(by paco)477bサンデル教授の「政治哲学」を哲学する

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(by paco)ハーバード大学のサンデル教授による「白熱授業--正義の話をしよう」は、本とtv番組ですっかり有名になった。哲学を学び、<おとなの社会科>をやっていると僕としても気になるところなので、番組と本を少しかじってみたところで、それについて書いてみようと思う。

資料として、「授業を誌上で再現」と銘打った記事を使う。

サンデル教授の進め方は、最初に短時間でレクチャーでテーマと主要な概念を紹介し、その後は1000人はいる教室で、次々に学生を指名して、学生同士の意見交換によって進められる。教授自身は、学生と直接1対1のやりとりをすることは少ない。

この方法が通用するのは、ハーバードという大学に集まる学生の知的レベルと、モチベーションの両方が非常に高いからだ。日本でも、先日東大で行われたサンデル教授の特別授業では、予定を2時間オーバーしたということなので、このときの学生もハーバード以上だったのだろう。

同じく教える立場で言えば、学生のレベルによって授業が支えられているという感触は、気持ちがいいものではあるものの、これだけの学生なら自分でなくても進行できる、と思ったりもする。ゲタを履かせてもらっている感じがするのも事実だ。サンデル教授がどのように感じているか、興味深いものがある。

記事で紹介された授業のテーマは、「積極的優遇制度」が正義が、非正義か。

最初に紹介される「積極的優遇制度」の説明(記事p.54上段)は、簡潔で正確ではあるのだが、この説明で学生は精確に理解できているのかが気になる。

<おとなの社会科>で大切にしていることは、このような制度がなぜ必要と考えられたのか、どのような成果をもたらしているのか、どのような反論があるのか、代案があるのか、といった「事実=factsと現状に至るまでのメカニズム」を提供することだ。現状を正確に、背景から理解しておかないと、意見の持ちようがなかったり、議論がかみ合わないからだ。

ではサンデル教授の授業ではどうか。教授は、

「ホプウッドの例を正義と道徳の観点から考えて、この措置は正当か?」Q1
「ホプウッドの権利は侵害されたのか」Q2

と問いかけて、学生のディスカッションを促す。

ここからの議論は、活発なやりとりだが、議論に介入しないサンデル教授の姿勢が、果たして「哲学」を教えていることになるのか、適切な議論の場となっているのか、疑問を感じる。

「高校までの教育環境に格差がある以上、テストの点だけではなく、潜在能力なども考慮するのは当然」(p.54下段)

という発言があるが、僕ならこの発言を見逃さない。

まず、高校までの教育環境はどの程度違うのか、それが、低い側を優遇するに値するほどの差なのか。ここについて、学生間で認識の差があると、議論が適切に進まない。米国で育ってきた学生なら、肌身で感じていることと言えなくもないが、ハーバードは世界中から学生を受け入れているし、米国内でも人種間格差が大きい地域にいるか、そもそもエスニック(非白人)グループが存在しない地域で育ったか、状況によって理解の深さが違う。こういった議論をするには、背景になる知識をそろえなければ、議論にならない。

また、テキサス大学の措置は、「潜在能力などを考慮して」エスニックを優遇しているのか、どのような方法で優遇しているのか野認識が違うと、上記の発言は説得力を持たない。このあたりの議論のゆるさは、サンデル教授の授業に毎回共通する。

「格差は確かに存在する。でもその格差を是正する解決法は、試験結果を恣意的に変えることではないと思う」(p.54下段)……a

この発言のあと、どう仕切るかも、重要だ。黒人のハンナは

「白人はこの国で独自のアファーマティブアクションを400年以上も行ってきた……」(p.54下段末?p55)……b

という発言をしている。翻訳調の日本語なのでわかりにくいが、趣旨を以下の内容だ。

「白人は白人に対して恣意的な優遇を400年以上やってきた。これからは有色人種に対して優遇措置をとるとしても、それは正義と言える」……b'

(このようなことばのいいかえ能力は、論理思考力の核になるものなので、とても重要)

ハンナの反論は、非常に有効な反論になっている。授業が、学生の質によって支えられていると思うのはこういう場面だ。日本なら、以下のような別の議論になっていただろう。aの発言を受けて、

「試験結果を恣意的に変える以外に、格差を効果的に是正する方法として、どのようなものがあると思うのか?(試験結果を変えるのが最も有効だ)」……c

発言aに対して、発言cをぶつけるというのは、日本の議論ではよくあるパターン。日本人は、方法論の議論が大好きで、原理的な議論(b)に持っていくことが苦手だ。

サンデル教授が示した最初のイシューQ1では、正義と道徳の観点から考えて、とあるので、ここを十分理解していれば、bのような原理的な正義を議論すべきで、cのように方法論の議論に入らない方がよい(あくまで原理の正しさを検討するための材料)。ここの議論が迷走しないのは、学生の訓練が行き届いているのかも知れない。

ここまでが、優遇制度自体の正義/不正義だが、ここから議論は「過去への清算」というイシューに入っていく。エスニックは過去、不公平を受けてきたので、今優遇する権利があるのか。あるいは、今は今なのか。

この議論もサンデル教授が介入しないのが不思議だ。

実は、この議論は、最初の議論につながる。黒人は過去、不公平を受けてきたので、現在の格差として現れている。つまり、格差を認め、格差の是正を認めるなら、過去の清算を認めることと同義のはずなのに、この点について、教授は指摘していない。日本の戦争責任も通じる重要な論点なのに、教授の仕切が聞けずに残念。ここをきちんとつなぐメカニズムの提示が必要だろう(<おとなの社会科>なら、やっていると思う)。

次の発言


「アファーマティブアクションは人種差別をなくす目的を達成するどころか、逆に人種間の軋轢を増幅している」(p.55上段)

この発言は、イシューがずれまくり。教授が整理に入らないのは、おかしい。

まず、アファーマティブアクションは人種間の差別意識をなくすために行っているのではなく、人種間による結果の不平等をなくすために行っている。つまり、この発言は目的を勘違いしている。

人種間の軋轢を増幅しているという主張は、ふたつの点で間違っている。そもそも増幅しているかどうか根拠がない。大学入学で黒人が不利益を受けていると白人を告発する軋轢は、以前からずっと存在しているが、白人が無視していただけだ。まだアファーマティブアクションは軋轢を減らすために行っている措置ではない。軋轢が増幅したとしても、それはアファーマティブアクションのねらいが間違っていることを意味しない。

このような指摘は、学生から出てもよいが、本来は教授が指摘すべきことだ。サンデル教授が学生の質に頼った授業をやっているために、この点を指摘できなかったのではないかと疑える。

 ★ ★ ★

さて、このあと、白熱授業はまとめに入る。サンデル教授は議論の構造を示す(p.55下段)。しかし、この構造を見せられたときに、学生はどのようなメッセージを受け取るべきか、示されていない。議論の場は提供するが、答えは示さない、ということなのだろうが、だとしたらこの授業は何の授業なのか?

次に、「ホプウッドに権利を侵害されたと主張する権利はない」(p.55下段)

と発言しているが、これについて根拠が示されていない(授業中には示されたのかもしれないが)。この発言は、ミズカラ発したこのクラスの全体のイシューに対する答えだけに、どのような根拠を示すのか。知りたいところだ。

ということで、サンデル教授の白熱授業と<おとなの社会科>のアプローチの違いについて、少し具体的に書いてみた。

今後、<おとなの社会科>もディスカッションの要素を増やしていこうと思っているのだが、サンデル方式もおおいに参考にしていきたい。

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