2009年7月アーカイブ

(by paco)今週も宮台真司著「日本の難点」の解題です。今週は第5章「日本論」です。

この章は最終章ということで、4章までの展開を踏まえて、いま日本にあるトピック的なイシューについて、宮台なりの処方箋が提示されます。

(1)後期高齢者医療制度
(2)裁判員制度★
(3)環境問題★
(4)内定取り消しと企業の質★
(5)秋葉原事件の原因★
(6)日本の民主主義
(7)エリート
(8)日本の農業と食糧自給★
(9)社会を変える★

この章ではそれぞれのイシュー間の関係はほぼありません。ひとつひとつの説について論じていると、膨大な量になるのと、論じる必要もなくわかりやすい説もあるので、特に必要な説に限定して、★の節のみ解題します。

(2)裁判員制度★

裁判員制度については、僕も以前、知恵市場で書いていますが、
http://www.chieichiba.net/blog/2008/10/by_paco_85.html
http://www.chieichiba.net/blog/2007/11/by_paco_49.html
宮台は社会学者らしく、司法の正統性という観点で、裁判員制度を批判しています。

(by paco)今週も宮台真司著「日本の難点」の解題です。今週は第4章「米国論」です。

この章はp.150から207まであり、60ページ近いボリュームです。しかも、例によってイシューがMECE感をもって整理されていないので、全体として何を言いたいのかをつかむのはかなり難しい。

論理思考的に言えば、ほめられない構成だし、これまでも繰り返してきたとおり、非常にわかりにくい表現が多いのですが、そこを読み解きながら、「宮台社会学」が何を示しているのか、そこから何を学べるのかを発見してきます。

わかりにくい本をなぜ使うのか、解題するだけの価値があるのかと思う人もいるかもしれません。しかし、宮台の視点には他の者にはない、鋭く、的確なものが多く、読みにくくても、わかりにくくても、理解しておくに値するものが多いのもまた事実です。ある意味では、このぐらいのものは最低限の知識、最低限の論理展開のあり方として身につけておいていい。

そののち、宮台社会学を自分が受け入れるかどうはかは、各自の判断になると思いますが、このぐらいの論理展開は、じっくり読み込むことでいったんは自分のものにしておくことが、自分自身の「なにか」を見つけていくときの、重要な力になります。なぜそういえるのか? これについては最後に少し触れたいと思います。

(by paco)今週も宮台真司著「日本の難点」の解題です。今週は第3章「幸福論」です。

「日本の難点」は10万部を突破したみたいで、こんなに難しい本がこれほど売れるとは……。前回のワークショップのときに、受講者の皆さんに「わかりやすく書くことが僕の使命と思ってやってきたけど、難しく書いた方が売れるのかなあ」と珍しく愚痴ってしまいましたf(^^;)。

さて、第3章です。「幸福論」というテーマで、p.108から147まで39ページにわたります。

内容を読み込むと、大きく5つのパートからなっていることがわかります。

(1)社会を設計する必要性(?p.113)
?市場に任せるか、設計するか

(2)自己決定は社会従属に優先する(?p.120)
?自己決定を優先しても社会は崩壊しない

(3)宗教論(?p.130)
?ヘブライズムとヘレニズム

(4)自殺多発の原因は社会の包摂性の欠如である(?p.136)
?自殺多発のメカニズム

(5)価値観の異なる他者との共存(?p.147)
?ゾーニングしつつ、しすぎない

この中で、(3)宗教論は、全体の中での位置付けがいまいち不明確で、僕の知識と理解ではほかのイシューとの関連が読みきれませんでした。今週金曜日のワークショップでは受講者の知恵も借りながら、もう少し深めてみますが、今日のところはここを差し引いて、(1)(2)(4)(5)の4パートについて考えていきます。

(by paco)前回に続き、「日本の難点」を読み解きながら、「人生のwhat?」を見つけるアプローチについて考えます。前回は主に「はじめに」の部分を解題したので、今回は第2章を深めていきます。

先週、リアルの「what?を見つけるセミナー」第1回を開きました。予定通り序章と第1章について、レクチャーと議論で深め、意見交換を行いました。7名参加と少人数でじっくり議論できたこと、参加者から見ると、こういった人文化学的な議論がはじめてという方がほとんどで、難しく感じた部分と、ふだん考えないことを考えた充実感の両方があったのではないかと思います。

前回の「人間関係論」のような抽象的な話は、議論が拡散して「それぞれ意見が違う」で終わってしまったり、逆に自分の思い込みで終始したり、個別の事例の羅列が続くということになりがちですが、宮台真司の社会学的な知見という軸を設定することで、何をどう見ていけばいいのか、事実と論理を比較対照しながら考えるというやり方を学べたかと思います。それと同時に、こういった考え方をとると、社会の幅広い問題を考えられる(応用が利く)ことにも気づいていただく場面がありました。

終了後、一部の方と食事に行ったのですが(適当な場所が無く、「養老の滝」!)、その中では、脳死の問題や死刑廃止の問題なども、同じ切り口で考えれることを示して、いま日本で以下に議論がうわついているのか、できないのか、までは実感できたとのではないかと思います。

さて、今週は、次回第2回のセミナーに向けて、「日本の難点」第2章のイシュー(論点)を整理したいと思います。

第2章は「教育をどうするのか」(若者論・教育論)です。前回の範囲が47ページだったのに対して、今回は57ページあり、ボリュームも多いのですが、前回で使った概念が繰り返されるので、総量はそれほど違わないと思います。

第2章の60ページ近いボリュームを読み解くと、大きく4つのイシューが含まれています。

(1)いじめをどう克服するか
(2)教育の崩壊はゆとり教育のせいか?(p.70-)
(3)子供に「人の死」を教えられるか?(p.75-)
(4)早期教育は有効か?(p.85-)

そもそも、この4点が日本の教育論を語るのにMECEな切り口なのか、なぜこの4つが選ばれたのかということについては、宮台は本の中では説明しません。こういう不親切なところが彼の本には常にあり、論理的にかかれていないといういんしょうをうけるのですが、おそらく彼の中では緻密な組み立てがあり、教育を語るのに不要な要素はそぎ落として、これらのイシューが取り出されているのだと思います。ただ、本当にここが重要な点なのか、ほかは不要なのかを語っていないのは、読者の理解をそぐのは事実ですね。

それはそれとして、順に、宮台の趣旨を捉え、僕なりの見解を加えてみます