(by paco)知恵市場有料版コミトンを2月に終えて、3月からは別のサービス((( c l u b p a c o ))) をスタートさせることにした。
((( c l u b p a c o ))) というネーミングのとおり、pacoのファンクラブ的な意味合いの有料サークルだ。
自分でファンクラブというのはいささかかっこわるいが、なぜあえてこういうネーミングにしたのかというと、このクラブのもともとのコンセプトがまさに ((( c l u b p a c o ))) 的だからだ。僕の情報源を共有して、ものを見る視点をともにシェアしたというというのがもともとも趣旨だ。
六兼屋のサーバにはこれまで収集してきた1000点を超えるファイルが保管してあり、外からアクセスしてダウンロードできる。これを「本貸します」的に利用してもらい、その上で、その情報を元に、どんなことが考えられるのかなにがわかるのかを共有したと思っている。
資料の中には、雑誌からの切り抜きもあれば、単行本、すでに絶版になっている本も多い。雑誌からの切り抜きは後から探したりアクセスしようとしてもなかなか難しい。その意味で、貴重な情報だ。古いものは古いもので、ある時期の認識を示しており、そこから現在の知見をみれば、判断の方法が適切であるとは、どういうことかがわかるだろう。
古いものは古いものなりの価値がある。絶版になった本の中にぜひ読んでみてほしいものもたくさんある。こういった本は出会うのも大変だし、手に入れることもさらに大変だ。
僕としてはこのライブラリを完全に公開してしまいたいぐらいなのだが、絶版になっていない本もあり、絶版であってもそれだけで著作権がクリアできるわけではない。僕が無償でこれを公開することはいくら何でもはばかられる。もちろん、有償でも、おなじ問題はある。それは承知であえて知の共有をしたい。これが ((( c l u b p a c o ))) のねらいだ。
有償にしているのは、信頼の置けるメンバーを限定することで、僕がライブラリを公開することの趣旨をわかってくれている人だけに集まってもらうことが目的だ。単なるおトクではなく、知をシェアすることの意味を理解するところに、ハードルを置きたいと思っている。
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では、なぜリスクを犯してまで知をシェアするのか?
人間の文化は、模倣によって進歩してきた、という強い信念と確信がある。これは哲学の問題だ。人間は種としての成立以来、と言うよりは種としての成立そのものに知の伝承が大きな役割を果たしてきた。親から子へ、種族内で、生き方や文化を伝承することで、人間は人間らしい存在に進化した。知のアウトプットとインプットは本来、人間に共有のものだ。
現代社会に入って知的なアウトプットは著作権や知的財産権として、作り手に所属すると考えられるようにあった。そこまではいい。所属していることは、一般に作り手の栄誉や賞賛につながる。しかし現代社会では、それが金銭と結びつき金銭的な対価を払わなければ利用できないことが当然と考えられるようになった。これは人類の歴史の中では非常に特殊なことだ。
僕はこの事態が人類の文化的進歩を大きく阻害することになるだろうと考えている。知的財産権の過剰な保護は人間という種の自殺行為だ。
と、僕がいくら声を大にしていっても、僕が保管しているライブラリを広く公開してしまえば、著作権法などに違反でペナルティを受けることを、避けられない。
であれば、こういった僕の思想を理解してくれる、信頼できるメンバーに限定して公開し、さらに、その知的財産をメンバーが共有することでさらに大きな知的生産が生まれることを期待しようと思ったのだ。
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では、具体的にはどのような知のバトンタッチと、拡張を期待しているのか?
一例を挙げてみよう。
「ロ?マはなぜ滅んだか 」
「インディアスの破壊についての簡潔な報告」
「ヨーロッパとは何か」
「国が溶け、人は目覚める―ヨーロッパ新世紀の風」
「欧州連合 統治の理論とゆくえ」
「ユーロ」
という5冊の文庫・新書がライブラリにある。
これを通して読んでいくと、欧州の起源はなにか、欧州が何をやろうとしているかが、クリアに像を結んでいく。すると、何がわかるのか。
今、欧州はユーロ危機に揺れている。いや、正しく言うと、ユーロは危機的だとあおり立てられている。しかし、こうして欧州の歩みを見ていくと、欧州にとってユーロとは何かが非常によく見えてくる。結論は、「ユーロは崩壊しない、ユーロと欧州は、危機に直面するほど強くなる」ということだ。
現象としてのユーロ危機と、その根源としての知と分析。本質を見抜く力があれば、ユーロ危機をあおるメッセージに振り回わされなくなる。
僕が((( c l u b p a c o ))) のメンバーに提供したいのは、たとえばこのようなことだ。
もうひとつ例を挙げよう。
先日電車の中で隣り合わせた夫婦が、右翼と左翼について話していた。ふたりとも基本的には右寄りの意見だが、とり立てて右の思想の強いシンパシーがあるわけではなさそうだ。しかし、自分たちは右だと考えていて、右寄りの思想について話していた。
さて、あなたは右翼と左翼の違いを説明できるだろうか。
実は、この話の中には、政治思想としての右翼・左翼と、経済システムとしての市場経済と統制(計画)経済が含まれている(含まれがちだ)。両者がごちゃ混ぜになることで、あまり適切ではない自己認識が生まれてくる。政治思想の右・左とはどのような違いか。経済システムの違いはなにか。
これについては、来週まで1週間、読者のみなさんに考えてもらおうと思う。
右・左の理解は、政治的な選択や社会について語るときに、大事な基礎になるが、実はこの基礎の理解が、日本人は非常にあいまいで雑だ。それによって、政治的な主張の意味が理解できなかったり、よく理解もしないで主張や思想をうさんくさいと見下してしまう。これでは、本来あるべき社会とは何かを語ることも、まして構想することもできるはずがない。
((( c l u b p a c o ))) では、こういった基礎の基礎やさまざまなつながりを資料というfactsを踏まえながら皆で見ていく。
オンラインコミュニティの限界を超えて、新しい知の地平を切りひらきたい。
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