(by paco)408承認されたい男と共感されたい女

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(by paco)Life Design Dialogueではキャリアデザインとプライベートライフのデザインを一緒に考えて進めます。たいていの人はキャリアデザイン中心ですが、プライベートの話を深く聞くことも結構あります。もちろん、僕の方から聞き出すわけではなく、基本的には本人が話すことを聞く立場です。僕の方からは、プライベートの状況が仕事にどう影響するのか、その逆はどうか、という観点で、全体の影響関係の話をして、必要ならどう考えていくべきかを一緒に考える、という感じです。

同時に、純粋にプライベートライフのことの相談も時々あって、30-40代の場合、やはり夫婦関係や、子供も含めた家族関係の話になります。

ここまで来ると、夫婦仲がうまくいっていないとか、場合によっては離婚したいという話になることもあり、文字通り人生相談になっていることも多くあります。

ということで、今週は、結婚しているカップルの関係について、考えてみます。

いろいろな人と話をして、共通して感じるのは、結婚して子供ができてからのカップル感のコミュニケーションは本当に難しいなあという点です。子供が生まれて最初は、わりとよいスタートが切れることも多く、いい感じの家族だなあと思うことが多いのですが、子供が2?3歳になると、だんだん雲行きがあやしくなる例があります。

状況の現れ方は、いろいろです。夫が子育てや家事に参加してくれないというのはよくあるパターンですが、逆に子育てに積極的でも問題はおきます。子育てについての意見の食い違いとして現れることもありますが、考え方はわかるけれど、接し方、コドバ遣いが嫌だという場合もあります。女性が仕事を再開したくなるタイミングでもあるので、これを巡ってぎくしゃくすることもあります。

女性が男性を非難する態度を取っている場合が多いのですが、女性は男性について、基本的に「よい夫、ありがたい夫」と理解していることも結構あり、それでもトラブルが起きていると、それぞれの中で問題が内攻するので、複雑化してしまうこともあります。

まず言えるのは、男女のコミュニケーション態度の違いです。これは本能的というか、生まれもっての違いです。女性はコミュニケーション(人間関係)に「共感」を求め、男性は「理解と承認」を求めがちです。

この結果、女性からのコミュニケーションは「私のこと、わかるでしょ、わかってほしい」となります。男性からかけてほしい言葉は「わかるよ、そうだね、たいへんだったね、自分もそう思う」というタイプの言葉と、女性の気持ちを受け止め、包み込むような態度です。一方男性が求めるのは、自分の考えの理解です。女性の話に対して、「自分はこう思う、こう考えた方がいいんじゃないか」ということを話したがります。そしてその考えにたいして、女性が「そうだね、あなたのいうことはまったくその通り」といってほしい。

でも、教官がほしいと思っている女性に対して「自分はこう考える」といわれても、女性は求めているもの(「よくわかるよ」)が得られないので、いらだちます。男性は自分にコミュニケートを求めた女性に対して、「僕の考えを話したんだから、理解すべきだ」と思います。どちらもコミュニケーションに求めていることが満たされないので、いらだちが募るわけです。

僕は男なので、どうしても男性に厳しくなるのですが、男性の読者にはぜひ妻やガールフレンドとの会話のときに、最初に「よくわかる、君の気持ちはこういうことだよね」と反復して返してあげることをオススメします。その後、この共感性のやりとりを、何往復化して、女性の気持ちをいったん満たすことを必ずやるようにといいと思います。その後「自分はこう思う」といいたくなるのですが、必ずしもそれは必要ありません。女性から求められればいうべきですが、求められないのにいわない方がいい。ここはあえて、いいたい言葉を抑えて、男性から見れば一見不毛なやりとりに見えるところで会話を終えます。女性は「優しい男性だ」と感じます(たぶん)。男性にいいたいことが言えなかったストレスがたまりますが、女性を心身ともに満足させることが男性のつとめですから、ここまででいいのです。言葉は飲み込んで、抱きしめてあげましょう。to be continued...

というような処方箋でうまくいくうちはいいのですが、これだけではうまくいくとは限らない。これができれば、最悪の展開は回避できますが、なかなかよい状態に持っていくことはできません。僕と妻がそうでした。

僕たちはきちんと愛し合っていたので、ここまではできました。それでもずいぶん、ケンカやトラブルを経験しましたが、お互いに相手を憎しみ合ったり、相手から距離を置ければその方がいいと考えるところまでは行きませんでした。でも、決していい状況とは言えませんでした。僕も妻も、その都度、その場面での問題はなんとか回避してやり過ごしている、という状況を感じていたのです。僕はどうしてこうなるのか、ずいぶん考えましたが、その時には答えが出ませんでした。

今でも、答えはわかりません。でも、状況は次第に好転してきました。娘の年齢が上がり、小学校高学年にはいる頃から、少しずつ、トラブルは減っていきました。今娘は16歳で、妻との関係は、以前とはかなり違って、いい感じになっています。

そういう経験を経て、改めて、もうちょっと若い人たちの夫婦間のトラブルを見ていると、前述の「男性が女性に共感を示す」ことができないという状況をどう理解し、行動を取るかは、やはり重要な意味を持っていると感じます。

これは本質的な改善にはならず、いったんこれで関係は改善しても、すぐに再発しがちです。月に何回も、ということもあるでしょうし、僕たちの場合でも毎月とか、数か月ごとに、同じようなケンカを繰り返していました。もちろん、お互い、同じような問題でトラブルのはわかっているので、自分なりに気をつけるようになります(学習効果)。トラブルが起これば、トラブル解消までのやりとりのパターンも学んでしまい、お互い、どうせこうなるんでしょ、といようなパターンが読めてしまうぐらい、何回も何回も同じようなトラブルとその場しのぎの解消を続けることになります。よく飽きずに、何年もやったものだと思いますが、当時はそれ以外方法がなかったし、それさえも放棄するようなことはしたくなかった。

でも、わりと多くの夫婦に見られるのは、このその場しのぎに見える回避の方法さえ、放棄してしまうことです。いつも同じことでトラブルになる。いつも同じことで非難され(お互いに)、そのたびに傷つく。なんとかケンカは終わっていったん修復できても、またいつ同じようなトラブルになるかわからないし、それはあるとき急にやってくるわけです。お互いに、唐突に。なんで怒ってるの?という感じで。その繰り返しにだんだんイヤになり、本質的な若いに至らないことにいらだち、コミュニケートそのものをやめてしまうカップルがけっこう多いのです。でも、お互いに相手のことはそれなりに敬意を持っているので(仕事も家事も子育てもたいへんだけど、お互いがんばってるよね、という感じ)、表向きは平穏です。でも、気持ちは離れてしまいます。お互い、トラブルがないことが平穏なことと思うようになり、平穏なことが幸せな家族だと思うようになります。

ちなみに子供は、こういう両親を見て、「ケンカしているよりいいや」と思う場合と、「両親はお互いに気持ちにウソをついている」と見抜く場合があります。両方の場合もあります。親自身が自分の気持ちを意地するの必死になっているので、子供に厳しくあたりがちになるし、親自身がケンカ状態を回避するというトラブル回避が目的になっているので、子供にも「問題を起こさないことがいい子供」というようなメッセージを出しがちです。子供は問題があっても、両親にはいわずに、両親と同じように行動を取り始めます。家族が互いに本音をいわないようになり、父親、母親、子供(お兄ちゃん、いもうと)という役割を演じるようになっていきます。という状況が続く家族がどんな感じかは、直木賞作家の角田光代の小説「空中庭園」などを読むとよくわかります。「空中庭園」が多くの人の共感を得たのも、こういうカップル、家族が多いからでしょう。

この状態が長く続くと、やはり男女それぞれ消耗してくることが多く、5年、10年と積み重なるうちに、「私はずっと自分にウソをついてきた」ということが重くのしかかり、「この人と一緒にいると私はダメになってしまう」と離婚を決意するに至る場合もあります。こういう夫婦を僕は何組も見てきました。子供が間に挟まる場合と、世話の必要になった親が間に挟まる場合がありますが、たいていは、夫婦以外の誰かが夫婦に影響を与えていることが多いようです。

一方、それでもほどよい距離でうまくやっているカップルもいて、この場合は、それぞれがフルタイムの仕事を持っていたり、あるいは仕事と代わらないぐらい集中できたり力を入れていることがある場合、そしてそれぞれの仕事を尊重している場合は、夫婦間のコミュニケーションが最小限になることについて、あまり悪影響がないようです。お互いに「仕方がなくてやっている、気持ちにウソをついている」と思うよりは、「それぞれ自分のやることに集中しているので、家族の共同生活に避ける比率は下がるのはやむを得ない」と考え、休日もなるべく家族で出かけるなど、内向きの気持ちを排除していくと、やり過ごせることもあるようです。

とはいえ、夫婦がそれぞれ仕事を持つことが悪影響になることもあります。本来「コミュニケーションがちゃんととれていない」というフラストレーションを抱えているので、これを解決するべきではあるのですが、仕事に時間がとられることでよけいに解決する時間がとれない。休日など限られた時間で解消しようと試みるので、すれ違いになりがちです。こうなると、仕事がコミュニケーションを阻害する結果になり、溝はさらに深まってしまいます。仕事を持つことで、経済的にも自立しますから、離婚してもどうにでもなると考えるようになり、夫婦間のコミュニケーション問題を解消する努力がインフレーションを起こして、離婚する方が低コストになってしまうのです。

ちなみに、子供がいない夫婦、親の世話などの負担がないカップルの場合は、割合こういうことは起こりにくいようです。それでも、同じ問題で離婚にいたる人も見ているので、単純には言えませんが。

なんだか出口がない話になってきました。

うまくいく材料も上げておきましょう。性生活の充実度も、コミュニケーションギャップを埋める大きな要因になるでしょう。セックスがあるかないかと言うこともありますが、スキンシップがあるかどうかという意味でもあると思います。また一緒にお酒を飲むのが好きとか、食べ歩きやスポーツなどの趣味を共有しているという場合も、ギャップを埋める可能性が上がるようです。僕の知る限りでは、飲んべえはいいようですね。ほかの趣味だとどうしても左脳的なコミュニケーションが多くなり、よけいにコミュニケーションギャップが生まれる可能性がありますが、お酒は逆に作用するので、飲んべえ夫婦は問題を抱え込まずにすむように見えます。ただし、飲んべえ夫婦はお互いに酒量を抑制することがないので、健康に問題を抱えそうです。

ということで今週は、「共感」vs「理解と承認」をめぐる男女のギャップについて考えてきました。この続きとして、子供が小さい時期になぜギャップが生まれるのかということについて、来週考えてみたいと思います。

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