(by paco)<おとなの社会科>をスタートさせて1年半になります。セミナーの受講生は、毎回ほぼ10?15名程度で、受講者からの評価も高いと感じています。
とはいえ、<おとなの社会科>のような学びは、どこがどのようにいいのか、どのようなねらいなのか、わかりにくいのも事実。これまで書いてきたことと重複することは承知で、改めて<おとなの社会科>を学ぶ意味をまとめてみようと思います。
■意思決定の経験の浅い現状を変える。
おとなになるということは、自分の意思で決めて行動する、ということを意味しています。自分の意思で決めるというのは、もちろん、自分個人のこと、たとえば、誰と結婚するとか、どこに住むとか、どんな仕事に就くとか、そういうことが含まれます。
しかし、日本人のおとなにわりと多いのは、会社員の自分としての意思決定、ということについて、あまり意識がないこと。会社員ではなく、フリーランス、個人で仕事をしている人も、自分の意思決定と言うことに自覚的ではない人が実は多いのですが、仕事上の意思決定と言うことに、どこか無自覚であるという共通点があります。
僕が最初にこのことが気になりだしたのは、グロービスの受講生と話しているときでした。受講生たちは概して優秀で、グロービスのクラスを複数受けるような人は、特にそうでした(優秀になった、という点も含めて)。僕自身は自分の学歴や職歴に自信がないという気持ちをずっと抱いてきたのですが、比較すると受講生の方がずっと優秀で、立派な企業に廃止、大きな仕事を任されていることがよくありました。しかし、意思決定、自分が仕事で何をするべきかを考え、わかっているという点では、僕自身と大きな差が見えたのです。
こんなに優秀な人たちなのに、なぜ迫力がないのか。なぜ自分に自信がなさそうにしているのか。気になったのは、優秀な受講生たちの仕事に対する姿勢でした。MBA科目を学ぶと、いろいろなビジネスの可能性について実よく説明ができるようになります。戦略オプションを出すこともうまく、A案、B案、C案を検討して、それぞれのメリットデメリットの分析も僕以上にうまくできます。しかし、ではなぜその3案を候補にしたのか、その3案のうち、自分外いちばんいいと思うのはどれだと考えるのか、と聞くと、答えられなかったり、自信がない人が多い。
どうやら、戦略を立て、プランを示すことまではうまくできるけれど、最終的な意思決定ができないのではないか、と感じたのです。
その理由を聞くと、ひとつは「意思決定というものをあまりしたことがない」ということ。もうひとつは、「上司から意思決定を求められていない、または求められていると思っていない、自分の役割とは思っていない」。ということ。両方に共通することとして、「意思決定という場面になれていない」ということもありそうです。
ちなみに僕自身の話をすると、自分の人生の時間の瞬間瞬間が意思決定だというように自覚していて、意図的な選択をしようと思いながら暮らしているし、それは決して大げさなことではなく、自然なことです。ついでに言えば、僕は自分の娘を「自分の時間の使い方を自分で決められるようになること」を大きな目標に子育てしてきたのですが(そしてそれはかなりうまくいったのですが)、自分がやっていることを娘にもできるようになってほしい、と言うことからやっていることなのでした。
受講生たちに聞くと(あるいは、読者のあなた自身も)、大学を選ぶ、会社を決める、といった場面でも、自覚的に選んでいない、流されて選んでいる、と感じている人が多いことに気がつきます。偏差値があっていたから、理系のアタマだったから、人気企業ランキングの上から受けて、受かったから。そこまで無自覚とは言わなくても、積極的に条件を決めて選んだ記憶がない、という人が多いのです。
もちろん、結婚をするときや、自宅のマンションを買うときなどは、かなり悩んだりしているのだとは思いますが、それでも「成り行きで結婚」とか、「自分が住みたいエリアにあり、ローンを組めると聞いたから決めた」という話も多いようです。
これでは「自分で決める体験」が足りず、意思決定をどのようにすればいいか、方法論がわからないとしても不思議ではありません。また、重大な意思決定を意図的にしたほかの人物が、どのような思考を経て決定を下したのかも、関心がなく、わからない、ということになります。
■違いが生まれる場面を克明に学び、意思決定の意味を知る。
<おとなの社会科>での学びの第一歩は、ものごとを多面的に理解することです。そのために、歴史や世界の状況がどのような成り立ちなのか、なぜそのようになっているのか、ほかの可能性はなかったのか、ほかの可能性の中で、なぜそのような結果になったのかといった観点から、情報とメカニズムを解説します。
たとえば、今今月10月は「ロシア」をテーマに学んでいますが、ロシアがどのような理由でコーカサス地方の国々を支配下に治める意図を持つに至ったか、そしてそれがどのように執念深く行われているかを学びます。その意図や執念深さは、現代日本に暮らす僕たちの感覚とはあまりにずれていて、そのようなことがあるなど信じられないほどなのですが、しかし、本当にそのようなことがあるという事実をしっかり腹に落とすようにしています(本やVTR、webなど複数の情報源から見ることで実現できる)。
こういう状況を見ると、ロシアは近隣地域を支配するという選択をしていて、現代日本はそれをしていないという意思決定の違いに気がつきます。これが多面的に見るということです。
その一方で、ロシアの選択が「異常な国の異常な人々によって行われている」というように、異質なものとして排除することのないよう、その意思決定と行動が認められているメカニズムを見ます。
ロシアの場合は、15世紀以降の民族自立まで、タタールと呼ばれるトルコ系イスラム教徒に支配・抑圧されていた経験が、その地方への支配欲求につながっているという「トラウマ説」を示します。またイギリスとの覇権争い、という要理はイギリスによって勝手に仮想的にされていじられてきた歴史(「グレートゲーム」)から、米英からの影響を排除するという目的が生まれ、それが中央アジアはへの支配欲求につながっていることを見ます。
これがロシアの国家としての動機です。
そして、その国家を国民がどう支持するのかのメカニズムを見ます。もともと従順で頼りがいのある指導者を求める国民性、情報を徹底的にコントロールすることで事実を見えなくする政府の行動、経済状況を巧みに利用して軍人を魅力的に見せる方法などが重なり、軍事力による他民族支配を国民が支持する構図ができている。
動機とそれが支持されるメカニズムを見ると、ロシアの現状に納得がいく反面、日本はなぜ違う道を選んでいるのかについても考えさせられることになります。
ある状況(ここでは日本とロシアの違い)を見ることで、意思決定の相違を知り、意思決定の仕方によってまったく違う状況が生まれることを理解することが、<おとなの社会科>の大きな目的になります。
■意思決定の場面をシミュレート体験し、意思決定を自分の問題として考える
次に、なぜ意思決定を学ぶために、世界や歴史という題材で学ぶのかについて、話します。
意思決定は、もちろん日常生活や業務の中にもあり、もっと身近な意思決定もあります。しかし、身近であるだけに、小粒に感じられてしまい、重要な意思決定の時には参考にならないように感じられることが多いのです。
自分が(意識的に)大きな意思決定を前にしているときは、どうしてもヒロイックな気分になるものです。この決断によって、自分を取り巻く世界が大きく変わる、自分の将来が大きく変わる、というような感じです。決断の結果が大きく感じられるほど、決断を避けたい気持ちになり、逃げてしまおうとする気持ちが働きますが、決断になれている人は、何らかの根拠をしっかり持って、自信を持って決断をしていきます。エイヤッと、賭に出るように決断しているわけではなく、これ以外の選択はない、とはっきりわかるまで考え抜き、その決断をしているのです。だから、決めたことに対してぶれないし、万が一失敗しそうになっても必死にリカバーしたり、失敗という結果を受け止めることができます。
ヒロイックな気持ちで決断を前にしている状態の時に、何が参考になるのか。自分以上に重大で影響が大きい決断をした過去のできごとや人物のことを参考にすればよいのです。
<おとなの社会科>では昨年2009年12月に現代史を扱いました。ここでは、日本が太平洋戦争に向かっていく決断をどこでどのようにしたのか、Point of no Returnはどこだったのかを学びました。陸軍の判断、海軍の判断、天皇、政治家、メディア、市民など多様な点から検討することで、どのように戦争が決断されていったのかをみたのですが、そういった場面と、今自分が置かれている意思決定の場面を比較、類推することで、つぶされそうになる感じの大きな決断であっても、しっかり前向きに決断していくことができるようになります。あの時、こんな決断をした人がいるのだから、自分が直面していることは、たいしたことではない、もっと容易なはずだ、と。あるいは、こういう方法で判断してはいけない、このことを考えなくてはいけない、とか。
実際、僕自身が重大な決断をしたときにも、自分が知っているさまざまな過去の決断を参考にしました。実際には、具体的なある歴史の場面、というようなことよりは、「それと比べればたいしたことがない」というようなマインドセットの問題が大きかったような気がします。
(自分にとって)重大な意思決定の場面で、参考にできることを持っているということは、いざその場面に遭遇したときには強い味方になります。しかし、その場面になったときに参考になるものを探そうとしても、探せないものなのです。それまで学んできたことの中から、ふっと「そういえばあの場面と似ている」というように思い浮かべ、心を強くすることができるのです。
わかりやすい例で言えば、今龍馬伝をやっていますが、坂本龍馬が亀山社中をつくり、薩摩から大型船の出資を受けて活動を始めたときに、龍馬はその決断をどのように決めたのか。こういった事実を知ることは、自分が事業を始めたり、会社で新規事業を決断するときに、おおいに助けになるのです。龍馬のような歴史上評価の高い自分つと自分を同列に置くことにより、押しつぶされそうになる決断も「龍馬に比べればたいしたことはない」と考えることもできるのです。
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ということで、今週は<おとなの社会科>と意思決定について考えてきました。来週も<おとなの社会科>の意味について書く予定です。
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