(by paco)414【日本の難点-5】米国論・国家論

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(by paco)今週も宮台真司著「日本の難点」の解題です。今週は第4章「米国論」です。

この章はp.150から207まであり、60ページ近いボリュームです。しかも、例によってイシューがMECE感をもって整理されていないので、全体として何を言いたいのかをつかむのはかなり難しい。

論理思考的に言えば、ほめられない構成だし、これまでも繰り返してきたとおり、非常にわかりにくい表現が多いのですが、そこを読み解きながら、「宮台社会学」が何を示しているのか、そこから何を学べるのかを発見してきます。

わかりにくい本をなぜ使うのか、解題するだけの価値があるのかと思う人もいるかもしれません。しかし、宮台の視点には他の者にはない、鋭く、的確なものが多く、読みにくくても、わかりにくくても、理解しておくに値するものが多いのもまた事実です。ある意味では、このぐらいのものは最低限の知識、最低限の論理展開のあり方として身につけておいていい。

そののち、宮台社会学を自分が受け入れるかどうはかは、各自の判断になると思いますが、このぐらいの論理展開は、じっくり読み込むことでいったんは自分のものにしておくことが、自分自身の「なにか」を見つけていくときの、重要な力になります。なぜそういえるのか? これについては最後に少し触れたいと思います。

この第4章の全体像をざっくり見てみましょう。この章には、目次上、9の節が含まれています。今回は順番に(1)から(9)と番号付けたうえで、以下のパートに整理してみます。

a.政治権力の正統性
(2)どうしてアメリカは大統領制なのか
(3)選挙で代表は選べるのか、多数決は正しいのか
(6)どうして日本の政治はダメになったのか
→政治権力は何を持って正統づけられるのか、どのようなメカニズムか

b.対米・外交論
(5)アメリカに守ってもらうために、対米追従は仕方がないのか
(7)沖縄の在日米軍基地はどうなるのか
→米国とどのような関係を結ぶのか、外交はどうあるべきか

c.金融・経済と政治
(8)金融資本主義は諸悪の根源か
(9)金融資本主義は乗り越えられるのか
→金融バブル崩壊をどう理解し、制御するか

※(1)(4)は論理展開の骨格ではないと判断し、省きました。この2節は、現状のオバマ政権に対する現段階での評論であって、この章の本筋への影響は小さいと考えています。

見てわかるとおり、節がかなり入り乱れていて、イシューが混乱していることがわかりますが、改めてこの構造理解で考えてみましょう。

●a.政治権力の正統性
(2)(3)(6)→政治権力は何を持って正統づけられるのか、どのようなメカニズムか

このパートは、政治権力の正統性のとらえ方です。大学時代、政治学科で学んだ人はもしかしたら学んでいるかもしれませんが、一般の人にとっては意外に理解されていないメカニズムが説明されているので、その点はしっかり読み込む必要があります。

まず、政治とは何かを定義しておく必要があります。本書では第3節のp.161でその説明をしています。政治とは、共同体(自治体や国家)を構成する市民を拘束する決定を生み出す装置のことです。

簡単に言えばこんな感じです。社会の中で利害が対立するような場面について、どのようにその利害が調整されるべきかを決めておかないと、混乱がおきます。この決めごとをすることは、たいていは利害対立の双方にとって、自由が制限されることを意味します。つまり「拘束」するような決まり事を作らなければならないことがあり、その決まり事を決める装置を政治と呼んでいるわけです。

自分たちを拘束するような決まりごとは普通は受け入れたくありません。受け入れがたいことだけれど、ある要件が整った仕掛けで決まったことなら、受け入れることもやむを得ない。こういう理解ができるような仕掛けとは、どのようなものなのか。現在では、受け入れ可能な仕掛けとして民主的な選挙によって選ばれた議会で決めるなら、やむを得ない、と受け入れることが、何とか、できるだろうと考えられ、他の方法よりは「まし」なので、民主主義という仕掛けを受け入れている、という位置づけになると宮台は述べています。

民主主義(選挙で選ばれた議会が決める)という方法以外に、人間は過去、いくつかの方法論を持っていました。ひとつは宗教的な決め方で、神がこれこれといっている、それを予言者が聞き取り、聖典に書いたので、それに従うべし、という方法です。ユダヤ教やイスラム教ではこのような聖典や戒律が日常生活のルールの多くを決めてます。しかし現代社会では宗教への信頼は落ちてしまい、この方法は受け入れがたいと考える人が増えているし、新しい時代に登場する新しい課題(例:知的所有権)は、聖典が書かれたときにはなかったことであり、聖典に文言を追加することは難しいために、うまく機能しません。ちなみに宮台は、宗教的なルールを「世界創世譚」と呼んでいて、「社会の外から社会の形を規定する」と定義しています(p.164)。

もうひとつのあり方が英雄によるルール決めです。その社会を存続させるような重要な行動をとれたリーダーがいたら、そのリーダーへの信頼感から、リーダーが決めたルールに従おうとする気持ちが働きます。隣国の侵略をはねのけた軍人がその後の社会のリーダーになり、ルールを決めるということはよくあり、現在の中国共産党政権もその一例です。中国共産党は、日本軍の支配をはねのけたというのが英雄たる根拠であり、だからこそ人々を拘束するルールを決めることができると位置づけられるので、逆に言えば、英雄であることの再確認として、日本が「悪いやつ」であって、ひどい悪漢から中国を救った、という物語を繰り返し語り続けないと、その正統性が担保されません。中国が日本の歴史に介入するのは、彼らの存在意味を格にする作業なのです。

このような方法はそれぞれに問題があり、どちらかというと民主的に選ばれた議会がルールを決めるという方が、受け入れやすいので、今は民主主義が多くの国で採用されている、と説明します。

民主的な決定のしかたにはもうひとつ、「脱人称性」というメリットがあります。あるルールを決めたのが誰の意向なのか、特定の個人や小集団に帰属されると考えると、人々は従いたくなくなります。隣に住んでいるようなあいつのいうことを、なぜ俺が聞かなければいけないのかと考え、ルールが機能しないのです。誰か個人の発案であっても、議会で「みんなの賛成で決めた」と考えると、個人性は失われ(脱人称化)、やむを得ず従う気持ちになるのです(p.165)。

しっかり押さえておく必要があるのは、民主主義では「みんなが決めたから正しい」というような素朴な理解ではダメだ、という点です。正しいのではなく、王や宗教による決め方を否定したからには、議会での議決を受け入れないと、ルールが機能しないからです。「みんなで決める方が正しい」のではなく、「間違えるかもしれないが、そうやっていくしかない」という現実的な方法なのです(p.159)。

このような民主主義のメカニズムを確認した上で(本では順番が逆ですが)、米国がなぜ大統領制なのかについて、検討が始まります(第2節)。

米国は、欧州にあった宗教や英雄(王や皇帝)の権威をベースにした決めごとのルールから逃れ、それらを拒絶して利用しないと決めた人たちがつくった国です。旧大陸の決めごとのルールを利用しないと、思うようにルールを決めることができなくなりかねません。それゆえ、西部劇では荒くれ者(ルールを無視するもの)がたくさん登場することが自然なのです。

市民を拘束する決めごとをつくる大統領は、米国民全員で決める、ということを明確に再確認する作業が、4年ごとの大統領選挙なのだと宮台は説明するわけです。

そういった米国の特徴を明らかにした上で、日本の政治決定メカニズムを対比的に分解します(第6節 p.183-)。

日本の戦後自民党政治のメカニズムは、「党本部の政務調査会のもとに、多数の議員を通じて上がってくる要望が集まり、調整が行われる。それを集約して官僚との折衝に当たり、その折衝をもとに完了が法案を書いて国会に提出、議決を経てルール化された」と解剖します(p.188)。このメカニズムは、「民主的な議会での議論による正統性がある」とはいえないものの、民意を吸収して脱人称化した上で、受け入れ可能な形(議会での議決)を経て決まるという意味で、民主的な決め方だったとしてきます。しかしこの方法はすでに完全に崩壊してしまった。ここに日本の難点があると言います。

これに対する答えは、金融論の最後に登場します。


b.対米・外交論
(5)(7)→米国とどのような関係を結ぶのか、外交はどうあるべきか

この2節では宮台の軍事論が展開されます。実は宮台は軍事面、外交面の分析は、他の領域の分析に比べると実績が少なく、ここの節でも、ファクトの把握を含めて、キレがありません。

特にp.178の「本土で地上戦を戦う時点ですでに戦争は負け」という主張は、いくらなんでも強引で野蛮です。もちろん、本土での地上戦はなんとしても避けなければなりません。しかしこれを国の防衛の柱にしてしまえば、本土に上陸される前に、相手をたたけという先制攻撃論が有効になり、これを日本と近隣諸国が相互にやり出せば、疑念が疑念を呼んで、無用な戦争に発展するリスクを負います。重武装して地上戦に持ち込まれないように、ミサイルや長距離爆撃能力を持てと宮台は主張します。こういった攻撃力が、通常の外交力を強める背景になるという抑止論を展開していますが、これを東アジア、東南アジア諸国が相互にやり出したらどうなるか。軍拡競争や、敵を過大に評価することで戦争を誘発するメカニズムにつながるリスクが高まります。

ブッシュJr.政権がイラクに先制攻撃的に侵攻したときの口実は、大量破壊兵器(実際にはなかった)ですが、同じことがテポドンを巡って日本と北朝鮮(後ろ盾の中国)との間で起こる可能性が上がってしまうでしょう。

このあたりについて宮台がきちんと答えを示せていないので、ここの議論は僕は受け入れていません。

しかしp.180にある「安全保障とは軍事のみならず、資源やエネルギーの安全保障、食糧、文化、技術の安全保障などの総合パッケージである」と定義しているのは重要です。

ちなみに、上記のような「先制攻撃論」も展開する宮台ですが、外交も含めた総合パッケージとして、「実際に軍事力を使う疑念を、周辺各国から取り払う努力」も語っています。そのためには「自虐史観であろうが謝罪であろうがOK」名誉より未来への実質的な価値をとれ、と主張しているのは、実に明解です(p.182)。

c.金融・経済と政治
(8)(9)→金融バブル崩壊をどう理解し、制御するか

このパートでは、サブプライム問題からバブルを防ぐ方法を語ります。

サブプライム問題については、金融工学やレバリッジ金融が悪いのではなく、それ自体はやむを得ない。バブルが起こる可能性を常に予見し、制御する市場のモラリティが重要、と述べています。

ここについてば、僕自身は異論があり、金融工学やレバリッジ金融(マネー金融)自体を禁じる手を充分に打つことは大きな意味があると思っています。実体経済の取引を伴わない、マネーによる取引を広範に禁じ、監視することで、金が金を生む自体を今後撲滅することは可能だし、ある程度以上の有効性があると思います。

もちろん、第9節で宮台が語っているように(あるいは第3章p.110ページでも書いているとおり)、一定のモラルのある市民を育て、市場メカニズムが反社会的にならないように制御するという宮台の主張も有効だと思いますが、それだけではいかにも心許ないというのが僕の考えです。両方をやっていく必要があるでしょう。

宮台が考えるあるべき社会をつくるキーは、p.206にも繰り返されているように、「社会成員が利他性を自然感情だと見なすようにすり込むには、どんな社会を設計すればよいか(道徳教育)」だということは、この章にいたって、鮮明になってきました。ここが、この本の重要な学びの軸になります。

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さて、このような宮台社会学を理解することが、人生のwhat?を見つけるのに、どのように関係するのでしょうか?

自分のライフワーク(what?)を見つけかけたとき、それが本当に価値があるものなのかどうか、そこに注力していいのかどうかをきちんと理論づけておくことは非常に重要です。

ある時代の中で、「やるべきだからやる(what?)」ことというのは、一般の人が普通に行動しているだけでは実現できないようなものです。ちょっとしたことで多くの人が簡単に実現できるなら、それは自分の人生を賭けてやるようなこととはならないでしょう。困難があっても、やる価値があるから、自分のライフワークたり得るのです。

しかし、このような構造をもっているがゆえに、それをやろうと思ったときの周囲の反応は、ネガティブなものか、理想主義者として嘲笑されるか、そんな宿命にあります。「できればいいよね」というような突き放した言葉をもらうこともよくあります。そのようなネガティブ、あるいは不安な状況にぶつかっても、自分はそれをやるべき何だと心に思い定めるためには、単に熱い想いがある、といったことでは不足です。何を言われても自分自身を納得させることができるロジックをもっていることが、自分の自信につながり、それが周囲を説得し、動かす力になります。

社会学や哲学の知見は、今社会に何が起きているか、どこに課題を抱えていて、どのような方向に進めばいいかを論理的に示してくれます。もしそのロジックが自分にとって受け入れ可能なら、それのロジックの中に自分のやるべきことを位置づけられれば、それを推進することの強力な後押しになります。こういう後押しを、できれば複数の根拠としてもっておくと、自分がやろうと思っていることが容易に実現できなくても、あきらめたりくじけたりすることがありません。しつこく、長期間にわたって挑戦し続けることができます。そういう人が、なにかを成し遂げているのです。

何をやるべきかを見つけることとは、それをなぜやるべきかを論理的に位置づけることとイコールです。社会学や哲学は、そのための重要な知見を与えてくれます。

僕の「人生のwhat?を見つけるセミナー&ワークショップ」では、前回第3回から、テキストの解題の要素を減らし、自分は何をするかという視点で考えるセッションを長くしています。じょじょにきちんとした理解ができている頃合いを見計らって、自分の血肉にする方法を学び始めてもらっています。

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