(by paco)493本は、著者の意図を読み解き、批判するためにある

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(by paco)<おとなの社会科>のスタッフ(JINさん、オトワさん)の間で、来年のテーマについてディスカッションしていて、気がついたことを書いてみます。

贖罪」酒井法子

死刑絶対肯定論―無期懲役囚の主張 (新潮新書)

この2冊を僕から課題図書として示した上で、「罪と罰」について議論してもらったのですが、どうにもかみ合いません。一方は罪や罰を規定した法律の原理的な考え方に基づいて、犯罪と死刑という刑罰の関係について論じていて、もう一方は、「法律の学問的な原理」が「具体性がない」と指摘しました。

法律論、というのは、こんな感じです。

「刑罰には応報刑という考え方と、更生を目的とした考え方がある。現在の日本の刑罰は、応報刑を基本に据えながら、一部に更生の考え方を含めている……」(JINさん)

「法律論はわかりにくく、具体性がない……」(オトワさん)

確かにその通り。でも、法律論だけ展開しても説得力がないことを示すためには、「わかりにくく、具体性がない」というのではなく、「具体的な事例」をもとに、なぜ説得力がないのかを示す必要がありました。

実は、僕が上記の課題図書を読んでから議論してもらったのは、議論のための具体的な情報をお互いにつかんだ上で、本の情報をベースに議論することを狙ったからです。つまり、具体的な情報は本からとればいい、というか、そのために読んでもらったのですが、実際のやりとりが始まったら、そこの部分がすっかり抜けて落ちてしまうのでした。

<おとなの社会科>で「日本の難点」を扱ったときも感じたのですが、テキストを読んでから、議論をするとしても、テキストを読み込めていなかったり、自分の一方的な思い込みで読んでいることが多く、テキストをお互いに共通の足がかりにすることができずに、議論が上滑りしてしまう、ということでした。

今回のやりとりで言えば、議論してほしかったのは、こんなことです。

まず、JINさんの「応報刑」という説明は、刑罰の説明としてはわかりやすいようで、実は、それだけで刑罰を説明できるのか、という点を検討してみましょう。

応報とは、因果応報という言葉もあるとおり、「悪いことをした結果を引き受けさせる」という考え方で、古くはハムラビ法典にもある「目には目を、歯には歯を」という条文にさかのぼることができます。この考え方は、誰かの目をつぶしたものは、そのものの目をつぶす。誰かの歯を折ったものは、そのものの歯を折るという、やった行いと刑罰を均衡させるという考え方です。

この考え方に基づくと、誰かを殺したものは、そのものを殺す、ということになり、殺人犯は死刑、ということになり、実際日本でも、このような考え方で死刑判決がなされています。

応報刑は一見、合理的のように見えるのですが、実は、現在のような複雑化した社会では、この考え方がどこまで通用するのか、よく考える必要があります。そこで、上記の本を参考にしてみましょう。

「死刑絶対肯定論」の中には、確かに死刑にする以外にないのではないか、と思われる犯罪者が登場します。応報刑の合理性を支持するような犯罪者たちです。

しかしもうひとつの「贖罪」を読むと、応報刑とは何か、揺らいできます。

贖罪の著者、酒井法子は、覚醒剤を十数回使用したという罪で起訴され、初犯ということで、執行猶予付きの有罪判決を受けました。

では酒井の罪である「覚醒剤を使用した」ことについての因果応報とはどのようなことであるべきでしょうか。

覚醒剤を使用しても、誰かをケガをさせたわけではないし、経済的な損失を与えたわけでありません。社会を騒がせたとか、家族や関係者に迷惑をかけたという説明もありそうですが、それは覚醒剤使用が犯罪であるからで、もし覚醒剤使用が犯罪でなければ、社会を騒がせることもないし、家族にも迷惑はかかりません。つまり、「社会を騒がせた」のは、犯罪者になった結果であって、犯罪に相当する理由ではありません。因果か関係が逆です。

覚醒剤使用によって本人が廃人になる可能性があり、それが罪だというなら、自殺(未遂)や自傷、あるいは何かひどいことがあって酒におぼれたりすることも罪ということになり、合理的ではありません。

覚醒剤を使うことが暴力団など犯罪組織の財源になる、という理由もありえますが、であれば、本来は暴力団や売人を罪にすればいいわけで、使用者を罪に問えるのかというのは、別の根拠が必要です。露出度の激しいポルノ写真や動画は販売すると罪ですが、買った人、持っている人は罪に問いません。これは、売春も同じです。売春の元締めは罰を受けますが、売春婦と買った男は放免です(売買春は禁止されているが、処罰されない)。

ただし、児童売春や児童ポルノは例外で、ニーズがあることから作り手や販売者が供給する、ということから、制作者、販売者だけでなく、購入者や所有者も罪になりました。しかし、この場合、児童売春や児童ポルノの対象者、つまりこどもが直接的に被害に遭う、保護すべき対象者であり、ポルノを所有している人ではありません。

というように考えていくと、覚醒剤使用を罪にできる理由は何かがあいまいになってくるのですが、やはり児童ポルノと同様、放置すると、薬物ほしさに中毒患者が犯罪を犯すことを未然に防ぐ(犯罪の被害者が出ることを未然に防ぐ)、ということが理由になると考えられます。

酒井法子の場合、覚醒剤を使って履いたものの、薬物ほしさに窃盗など別の犯罪を犯したわけではありません。まだ、直接の被害者はいません(こどもや家族は被害者だという見解もありますが、彼女が逮捕された結果、被害者になったのであって、こどもに何か害があったわけではなく、逮捕の理由にはなりません。あえて言えば、放置すれば、子供に害が出た可能性がある、というレベルです)。

では、このような酒井法子の犯罪に、見合う、因果応報的な刑罰とは何でしょうか。

ある悪影響を与えたから、それに見合うことを酒井法子に課す、という対応関係は想定できるのか。おそらく、想定不可能です。それを、判決では懲役1年6か月としました。彼女のやったことが、18か月の強制労働と収監にあたる、というのは、何と何をバランスさせた結果なのでしょうか?

応報刑の考え方は、薬物犯罪に対しては、合理的な説明をしてくれないのです。

こんな点を、オトワさんは、JINさんに対する反論にすればよかったのですが、それができませんでした。一方、JINさんは、かつて法律を学んでいたということが逆に知識(理論)優先になってしまい、せっかく読んだ「贖罪」から学ぶことができませんでした。

本を読むということは、そこに書かれていることをしっかり見極めることです。今回は「罪と罰(の関係をどう考えるか)」というイシューを2人には提示した上で、読んでもらい、議論してもらったのですが、このイシューを持っていながらも、酒井法子の犯した罪は何で、なぜその罰なのか、ということにはなぜかあたまが向きませんでした。応報刑というなら、どんな行動に対してどのような刑罰が対応しているのか、応報刑の原理と酒井の犯罪の関係を説明できなければいけないのに、そこに考えが至らなかったのです。

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ちなみに、「贖罪」の書評に、上記のことを書いたら、「家族に迷惑をかけた」「暴力団の財源になる」と言った批判がコメントで寄せられました。
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同じように「死刑絶対肯定論」にも、興味深い事例がたくさん載っています。

死刑存続の理由として、被害者家族の心情は加害者の刑死によって、慰められる、という趣旨のことが書かれていました。しかし、これは本当でしょうか。

加害者は、被害者1人を殺しているとは限らず、死刑の場合は、複数の人間を殺した場合に適用になります(永山裁判で示された基準)。では、ひとりしか殺していない場合、死刑にならないなら、被害者遺族は慰められなくてよいのでしょうか。逆に、複数の人を、非常に残忍な方法で、たとえば、少しずつ苦しめながら、死の恐怖をたっぷり味合わせて殺した場合、加害者は1回死ねば、被害者家族は納得できるのでしょうか。被害者は非常に苦しんで死に至った。しかし死刑は、もっとも苦痛が少なく人道的、という絞首刑です。これではバランスがとれていないでしょう。僕が被害者家族なら、ひどい苦痛を与え、死の恐怖をたっぷり味合わせたうえで、殺さずに、繰り返し味合わせたい、と考えるかもしれません。しかし、今の死刑制度では、苦しませずにあっさり死刑にしてしまうのです。因果応報、といえるでしょうか。

大阪の小学校に乱入して複数の子供を殺した犯人、Tは、「死刑になりたくて子供を殺した」と言いました。だとしたら、社会は、Tの望みをすべて叶えてやったことになります。憎むべき犯罪者に対して、望み通りにしてやることが、罰と言えるでしょうか。

何を罪として、その罪に対して、何を罰にするのか。

その関係は、一般に思われているほど自明のことではありません。実は、刑罰は、被害者家族のために行うわけではなく、国家が治安維持を目的として、国家権力として行うものです。そこには、原理的に被害者や家族の心情は入り込む余地がありません。だから、被害者や家族が、加害者の無罪や助命を乞うても、裁判はそれとは無関係に判決が出されるのです。

日本では、犯人の刑死を被害者遺族に伝えるようになったのも、ごく最近のこと、というの、このような原理を考えれば、納得がいきます。

そんなのひどい、犯人の刑罰の結果は、被害者や遺族が真っ先に知る権利があり、刑罰の軽重にも影響を与えていいはずだ、と考える人もいるでしょうが、これが実は、けっこう危険な考えなのです。なぜか?

知りたい人は、<おとなの社会科>1月に、参加してみよう!

★来週は年始休暇でお休みさせていただきます。

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