(by paco)今週は、少子化について考える。
先日、小さな食事会があり、そこに来ていた若い女性から、「少子化は、どうすればいいと思いますか?」と聞かれた。その質問をきっかけに話したことを、まとめてみる。
ところで、あなたならこの質問にどのように話をするだろうか。もちろん、論理的に話をするべきなのはいうまでもない。
考え、話すときに、まずしなければならないことは、イシューの特定だ。
「少子化は、どうすればいいと思いますか?」
と聞かれているので、これが相手のイシューになり、聞かれた僕は、このイシューに答えるメッセージを出すことが期待されている。しかし、イシューが間違っていれば、いくら考えても意味がない。
僕が最初に話したのは、イシューを変えることだった。
「少子化って問題なのかな?」
少子化が問題ではないとしたら、どうするかを考えても、意味がない。
「あなたは、なぜ少子化が問題だと思っているんだろう?」」
自分が高齢になったときに支えてくれる人がいないと困るから。
だったら、少子化全般を考えても意味がない。自分がなるべく多めの子どもを産み、その子に自分の面倒を見るように教育して育てればいい。世の中に子どもが多くても、支えてくれるとは限らない。
人口が減ると、経済が衰退するから。
だったらそれは、少子化の問題ではなくて、人口減少や経済の問題だね。人口と経済規模は比例するのかな。インドネシアは日本より人口が多いけど、日本よりGDPはずっと低い。
もっと身近な問題として捉えた方がいいのではないか。たとえば
「子どもが産みたいのに、経済的な理由などで産めないことを解決するにはどうしたらいいか?」
「子どもが育つ環境を良くするにはどうしたらいいか」
ということを考えた方がいいのでは?
★ ★ ★
このようなやりとりをしながら、まずイシューを確認し、再設定する。この作業がとても重要だ。
まずは最初のイシュー
「少子化は解決しなければならない問題なのか。問題だとしたら、なぜなのか」
について考えてみよう。
★ ★ ★
このイシューについては、web版フォーサイト上に「人口減少社会でも「豊かさ」は実現できる」
http://www.fsight.jp/article/5577
という記事(有料版)が掲載されていて、これが説得力があるので、参考にしてほしい。
筆者は以下のように指摘する。
「一九五三年に政府に設置された「人口問題審議会」では、人口急増が国民生活水準低下の原因であると考え、その対策が議論されていた。」
人口急増中の20世紀中葉では、日本では人口増加が貧しさの原因であるという議論がなされ、家族計画の推進などが対策として挙げられたと指摘している。実際、すこし前のアフリカ諸国やインド、バングラディシュでは、人口が爆発的に増えることで、社会インフラが整わず、人的資源が有効活用されずに、GDPが伸びないと考えられていた。中国は人口増加は国家存亡の危機と捉えて、一人っ子政策を強力に推進してきた。
人口減少より、人口増加の方が豊かさの実現には障害になる、と考えたわけだ。
また、現在の日本のようにGDPはほぼ横ばいで、人口が減れば、1人当たりのGDPは増えることになる。豊かさという点では、国全体のGDPを論じるより、1人当たりのGDPの方が合理的だろう。
さらに、人口が減っても1人当たりの生産性が増えれば、GDPは増やせると指摘していて、むしろ今の日本の問題は、この点にあると言っている。
生産性が上がらない理由について、資本が非効率に使われていると指摘しているが、僕はこの点が今の日本経済の最大の問題点だと考えている。資本(貯蓄)が再投資されずに塩漬けになっていて、資本効率の良い投資先に回っていない。その結果、努力が実らずに、せっかくの人材が活かせていない、というわけだ。
ほかにもいくつか指摘があるのだが、全体として、人口減少と経済成長は連動しない、という立場を取っていて、僕自身も同じ立場だ。メディアに登場するような多くの論者が、人口減少をGDP現象と直接結びつけていて、そのことが日本人の平均的な理解を生んでいるようだが、これは疑ってかかるべきだ。
さらに、もうひとついえば、GDPの増加(1人当たりのGDPの増加も含めて)が、国民の豊かさにつながるのかという点も疑うべきだ。GDPは経済の指標に過ぎず、ゆたかを反映しているかどうかは、必ずしもはっきりしない。
★ ★ ★
以上のように、人口減少そのものは必ずしも社会にとってマイナスではなく、少子化対策も不要のものに思える。しかしそれでも、別のイシューは残る。
「子どもが産みたいのに、経済的な理由などで産めないことを解決するにはどうしたらいいか?」
「子どもが育つ環境を良くするにはどうしたらいいか」
のようなイシューだ。
子どもが産みたいのに、有無のをあきらめているとしたら、それは国のためということではなく、個人として不幸なことだ。みな、それぞれの事情なので、それなりに納得してはいるものの、やはり希望する人数の子どもを持てる社会であるというのは、人類の社会に共通して肯定できる指標だろう。
★ ★ ★
「子どもが産みたいのに、経済的な理由などで産めないことを解決するにはどうしたらいいか?」
について考えてみよう。
子供を持ちたいのに持てない理由は、どのようなものが考えられるのか。その分析に基づいて、解決策を考える必要がある。
時系列のプロセスで子供を持ち、育てる過程を分解してみよう。
(1)男女の出会いから妊娠まで
(2)妊娠後から出産まで
(3)子こどもの育ち環境
(4)育児中の親の環境
に分けてみよう。
(1)男女の出会いから妊娠まで
子どもがほしいなと思っても、パートナーがいなければ子どもはできない。男女のパートナー探し=出会いの機会が多く、セックスの回数が多いほど、妊娠までのプロセスは容易になる。
実際には、適齢期の男女の出会いの機会は以前より少なくなっている可能性がある。男女とも仕事に就くことが一般的になっているが、出会いの適齢期である20代から30代は仕事が忙しく、充実している時期でもあり、出会いの機会が以前良し限定的になっている可能性がある。出会い自体は、インターネットでの出会い機会もあり、増えているものの、逆に増えたことが「もっといい出会いがあるかもしれない」という気持ちにつながり、決まったパートナーをつくることをためらわせている。
これと思うパートナーと出会い、恋愛関係になっても、デートの回数は仕事の多忙さで限定されてしまい、セックスの回数そのものが日本では外国に比べて少ない。また、「草食男子」の登場で、出会っても、体の関係まで積極的にリードする男性が少なくなり、一方女性は、この点に不満を持ちつつも、女性の方がリードすればいい、というところまで、価値観が進んでいないために、関係が深まらない。
さらに、セックスまでいっても、妊娠が難しいケースも増えている。男女とも不妊の原因を持っている例が増えて、せっかく出会って、妊娠してもよいと考えても、実際には妊娠しにくく、医師の診察を受けたり、不妊治療を行ってもなかなかできない例も増えてきた。
以上のように場合分けしてみると、それぞれについていろいろな解決策があることがわかる。
たとえば、出会いが少ないことを解決するには、若い世代の労働次官を短くして、ワークライフバランスをライフよりにすることもそのひとつになるだろう。長時間労働を自慢するような業界には、労基署が積極的に関与して時短を進めさせる、といったことが、生みやすさつながる。
(2)妊娠後から出産まで
妊娠できても、出産までに、障害が多い。
産科医や産科を含む総合病院、助産師の数が不足していて、しかも出産費用が高額なので、出産にリスクを感じて、妊娠自体をあきらめてしまう場合もある。助産師や小さな産科クリニックで出産を予定しても、妊娠中の体調不良で大病院への搬送が必要なこともある。実際には、この場面で救急車が搬送先を探せずに、妊婦が死亡する事例も出ている。このようなリスクを賭けてまで妊娠することはない、とあきらめてしまうこともあるだろう。
問題なく出産までできても、その間にかかる経済的な負担は大きい。出産は健康保険の対象ではないために、数十万円の費用が必要で、この負担が若い男女、特に雇用が不安定な状況下にある今の若い男女には重い負担になる。
この問題点を解決するには、個人の努力だけではできない。大学病院など、大規模総合病院に充実した産科医療を確保し、もちろん、妊娠出産で事故がないように徹底する必要がある。
出産の費用も、個人に押しつけていると解決しないことから、公的な負担を増やすことが有効だろう。フランスの少子化対策では、経済的な支援が中心になっているが、日本はフランスの数分の一程度の支援でしかなく、フランスが出生率の増加に転じることができた理由について、日本人も十分認識する必要がある。個人への支援を行おうとすると、「バラマキ」などという言葉で批判が集まりがちだが、個人に過剰な負荷がかかっていることに気づけば、負担を軽減することがバラマキとは言えないことがわかるはずだ。
(3)子こどもの育ち環境
出産後は、主に母親が育児を担当するのが日本の習慣になっているが、核家族から単身家族が中心になっている今では、育児の負担を分担する他者が入り込みにくく、過剰な負担が母親にかかる。精神的に追い込まれたり、逆に子どもへの過干渉になって育ちの環境を悪くさせ、最悪の場合、育児放棄や虐待が起こる。
保育園や幼稚園に入れようとしても、特に保育園は待機児童が多い自治体がほとんどで、入れたくてもなかなかは入れられない。まして、親の希望するような内容の保育園を「選ぶ」ことなどさらに困難で、意に沿わない育児環境では、子供を作りたいという動機になりにくい。
小学校に入っても、両親とも働いている子供たちは、3年生までは学童保育の形で夕方までの居場所があるが、5時以降はひとりで自宅にいることになる。4年生以降は学校が終わってから親が帰るまで、ひとりの時間になる。こういう状況に不安を感じれば、子供を持つことをためらうようになる。
(4)育児中の親の環境
子供を持つことで、親も大きな変化を余儀なくされる。特に女性が育児の中心にならざるをえないことで、女性の仕事のキャリアが中断してしまい、不利になる状況は、変えがたい。
女性の能力は男性に劣らない。仕事に重点を置きたい女性が、キャリアを失うことなく育児ができる状況をつくることは、子供を持ちやすくするだけでなく、生産性の向上につながり、結果的にGDPも押し上げる。
★ ★ ★
改めてふりかえると、少子化対策としても十分成り立つ内容になっている。しかし、イシューを先に変えておいたので、ねらいが明確になっている。
少子化対策というイシューは、子どもを増やすことが目的になり、選択的に子供を作りたくない男女にまで、子供を作らないのは悪、といったメッセージを与えかねない。日本では第二大戦まで、富国強兵策で子作りが奨励されたが、突き詰めれば、兵隊にいって死ねる子供を作ることだった。これでは少子化対策はむなしい。
あくまで
「子どもが産みたいのに、経済的な理由などで産めないことを解決するにはどうしたらいいか?」
をイシューにして、答えを出せば、上記のような問題はなくなる。しばしば問題にされるからといって、そのイシューが本当に重要とは限らず、真のイシューを設定しなければ、道を誤ることもある。
コメントする