(by paco)499ソーシャルメディアの価値がわからない

| コメント(0) | トラックバック(0)

(by paco)「フェイスブックやツイッターといったソーシャルメディア」が……、という説明がすっかり増えた。

チュニジアの革命、エジプトの革命、そして今まさに、リビアやカタールなどイスラム諸国に飛び火していることの説明として使われているわけだ。ちょっと前には、オバマ大統領の当選に大きく寄与したことも、まあもうすっかり忘れてしまっているかもしれないが、影響力という点では端緒だったのだろう。

日本でソーシャルメディアと言えば、ミクシやグリーだが、こちらはエンターテイメント色が強いこともあって、ミクシやグリーや、ざっくりツイッターを使っているレベルでは、ソーシャルメディアがなぜそれほどの影響力があるのか、ピンと来ない。

で、その価値を解説してみよう、という記事ならいいのだけれど、残念ながら、僕はその本質がわからない。そこそこ使っているけれど、いまいちピンと来ない。

でも、どのように影響力を持っているのか、日本にいる僕らにとっても意味があるのか、明らかにできない自分がいるので、今回はまだまったく答えがない状況で書いてみようと思う。いつもは、ある程度まとまってから書くのだけれど。

そんなこともあり、この段階でフェイスブックとツイッターに書き込んで、お友だちからの反応が来るかみつつ、書いていこうと思う。

と思ったら、真っ先に食いついたのは「推薦本bot」という、これはロボットだった。botというのは、ツイッタ上のアカウントであり、自動発信、返信機能を持ったプログラム、というだね。「ソーシャルメディア」のようなキーワードを発見すると、それを含む本を推薦する機能のようだ。思わずお礼を返信しそうになるが、もちろんそんなことはしない。

ツイッタでKさんが反応してくれて、「テレビ新聞で得られない新しい"友達"という情報のジャンルを作ってくれた。」つまりは、直接知り合いでなくても、既存メディアに代わる情報源ができて、既存大メディアにある程度、互した存在感を持って自分の中に入ってくる、という意見。

僕自身、メディアリテラシーという言葉で、既存メディアを過信するな、相対化せよ、と訴えているので、「友達」が情報源として機能し、情報の価値が相対化するなら、大きな意味がある。

ただ、ちょっと気になるのは、「友達」という言葉が、「二十世紀少年」の「ともだち」と同じであること。「二十世紀少年」ででは、ともだちは匿名の強大権力だったけれど、ネット上で情報価値を相対化する機能を果たした「友達」が、二十世紀少年のような強権抑圧の「ともだち」に変化する可能性は、1990年代から西垣通が指摘していることで、ネット上で独裁者が復活する、という構造にも見える。

さて、ここでひとつわかったことは、ツイッタのような匿名性が高い、あるいは含んだソーシャルメディアの場合、つなぐ機能、相対化する機能はあるものの、まったく反対の、信用のおけない機能、信用を置きすぎて異常なカリスマが誕生する機能も持っている、ということになる。この指摘は、前述の通り、最近わかったことではなく、インターネットのごく初期からわかっていたことで、それがソーシャルメディアというプラットフォームの出現で、さらに加速しつつある、ということだろう。その意味で、僕にとってはデジャヴな指摘だ。

しかし、わからないのは、「価値の相対化」と「異常なカリスマの誕生(価値の絶対化)」が同時に起こりうる情報空間で、実際のところ、どっちが生まれるのか、ということ。


エジプトの革命で興味深かったのは、反ムバラクの動きが「イスラム同胞団への熱烈な歓迎や愛着」につながらなかったこと。つまり、ムバラクに代わって「イスラム同胞団」というカリスマや教権を望まなかった点が、エジプト人の懸命なところと言えそうだけれど、それって、ソーシャルネットワークの特性にすでに「絶対権力を生み出さない」ということが含まれているのか、それとも、エジプト人、もしくはエジプトのイスラム同胞団が
それを必死に、懸命にも防ぎ得たのか、という点は、研究が必要だ。

★エジプトについて情報を上げておくと、イスラム同胞団という組織は今非常に慎重になっていて、ポストムバラクの中でどう行動をとるか、真剣に考えている模様。安易な人たちなら、ポストムバラクの中で名乗りを上げるのだろうけど、そうなると、往々にして「独裁者の後継者としての、新しい独裁者」になりがち。権力機構が独裁的になっているので、すぐに取って代わるとどうしてもそうなる。また市民は「支配されること」になれているので、新しい支配者が登場すると安心して熱狂的に迎えつつも、すぐに批判を始める。市民の期待は膨大で、もちろんどんな新支配者もそのすべてを満たすことはできない。その時、市民の一部を抑圧することになり、市民はがっかりすることになる。日本の民主党による政権交代も、同じ側面がある。エジプトのイスラム同胞団は今、イスラム色を極力表に出さず、紳士的に行動しているし、特定のカリスマを出さないように細心の注意を払っているようだ。エジプトの市民感覚は50年以上も独裁が続く中で、イスラム同胞団だけが庶民感覚をわかってくれる、と考えて思いを託してきた。権力の座に着くにしても、この感覚を失えば、エジプト人全体にとっても、イスラム同胞団にとっても、命取りだ。

 ★ ★ ★

さて、ソーシャルメディアの別の側面、主にフェイスブックの機能について考えてみたい。

この記事を書きながら、僕自身のソーシャルメディアのアカウントを強化していた。Mixiは昔から使っていないので、この際、今後も使わないことにして、twitterとfacebook、それに僕自身のサイト、rside.meとのを連携して、僕自身のアクティビティをソーシャルメディアを使って広めたり、コネクションをつくることにつながるか、実験してみようと思う。

twitterとfacebookの連携には、facebook上のアプリ「twitter」を使い、設定をして投稿してみたけれど、twitter→facebookには反映されても、逆にfacebook→twitterは反映されないことを確認。アップするなら、写真もそのまま上がるfacebookの方が好きなんだけど(メール投稿もそのままできるし)、どうやらできるのは逆方向で、いまいちニーズに合わない感じ。それにいつもアップしているのは自分のサイトrsideの方なのだ。

そこでさらに検索してみると、「twitterfeed.com」というサイトを発見。これは、適当なページのRSSを指定すると、twitterとfacebookに更新分を投稿してくれるというもの。rsideのrssを読み込ませて、アカウントの設定をしてみると、なるほど、rsideの投稿が両方に投稿される。でも投稿の状況から見て、rside→facebookはあまりいい感じではないので、設定を変えて、rside→twitter→facebookの設定に変えてみた。

これでrsideに投稿すれば、他2か所に投稿されることが確認できた。rsideは僕だけの世界だし、蓄積できるのは気に入っているのだが、狭い世界で完結してしまうところが課題だった。これで多くの「ともだち」にアクセスできるだろうか。

こういった機能は、いわば「拡声器」機能だ。

ソーシャルネットワークと考えると、この拡声器機能をみんなが持つことで、何が起きるかが考えるべきことになる。

エジプトの政権では、facebookが大きな役割を果たしたというが、エジプトではインターネットが規制され、また国民の生活、特に若者が貧しく、PCによるネット環境を持っている人は20%程度と言われている。にもかかわらず、なぜfacebookなのか。

実は若者たちは携帯は持っていて、スマートフォンがツールになった。

PCインターネットはプロバイダーにアクセス制限をかければ規制をかけやすいが、スマートフォンからのアクセスは規制しにくい。普通のメールや電話まで制限をかけることになれば、国民の不満はさらに大きくなってしまう。

このあたりを別の側面から考えれば、日本よりもアクセスできるものが限定されていることが、逆にfacebookやtwitterという限られた、しかし世界中で利用できるサービスが活用された理由なのだろう。逆に、日本では、確かにこのふたつのサービスはメジャーではあるものの、人々はそれぞれもっとたくさんの居場所を持っている。mixi、ブログ、個人ページ、ニコ動、Yahoo!グループ、freeml……。さまざまなサイトにアクセスでき、さらにそこで、個別のコミュニティををつくっているがゆえに、エジプトのような結集感を起こすことは難しいかもしれない。それだけ日本の社会は多様性が広がっている、ということだろう。

エジプトの若者たちは、失業率が高く、貧乏で、わかりやすい不満が共有できた。日本でも確かに失業率は高いが、親元にいたり、アルバイトの状況など、同じ失業状態でも困窮の形が違う。困窮も多様化すると、ひとつのメッセージに結集しにくい。

ソーシャルメディアという拡声器は持てても、それがほんとうに人々の行動につながるかというと、そうはならない、という感覚につながっていく。

実際、この原稿を書きながら、何人かとtwitter上で意見交換できたが、ソーシャルメディア上で社会的、政治的ムーブメントにつながるかということについては、ネガティブな意見ばかりだった。

僕自身は、これだけ困窮が広がっているのだから、若者が結集して政治を動かす、というようなことが起きてもいいと思っているし、それが革命になるなら(たぶん個人的には困るが)それもいいことなのではないかと思う。しかし、残念ながら、今の段階ではソーシャルメディアが日本の政治・社会状況を変える可能性は、低そうだ。

 ★ ★ ★

この結論の反論が、ぜひほしい、と思う。

ソーシャルメディアは、日本の状況を変えうる、と。

正直、民主党の政権交代がここまでわずかな成果しか上げられずに終わりそうだとは思っていなかった。目に見える成果はなくても、「破壊」という名の成果は上げるのではないかと考えていた。残念ながら、破壊さえほとんど起こせずに、民主党の政権も終わりそうな気配が濃厚だ。そしてさらに困ったことに、「ポスト民主党」がまったく見えていないことだ。ソーシャルメディアからムーブメントが起こり、まったく新しい政治社会状況を生み出せないか、今後も注目していくつもりだが、その芽があるなら、真っ先に見つけたい、と思う。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://w1.chieichiba.net/mt/mt-tb.cgi/320

コメントする