2010年10月アーカイブ

(by paco)先週に続いて、<おとなの社会科>を学ぶ意味をまとめます。

■未来を知るために学ぶ

<おとなの社会科>の学ぶテーマとして重視しているのは現代史です。これまでのところ、2009年12月に昭和の現代史を学びましたが、それ以外は中国やロシアなどの地理や、貧困、農業、地域などの社会問題を扱ってきました。実際歴史はあまり扱っていないのか?というとそんなことはありません。中国やロシアでは、共産主義の歴史やロシアの独立など、近世以降の歴史を扱いました。貧困問題では、貧困が起きている経緯を現代の資本主義の経緯や構造から見てきました。

「歴史」を前面に出してはいないものの、背景にある歴史を説明して、それ故に今の姿があること、つまり過去から今、未来へのつながりを見せています。

「昭和とバブル」では、1950年代から90年代までを概観して、好況と不況の循環をみた上で、好況だったり、上り調子に見える社会でも、よい面ばかりではなくいろいろな課題を抱えていたことをみました。また、バブル景気が、行動成長期終了後の下降局面の中、「もう二度と好景気は来ない」と思われていた日本経済に好況が来たことを確認しました。

歴史がバージョンアップしながら繰り返されていることも学びました。「ロシア」では、19世紀の絶対的な皇帝体制が崩壊して「労働者の国」としてソ連が生まれてからも、結局はソ連政府が絶対権力化して皇帝のようになったこと、さらに、ソ連が崩壊して民主的な資本主義の国になったように見えて、プーチン政権では権力の集中と反権力への弾圧が続いていて、帝政ロシア時代と似た状況が現れていることも学んでいます。

歴史は繰り返しつつ、しかしまったく同じではなく変化を続けていることが見て取れます。

(by paco)<おとなの社会科>をスタートさせて1年半になります。セミナーの受講生は、毎回ほぼ10?15名程度で、受講者からの評価も高いと感じています。

とはいえ、<おとなの社会科>のような学びは、どこがどのようにいいのか、どのようなねらいなのか、わかりにくいのも事実。これまで書いてきたことと重複することは承知で、改めて<おとなの社会科>を学ぶ意味をまとめてみようと思います。

■意思決定の経験の浅い現状を変える。

おとなになるということは、自分の意思で決めて行動する、ということを意味しています。自分の意思で決めるというのは、もちろん、自分個人のこと、たとえば、誰と結婚するとか、どこに住むとか、どんな仕事に就くとか、そういうことが含まれます。

しかし、日本人のおとなにわりと多いのは、会社員の自分としての意思決定、ということについて、あまり意識がないこと。会社員ではなく、フリーランス、個人で仕事をしている人も、自分の意思決定と言うことに自覚的ではない人が実は多いのですが、仕事上の意思決定と言うことに、どこか無自覚であるという共通点があります。

僕が最初にこのことが気になりだしたのは、グロービスの受講生と話しているときでした。受講生たちは概して優秀で、グロービスのクラスを複数受けるような人は、特にそうでした(優秀になった、という点も含めて)。僕自身は自分の学歴や職歴に自信がないという気持ちをずっと抱いてきたのですが、比較すると受講生の方がずっと優秀で、立派な企業に廃止、大きな仕事を任されていることがよくありました。しかし、意思決定、自分が仕事で何をするべきかを考え、わかっているという点では、僕自身と大きな差が見えたのです。

(by paco)3週続きで写真ネタです。しつこくてすいませんが、もう1回書かせてください。

レンジファインダーカメラでフィルムで写真を撮る、という話を書いてきたのですが、ではフィルムで撮るにしても、なぜレンジファインダーなのか。

前回、

ライカがつくったこの一連システムは、「レンジファインダー式の35ミリカメラ」と「LマウントまたはMマウントという公開規格のレンズ群」で構成されています。この方式は、日本でも、というか、世界で、1950?60年代頃に主流になったものの、その後、一眼レフや、ほかの小型カメラに次第にシェアを奪われて、すでに「過去のもの」というのが一般的な認識です。しかし、実際には80年間、一貫してつくられ続け、しかも、非常に高価にもかかわらず、一度も製造が止まったことがないという、今も支持される製品群なのです。

という説明をしたのですが、あまり説明になっていません。

僕が写真を始めた1970年代に、すでにレンジファインダーは主流ではなくなっていて、一眼レフ全盛の時代になっていました。そういう意味では、僕はレンジファインダーの黄金期を知らず、一眼レフこそ、カメラの王様、という時代を活きてきたわけです。しかし、改めてそれから時間を経てみてみると、なぜレンジファインダーが時代を超えて生き残ってきたのかがわかってきました。

大きくいうと、レンジファインダーのメリットは3つあります。あくまで、画質のよい写真を撮るための魅力、ということですが、ひとつは、一眼レフと比べて小型軽量、特にレンズが小さく、携帯性に優れること。もうひとつは、ファインダーがクリアで見やすく、独特の作画感覚があること。3つめは、特に人物を撮る場合、撮りやすいこと。

(by paco)今週も趣味の写真ネタです。フィルムで写真を撮る楽しみについて、先週書きました。今週は、カメラについてです。

携帯にカメラがつき、しかも1000万画素を超える性能になっているので、もはや「カメラ」という機械そのものが無用のものというか、わざわざ別に持つ必要があるのか悩ましい、という時代です。そして、もちろん、それで十分なのです。

ただ、そんな中で、過去の遺物に見えるカメラに魅了されていて、そういう人がどうやらけっこういます。古いカメラは、ちょっとした流行です。ノスタルジー(古いものを懐かしむ気持ち)で古い道具を手にする人はいつの時代にもいるのですが、今の「カメラブーム」は、ほかの意味合いを含んでいる。それは何か、今週は、カメラという機械について、考えます。

デジタルオンリーだった僕の写真ライフに、フィルムカメラが久しぶりに戻ってきたのは、去年の夏。ペンタックスのフィルム一眼レフをオークションで落としたのが始まりでした。