貢献。この実績を買われて、ある企業のトップに引き抜かれて、悪化した経営の再建にあたりました。この再建は、黒字転換には成功したものの、新たな成長軌道に乗せるところまでは行かないうちに、ひとまず辞職し、別の会社のトップに就任。この会社は、経営不振とは言えないものの、好調ともいえない「そこそこ」の企業で、新しい成功モデルを構築することが期待されたものの、道半ばで政治家にスカウトされ、急遽立候補。民主党支持の波に乗って、当選しました

(by paco)村上春樹の最新作「1Q84」。読み終わってだいぶたつのですが、そろそろ「ネタバレ」も含めた記事を書いても許されるころと思い、ざっくり書いてみようと思います。

ということなので、以下、「1Q84」の中身に踏み込んだコメントになるので、これから本を読んでみようと思っている方は、そのつもりで読むか、「読んで」から読んでください。

■村上春樹のストーリーテリング手法の集大成

1Q84の構成は、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」で確立された手法をそのまま使っていて、「青豆」と「天悟」という二人のそれぞれを主人公とするふたつの物語が並行して進み、やがてひとつの物語になっていくものです。

「世界の終わり……」は、僕が最も好きな小説のひとつであり、「世界の終わり」という名前の塀に囲まれた静かな街での物語と、「ハードボイルドワンダーランド」という、現実の東京を舞台にした不可思議な冒険物語が並行して語られ、やがてふたつの世界が連続していたことが明かされるという、構成になっています。

「1Q84」もふたつの物語がまったく別個に、奇数章と偶数章で語られ、次第に相互の関係が明かされていきます。「明かされる」という言い回しの通り、ふたつの物語は謎を含んで展開していき、次第にその謎が明らかになるという、推理小説にも似た展開になっていて、これも初期の「羊をめぐる冒険」に始まり「ねじまき鳥クロニクル」で確立された村上春樹独特の語り口です。

(by paco)先週に引き続き、趣味の話をします。写真です。今年の夏のトピックは、先週書いた「デッキの補修/ペンキ塗り」と「古いフィルムカメラ」でした。

以下、参考写真を見ながら読んでもらうとよろしいかと。
http://picasaweb.google.co.jp/paco156ti/200909DigitalVsFilm#

僕が写真を始めたのは中学生のころ、1973年です。そのころに生まれている読者も多いと思うのですが、あまり年の差をカウントしないようにf(^^;)。写真を始めたのはほんの偶然で、中学に入ってしばらく入っていたバスケ部があんまりおもしろくなく、やめて(当時も部活をやめるのは結構面倒というか、嫌な思いをしたのですが)、何かやることはないかな?と思っているタイミングで、たまたま行ってみたのが写真部でした。運動部の体質にうんざりしていたので、文化部だったら大丈夫かもと思っていっただけ、という感じでした。

少しだけ「下心」があるとすれば、父親が持っていた一眼レフカメラで写真を撮ってみたくて、部活に入れば、貸してもらえるかな、と言う思いもありました。当時、カメラは今よりはるかに高価な貴重品で、子供にはなかなか触らせてもらえなかったのです。

そんなわけで、写真部に入り、計画通り父親からカメラを使う許可をもらって、最初に選んだ被写体は、鉄道。そう、今でいう「鉄ちゃん」です。ブルトレ(寝台特急)とか、ちょっと遠出してSLも撮りました。小海線に、休日だけ走っていたC56を撮ったのが始まりで、これが清里(八ヶ岳)との最初の出会いです。そんな中学生が、大人になった今、八ヶ岳の麓に暮らし、写真を撮り続けているのだから、人ってあまり変らないのですね。