(by paco)489デカップリング、罪と贖罪(しょくざい)

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(by paco)金曜の夜からノロウィルスにやられまして、日曜の夕方になってようやくPCに迎えるようになりました。まだぼけっとしてますが、コミトンの締切もなので書きます。いつもより短めになりそうですが、ご容赦を。

■デカップリング、高円寺

高円寺 東京新女子街」(三浦展(あつし)+SML)という本がありまして、ぼーっとしたあたまで読んでいるのですが、こんな内容です。

高円寺は……、
女子に人気の街になり、今もっとも最先端を行っている。
都心に近いわりに、物価が安く、住みやすい。
飲食店が豊富で、女性が1人では入れる店が多い。
古着屋など、しゃかりきファッションではない、ゆるい流行がある。
ナショナルチェーンより、個人商店が多く、なじみになりやすい。
治安がよく、女性の一人歩きが楽、子育てにも向いている。
高円寺の小売業売上も上昇している。

などの情報とともに、実際にどんな店があり、どこが魅力なのか、そして、訪れる人や済む人にとっての魅力は何か、豊富な写真と取材とともに紹介しています。

高円寺は、僕も以前から注目していて、特に「素人の乱」を何度か紹介してきたのだけれど、この本には、素人の乱は出ていないようですが、高円寺の魅力を更正するひとつになっているのではないかと思います。

高円寺に暮らすデメリットとして、「欲がなくなる」「まったりして現状肯定になる」といった意見も出ていて、まさに、前回コミトンで書いた「デカップリング」そのものです。

デカップリングの現場としては、僕は主に地方都市や農村を考えているのだけれど、高円寺のように、大都市の中に島宇宙的にデカップリングされた街が浮かぶ、というの未来的で、そう言われてみればこれからの東京はそうなっていくのではないかと、想像できます(先見力)。

改めて整理すると、こんな話になります。

・日本は世界で最先端を走る社会である。日本はグローバルビジネスの面で最先端を走る企業群を次々と生み出す国ではなくなりつつある。
・ここでいうグローバルビジネスは、ユニクロやH&M、セブンイレブン、トヨタに代表されるような、世界をひとつのブランド、価値観で塗りつぶすことで成長しようとするモデルをさす。
・そのことは、決してマイナスではない。グローバルトップビジネスによるアウトプットが、市民、個人を幸せにする側面は、想定されるよりずっと小さく、街も大きい。そこに携わる個人を、必ずしも幸せにしない。
・もちろん、グローバルビジネスの存在と、そこに関わるもののモチベーションなどを否定することはできないし、する必要もない。しかし、グローバルビジネスの価値観のみが世界を覆うことにはならないだろう。その動きを「デカップリング」と呼んでいる。
・デカップリングの具体例と、それによって幸福に暮らす人が増える状況を生み出すことこそ、日本の真の先端性を象徴することになるだろう。この役割は、おそらく日本にもっともふさわしい。
・その根拠としてあげられるのが、江戸時代以来の、日本型の豊かな循環社会の伝統の存在である。

という因果関係の中で、高円寺がひとつの核としてクローズアップされているのを、この本で感じます。近いうちに、実際に高円寺を訪ねてみようと思っていますが、読者の皆さんからも、デカップリングの情報をお知らせください。

■酒井法子から考える罪と贖罪

別の話題。

酒井法子が「贖罪」を発表し、さんざんな評価を浴びせられています。好評価だったら読まなかったかもしれませんが、悪評が多かったので、読んでみることにしました。

まず、最初の感想としては、悪評の理由もわかるけれど、こういう書き方になったことについては、とても正直に書けているのではないか、という気がしました。もちろん、本人が「執筆」したわけではなく、ゴーストライターが書いた可能性が大ですが、それはよくあることなので、問いません。

まず、悪評の背景ですが、事件とは関係のない、自らの生い立ちと成功談が全体の半分を占める、ということでしょう。全8章のうち、3章分、ページ数で全215ページ中の115ページが生い立ちから成功、結婚までに当てられています。その中には、アイドル時代から成功後に撮られた華やかだったり、活きのいい写真が、それもけっこうな大きさでレイアウトされ、ここだけ見ると事件前の彼女が書いた本として十分通用してしまうような内容になっています。

いちばん反省しなければならないときに、なぜ成功談を書くのか。その成功談が、犯した過ちを説明し、反省することとどう関係があるのか。そういう嫌悪感を引き起こし、悪評につながっているのだと思います。この点については、彼女の責任というより、編集者の責任と言うべきですが、やはり本人名義で書いている以上、酒井本人に非難が浴びせられることもやむを得ないと思います。版元は朝日新聞出版なので、僕としては版元の判断の方を疑いたい感じです。

では、この「成功談の3章分」が不要だったのか、というと、どうでしょう。実は、僕はこの3章分をちゃんと読んでいないのですが、そういうことから考えても、不要だったとも言えるし、もっとずっと少なくしてバランスを取るべきだった、僕が編集者なら、そうしただろうと思います。もしかしたら、朝日新聞出版の編集者は本音でイジワルで、承知でこのような構成にしたのかもしれません。と疑いたくもなります。

では、この「3章分」を除いた部分だけ見るとどうか。

事件の記述から始まって、逃亡、逮捕、判決、その後の日々が記述され、バランスよく、一定の信頼性がある表現をしているとおもいます。もちろん、隠されていることや疑う余地、装飾されたこともたくさんあるでしょうが、どのように表現しようと、そういった部分は出てくるので、非難に値するほどのことではありません。

反省の度合いが低い、という非難もあるようだし、たしかにそう感じなくもありませんが、ではどう書けばいいのか、というと、本にある記述以上に何を期待することができるのだろう、自分だったらどう書くか、というと、他に答えが見えるわけではありません。

ですから、「成功談の3章分」を除けば、僕は十分評価してよい本なのではないか、という理解をしています。

その上で、改めて、贖罪、罪の償い、ということに話を広げて考えてみたいと思います。このイシューは、<おとなの社会科>の来年1月のテーマでもあります。

まず、酒井が犯した覚醒剤についての罪ですが、そもそも罪の理由が難しい犯罪のひとつで、「誰にも迷惑をかけない」という点では、少なくとも酒井の状況で「罪と言えるのか?」というのは、時に議論になるところです。覚醒剤やコカインはダメだが、大麻はよい、という大麻容認議論は常にあるところでもあり、大麻がダメならたばこだって犯罪だ、という人もいます。

薬物の売人は、「廃人を意図的に生み出そうとする人」ということで罪を重くするということはありえますが、酒井の場合、夫からもらっていただけで、他の人に勧めてもいないので、使用自体について、誰かに迷惑をかけているわけでも、他者を陥れているわけでもありません。他者から憧れられる職業としての芸能人だから、薬物使用の罪が重いという言い方はできますが、であれば、芸能界追放によって罪は償われる、ということになるかというと、そういうわけにもいかないでしょう。

どのような害悪を与えることで、何を代わりに償うのか?

その関係が不明確であることで、酒井の著書は、目的を見失い、目的が不明瞭なことによって、書かれたことが目的を達成していないかのように扱われる。そんな位置づけにあるように思います。

酒井の罪を、「禁止されているものを、知っていて使い、そこから抜け出せなかった罪」に限定して考えてみましょう。

すでに罪は犯してしまっているし、判決も受け、確定しているので、法律的な決着はついています。

人としての決着は、「なぜ手を出してしまったのか」「今後のようにして手を出さないと言えるのか」が説明され、納得できるのか、ということになると思うので、この点については、本に繰り返し書かれています。説明が表面的だ、という指摘はありそうですが、普通の生活をしていた個人が薬物に手を出すときと言うのは、そういう場面なのではないかと想像はできます。

薬物というと、多くの人は自分には関係がない、手を出すはずがないと感じると思いますが、犯罪を考えるとき、常に僕自身が引き合いに考えるのは、交通ツール違反です。

スピード違反、駐車禁止違反、一時停止違反、信号無視。クルマを運転する人で、これらを犯さずに運転している日は、1人もいないと断言できます。僕自身、20年以上運転してきて、現在はゴールド免許ですが、いっさい違反をしていないとはいえないし、そのことについて、つい自己弁護もしてしまいます。

クルマを運転していて、黄色信号になり、いつものようにそのまま信号を突っ切る。そこに自転車が飛び出してきて、事故になる。

(僕)「みんながやっているように運転していただけです。あのタイミングでは、多くの車が信号では止まらないし、自転車側はまだ赤だったはずです(悪いのは赤で出てきた自転車です)」
(裁判官)「あなたの側の信号は事故の瞬間にはすでに赤でした。あなたは日頃から信号を軽視した運転をしていて、それが今日の大事故につながった。無反省なので罪を重くします」

薬物をやっていた酒井と、黄色信号をつっきている僕やあなた、一停止の停止線を踏み越えるタクシーの運転手は、同罪ではないのか? もし別の時限の罪なら、なぜそう言えるのか? そして両者は、どのような態度を取れば、反省し、罪を償ったと言えるのか?

そんなことを考えます。

で、そこから何が見えてくるのかを書こうと思っているのですが、予定の文字数にも到達したので、今週はここまでにしたいと思います。ぜひあなたにも、この問題について考えてもらおうと思っています。

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