(by paco)前回に続き、「日本の難点」を読み解きながら、「人生のwhat?」を見つけるアプローチについて考えます。前回は主に「はじめに」の部分を解題したので、今回は第1章を深めていきます。
前回は「普遍主義の理論的不可能性と実践的不可避性」について考えたのですが、今回考えるのも、これを別の角度から深めるというアプローチです。
第1章では「若者のコミュニケーションはフラット化したのか」「人間関係が希薄になっているのか」というイシューがたてられます(p.20)。宮台はこの問いにYESと答えつつ、具体的に深めていきます。
人間が自分の存在を理解するためには、他者の存在が必要です。人間は1人単独では、自分が何者かを確立することができない、やりにくいという原理があります。自分が自分であることを理解するためには、「他者とのコミュニケーションの履歴ゆえに自分は揺るぎない」と考えることが、自分が自分であることを理解することを意味している、ということを理解するところから始めなければなりません。