(by paco)526隠れ家ステーキハウスが政治の裏舞台(1)

| コメント(0) | トラックバック(0)

(by paco)ちょっと変った経験をしたので、書いてみる。事実なのだが、センシティブなところもあるので、いくつか設定を変えて、私小説風に書くので、趣旨を読み取り、細部にはこだわらないでほしい。

 ★ ★ ★

8月のあるウィークデーの夜、僕は虎ノ門の交差点にいた。朝から夕方5時まで、A社で研修講師をしてから、夕刻のアポイントに間に合うように移動して、交差点で地図を確認する。

指定された店は、虎ノ門交差点から霞ヶ関方向に少し歩いた細い道を入って、100メートルほどのようだ。店の名前は、梁山泊。古代中国史の部隊を名前にする小さな捨て0起点、と言うことだったが、ネットで検索しても出てこない(ありがちな名前なので、いくつかヒットするが、それらは住所が違い、目的の店ではなかった)。

「ネットには出していないようですよ」

と店を指定した友人のBは、メールに書いてきた。

気になるので、昨日の夜、ストリートビューで虎ノ門交差点から、店の住所までたどってみたのだが、店の入っているビルはとても小さな鉛筆ビルで、その中二階が店のようだった。ストリートビューの写真には、中二階も写っていたのだが、店の名前は梁山泊ではなく、別の名前だった。

妙な感じだった。

その日は、真夏というのに梅雨のようにねっとりと蒸し暑く、地下鉄を上がって地上に出ると、噴き出した汗が引かない、嫌な感じの気温だった。30分ほど早かったので、近くにドトールでもないかと探すと、目的の店と反対側にタリーズが見えた。横断歩道を渡り、タリーズのカウンターに着くと、店員の女性が言う。

「あと30分で閉店なんですが、よろしいですか?」

なんと、まだ明るい時間に閉店になるタリーズがあるのか。

まあ、いい。いずれにせよその時間には待ち合わせだ。

 ★ ★ ★

30分後、定刻に、僕は「梁山泊」の前にいた。店の前の道に走った顔がいて、携帯をかけている。何度も一緒に仕事をしたことがある、プランナーのCだった。Cは博士号を持ち、大学でも教えている。が、腰の低い人物で、僕の顔を見ると、電話中にもかかわらず、入り口のドアを開けてくれた。店は、ストリートビューで見たような店ではなく、暑い木のドアをつけた「梁山泊」になっていた。あとで教えられたが、店ができたのは4か月前とのことだった。

虎ノ門の隠れ家的ステーキハウス、1日一組のみ、と聞いていたので、期待して入ったが、入り口のテーブルのあたりに人がかたまっていて奥が見えない。Bがいて、奥に入るように促してくれた。座らないと、狭そうだ。急かされるように着席する。大きな1枚板のテーブルは、片側6人、両側に座って12人が定員か。圧迫感が感じられるが、店はそのテーブル1席だけだった。席の後ろにはほぼ空間がない。ひとりトイレに立てるだけだ。テーブルの両側とも。空間的には、六畳程度か。さすがに10畳ぐらいはあるのかもしれないが、それにしても狭い。

隣室に厨房があるらしく、一部がカウンターになっていて、奥から料理が出されるようだった。テーブルにはすでに料理が並んでいて、大皿に刺身が並んでいる。

「???」

ステーキハウスではなかったのか。刺身?

しかも、違和感が漂う。なんとも安っぽい雰囲気が感じられる。そうだ、刺身の皿にはラップがかかっている。

まともな料理店で、客がいるテーブルの上の料理にラップがかかっている、などということがあるだろうか。客が来るまでラップで、すぐにはずすならわからないではない。とも思う。しかし、ここは小さいとは言え、虎ノ門の「隠れ家レストラン」だ。田舎の宴会場ではない。

しばらくして客が揃うと、やおらラップをとったのが、店の主のようだった。年の頃は60前後か。紺の三つ揃えから上着をとった、要するにベストに白シャツ、ネクタイという、いちおう接客スタイルではあるが、妙になれなれしく押しつけがましいかんじがする。期待していい店なのか、そうではないのか。

 ★ ★ ★

主賓が到着する。友人のDだ。数年前、知人を介して紹介され、行政関係の仕事をいっしょにしてきた。彼は今年春の統一地方選挙の時に、ある地方自治体の長の選挙に立候補し、惜しくも敗退していた。今日はDが「応援してくれた人にお礼を言いたい」という目的で呼ばれたのだ。

Dについては、僕は強く思想や行動を支持していた。市民目線だし、理念も明確で、前職の関係で法律や行政機構にも詳しかった。僕は環境問題に詳しいと言うことで紹介され、僕がこれまで学んできたことを時間をかけて彼に話し、インプットしてきた。なかなか頭のよい人物で、僕のインプットをどんどん吸収し、また僕が紹介したこの分野の人脈からも話を聞き、環境政策の基本的な考え方を精確に理解していた。

他にも、民主的な意思決定をどうつくるか、政治と行政の何を変えなければならないのか、定期的に話し合い、共感し合ってきた。付き合いは長くはなかったが、信頼できる人物だ。

Dはかねてからの意思の通り、選挙に立候補し、よく戦った。現職の立候補もあり、当初はまったく無視されていた候補だったが、選挙戦が始まると注目されるようになり、2週間の選挙戦でぐいぐい支持を伸ばし、ふたを開けてみると数千票差で次点だった。財界の一部や地元のNPOなどからも広く支持を受け、当選した現職候補はかなり肝を冷やしたに違いない。

僕は選挙前、彼の政策全般についてアドバイスを求められ、いくつかの重要な点について、ぜひ考えを明確にしてほしい、と詰め寄った。それはまさに「政治哲学」に関する部分であり、そのようなことを明確にしなくても選挙戦は戦える。ほぼ99%の候補は、そもそも哲学が必要だとさえ思っておらず、当選もしている。しかし、僕は、Dには哲学を持っていてほしかった。明確に語ってほしかったし、それができると思っていたし、そのために僕が協力してきたと思ってきた。

しかし、その話し合いの最中、Dは僕の話に上の空になり、「選挙戦の戦い方、どの党が支持してくれそうか、どの組合が支持してくれそうか」ばかり話すようになった。僕は強く迫ったが、結局ミーティングは選挙戦の話しに終始するようになり、僕は次のミーティングから呼ばれなくなった。

選挙に出ようというような人には、僕から見ると、不思議な共通点がある。それは「選挙が好き」ということだ。選挙をお祭りのように見ている。選挙が始まると思うと、気持ちがワクワクして、浮き足立ち、目の前の仕事に集中できなくなる。

現職の議員ならわかる。選挙がある、と言うことは自分が今の仕事を失うということだ。少なくともいったん、失う。その仕事に魅力を感じていれば、職を失うわけにはいかないと思うのは当然だ。

が、現職でなくても、同じようにワクワクし、浮き足立つ。

誰が立つのか。その人を支援しているのはどんな人か。前回落選した××さんはどうするのか。議会の与党は誰を支持するのか。地域の産業界の有力者は今回は誰を支持するのか。中央政界では民主党が△△だが、地方では別の見方をされている。自分は民主党の支持を受けるべきか、自民党の支持を受けるべきか。党も、党全体と、党の県本部と、地域とで意見が割れているようだ。○○さんが会いたいと言ってきているが、会った方がいいか。会うと誤解を受けるのか。

政治哲学や政策とは関係の無い、選挙の話、政局の話。何をやりたいか、なにをするべきかではなく、状況と変化を追いかけることがじつに楽しそうだ。選挙に勝ったらなにをしたい、ではなく、選挙活動をすること自体に、ワクワクできるのが、政治家になろうとする人の共通点のように思える。

落選してから始めてDと会う。途中で数回、メールのやりとりをしてきたが、実務的なことばかりで、気持ちの交流はなかったから、今日は少し深く、手応えを聞いてみたかった。

 ★ ★ ★

店主が日本酒を注いで回る。宮中晩餐会で使われる酒だという。僕は飲まないので断るが、強引に注ぐ。ちょっとむっとする。

乾杯の音頭は、なぜか店主が取る。妙な感じだ。

店主がラップをはずし、刺身を進める。生醤油とたまり醤油、お好みのほうで食べてください、という。僕は生醤油を取って小皿に注ぐが、なぜかどろっとした感じで、刺身によくからむように加工されたもののようだ。「高級」な料理屋ではどのような醤油がメジャーなのかは知らない。しかし、僕にとっては、本物の醤油、澄んだ醤油が御まっとうな醤油だ。なんだか、落ち着かない気持ちになる。

刺身はうまい。確かに。

数名女性が来ていて、政治にはやや距離がある彼女らははしゃいでいる。こんなところには一生来れないかも、ときゃっきゃっと笑っている。和む。

店主は席に座り、なぜかよくしゃべる。店主と客と、主賓のDと、どちらがメインなのかわからない。野菜の焼き物が運ばれる。店主がどこ産のシシトウ、シイタケ、と説明する。ちゃんと味のある野菜だが、普通といえば普通だ。最初のステーキが運ばれる。店主はいう。「うちでは3種類のステーキが出ます。合計260グラムです。でも今まで誰1人、残した人はいません。80歳のおばあちゃんでさえ、全部食べて帰りました。翌日胃がもたれたと言っていた人もいません(いい肉だから大丈夫です)。」

確かに、おいしいステーキだった。3種類は、それぞれ部位が違うらしく、形も味もちょっとずつ違う。でも、妙に柔らかいことは共通している。量のわりに、さらっと食べられてしまう。確かに胃がもたれることはなさそうだ。

途中、野菜やサラダが出る。ざっと10品ぐらいか。

盛んに店主が自慢する。

「うちの店には政治家がたくさん来る。でも誰も差別しない。このまえは某幹事長が電話をかけてきて、○月×日に食事をしたいと言ってきた。その日は別のお客様の予約が入っていたので、断った。<誰が来るんだ>と幹事長は聞いてきた。誰かわかったら、そちらに手を回して、開けさせるつもりなんだと思ったので、<お教えできません、空いているときにお出でください>ときっぱり言った。うちは誰であっても差別はしないんだ」

「このまえはフランス大使がお忍びできた。ここの肉は本当にうまい、フランスの肉よりうまい。肉を持って帰りたい、というので断った。ここから肉を持っていって、万が一途中で傷んだらとんでもないことになる。仕入れ先に迷惑がかかる。翌日、肉の仕入れ先から直接フランス大使館に送らせた。」

3つめのステーキを食べながら、これは本物の肉なんだろうか、と感じ始めていた。確かにおいしい。でも。どこか人工的な、押しつけがましい味がするような気がした。店主が押しつけがましいからだろうか。

小さなステーキハウスをやっている知人がいる。長く、肉屋に勤めて引退した人物で、肉や時代に培った人脈を使って、松阪牛のサーロインを専門とする。郊外の私鉄駅の商店街に、数名でいっぱいというカウンターのみの店を開いた。150gのステーキで6,000円。これでも、他では食べられない圧倒的な安さなのだそうだ。その知人の話では、おいしい肉を出すには、肉自体の善し悪しもあるが、熟成が最も重要で、屠畜してから早めに届いた肉を、毎日触って、熟成を確認し、もっともよいタイミングで出す。それができる、肉の扱いに慣れた人にだけ、特別に出す肉を買っているので、破格の値段で卸してもらえる、と話していた。肉の話をしていると、本当に楽しそうだった。

店主の話も、それなりに興味深い。でも、どこか薄っぺらな感じがぬぐえない。

料理が澄んでから、店主が板前に命じて、冷蔵庫からまだ開封していない肉を取り出して見せてくれた。ポリ袋に密閉された生肉の塊、3kgはあるだろうか。確かにおいしそうに見えた。しかし、ポリ袋には出所を示すような表示紙はなく、赤い肉汁が思ったよりたくさんポリ袋の中に貯まっていた。

(次回に続く)

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://w1.chieichiba.net/mt/mt-tb.cgi/347

コメントする