2008年2月アーカイブ

(by paco)環境問題、特に地球温暖化が、何をもたらすのでしょうか。干ばつや砂漠化、局地の氷が融けて海面が上昇する、などはよく知られていますが、生態系の破壊も大きな問題です。

今回は、昨年夏にNHKが放送した番組「ちょっと変だぞ 日本の自然 大発生スペシャル」からネタを拾って、生態系異変の現状とメカニズムについて考えます。

まず最初は、山口県岩国市。ここでは今アルゼンチンアリが大発生して、日本のアリを駆逐しています。繁殖地は中心部の1?2キロ四方ほどの範囲で、1軒の住宅の敷地に数百万匹のありが生息していると言われています。アリの数を言われてもピンと来ないと思いますが、庭の石の下、植木鉢の中、ありとあらゆるところにアリの巣ができていている状態です。

人の生活にも影響が出ています。アルゼンチンアリは体長2.5ミリほどの小型のアリです。ちょっとしたすきまからも家に入り込むことができるので、平気で入り込んでいきます。ねらいは食べ物。仏壇にご飯を上げておくと、たちまち真っ黒になるほどにアリがたかってしまい、お供えもできません。

(by paco)社会起業家という存在が少しずつ認知されるようになってきました。

社会に存在する様々な問題に対して、政府や行政ではなく、NPOやNGOのように非営利団体としてでもなく、ビジネスのしくみを使って解決しようとするアプローチで、英語ではソーシャル・アントレプレナーです。今回は、昨年NHKで放送されたBSドキュメンタリーに登場したふたつの社会起業家(企業)をレビューした上で、社会起業家のメカニズムについて考えます。

最初の例は、米国・サンフランシスコから世界に向けて活動しているKIVAという社会起業事例です。

KIVA(キーヴァ)のビジネスモデルはインターネット上の金融事業で、先進国の一般市民から一口25ドルという小口の「融資」を集め、その資金を途上国で起業したい個人事業者に融資するしくみで急成長しています。

具体的な融資の例はこんな感じです。アフリカ・ウガンダ北部に住んでいたある女性は内戦で夫を亡くし、娘二人と何も持たずに南部の街に逃げ延びてきました。しかし生活は困窮状態から抜け出せません。彼女は単純労働の低賃金から抜け出すべく、故郷で作っていたピーナツバターづくりで生計を立てることを思いつきます。ピーナツバターはウガンダ人の大好物で、市場は十分あり、作ることについては北部出身の彼女にとっては習熟しています。しかし最初の資金がありません。ピーナツと白ごまを仕入れ、火にかけて練り上げるための燃料を買うことができないのです。

(by paco)今週は、子どもとお金についてのふたつの話題をお伝えします。ひとつはネパールの少女たちを襲う人身売買、もうひとつはフランスの手厚い助成で増える子どもたちです。

人身売買という現実については、コミトンでも何度か書いてきていますが、読者の皆さんにどのぐらい認知があるでしょうか。まして、身の回りのごく普通の日本人にとっては、人身売買など、はるか過去の歴史用語と思っている人も多いのではないかと思います。しかし、現実には人身売買は今世界のあちこちで起きているし、日本人の犠牲者も含まれています。そのうち、今日はネパールの少女たちの人身売買について書いてみます。

ネパールは世界の最貧国のひとつで、貧しさゆえに売られてしまう少女が年間数千人とも数万人とも言われています。人口2700万人、1人当たりのGDPは1400ドル。かつてはシルクロードとインドとの中継地点として栄えた時期もありましたが、ヒマラヤ山脈を北に抱え、高地で土地は痩せているので、シルクロート貿易が海路に取って代わられると、めぼしい産業が無くなり、生活は貧しくなりました。現在は国民の70%が農民で、山の斜面に張り付くように畑や田を作って暮らしていますが、場所によっては収穫がわずかで、1日1回の食事がやっとという農民も珍しくありません。

(by paco)今週は、「死刑制度」について考えます。世界の世論の流れとしては、死刑は廃止すべしという圧力が強くなっていて、特にEUでは死刑制度の廃止が加盟の実質的な条件になっています。この流れの延長で、2007年12月には死刑制度存続国に対して、死刑の執行停止を求める決議が国連総会で議決されました。

こうした流れの中で、日本は現在も死刑制度が存在し、一時「判決は出ても執行停止」状態だったにもかかわらず、現在の福田内閣の法務大臣鳩山邦夫は、就任以来すでに6人の処刑に署名していて、執行されています。

僕たち日本人は、死刑制度とどのように向き合っていけばいいのでしょうか。

社会の世論が死刑制度撤廃に消極的な理由は、基本的には「自分や身の回りの人は死刑になることはない」という点にあり、また自分も死刑の現場に立ち会ったり、死刑の決定にかかわることもないと思っているので、他人事だというのがひとつ。もうひとつは、厳罰を科して、「死刑が怖いから犯罪を犯さない」状態になれば、自分も安全だと考えるからでしょう。おそらく、あなたの感覚もそんな感じではないでしょうか。