(by paco)先日、持続可能社会の実現に向けて社会的な活動をしている「Tさん」とメールでやりとりしていたのですが、その中での話を書こうと思います。
持続可能性を実現するために、今何をする必要があるのか、というような大きなイシューの中の話になるのですが、持続可能性というと、パーマカルチャー(持続可能な農業)とか、コミュニティ再生とか、サステナブルコミュニティとか、そんな話になることが多くて、なかなかディープな世界になります。
それはそれで、どんどんやっていけばいいと思うのですが、それだけではないだろう、と思うわけです。実際、それが答えなのか、主流になっていくのかと言えば、違うように思えます。この分野についてそれなりに理解している僕でも「なんか違う」と思えるのですから、一般のビジネスパースンには、そもそも何をいっているのかわからないという感じかも知れません。
持続可能社会の対極にあるのが、持続不可能社会で、要するに現代のような物質消費と使い捨ての社会です。ものとエネルギーを使い捨てにするだけでなく、今では人間まで使い捨てが恒常化し、使い捨てられないポジションに着くというだけで、「成功者」と見なせるぐらいです。これでは、実際「持続不可能」と言いたくなるわけですが、現代の持続不可能社会では、多分、企業の存続(投下資本の再生産)だけは「可能」だと思われているので、それさえ確保できれば、自然や人間が持続不可能であったとしても、「よい社会」と思われているのでしょう。
この点については
[知恵市場 Commiton]470法人税を下げるのか、雇用維持が先か
で指摘した点と同じです。
かんたんに言えば、今の日本では見通しが暗いと言われ、経済成長がすべてを解決するかのように言う人が多いのですが、経済成長とは突き詰めれば企業群の成長であり、GDPが成長軌道に乗れば、先行きが明るいと考えられているわけです。そして、今の社会構造では、企業の成長が社会と個人の豊かさの実現にはつながらない、ということがかなり現実味を帯びてしまっているわけで、実際、リーマンショックまでの5年間は、いちおうGSPの成長期になっているわけですが、その実感を感じている人は少ないでしょう。
リーマンショック以後がひどいから、それと比べるとましだったと考える人はいるでしょうが、確かに相対的にはその通りですが、5年間も「成長」しているのに、恩恵が広がらないということを考えれば、経済成長が個人の豊かさや充実をもたらさない、というように、現実を見た方がいいというのが僕の理解です。
そしてそのことは、実は決して悪いことではないのだ、というのも、僕が以前から言っていること。
GDPを基準にした経済成長は、持続不可能社会であり、持続可能性の実現と言うことでいえば、GDP成長はゼロかちょっとマイナスぐらいのほうがよく、その意味では、今の日本はまさに持続可能社会の入口に立っていると見立てることができるのです。
そうはいっても、ゼロ成長では、生活実感として良くなっていないじゃないか、という意見があると思います。でも、プラス成長でも生活実感は良くなっていないのです。成長と生活実感の向上は、切り離した方がいいのです。ちょうど、中学や高校のころ、勉強ができることと、異性にモテることは、ほとんど相関関係がなかったように、です。
そうはいっても、「成長」を示す何らかの指標はあった方がいいでしょう。
勉強ができることと経済成長は、偏差値やGDPで示されるとして、異性にモテることと生活実感の向上は、どのような指標で示せばいいのか。モテる方は、デートの回数や結果的に結婚できたかどうかで示せすのかも知れませんが、モテることについて誰もが認める指標があるわけではありません。それでも、「あいつはモテる」「モテ髪になる」というようなキャッチフレーズのついた雑誌やシャンプーはたくさんあります。モテることについての一定の指標は存在しているのですが、GDPのように単一のものではない。指標自体が流動的。これがひとつのポイントでしょう。
そこで今の時代の中で、生活実感が充実していることを示す指標としてどんなものがあるか、考えてみます。
■「職業と住まい」
そんな中、冒頭のTさんが、特に若い人にとって、示した指標が、「職業と住まい」でした。
確かに、今の時代、「お金を稼ぐための仕事」ではなく、自分にとっての「職業」と言える物を持っているかどうかが、ひとつの生活充実度の指標です。
政府の集計では、このことは「失業率の低さ」で著したことになっているのですが、よく考えると、「職業を持っている」ことと「失業率」とは、あまり関係がありません。仕事を希望している人が、派遣労働についている場合、「失業していない」ことになりますが、派遣で働いている人が「職業に就いている」と自分のことを説明するかと考えると、多くはNOでしょう。
つまり、失業率と「職業保有」とは、連動していない時代になっているのです。にもかかわらず、政府は失業率を指標に使っている。ここに問題があります。
「住まい」も同様です。派遣社員では寮が用意されていることがありますが、派遣労働はいつ打ち切りになるかわからず、打ち切りになるとすぐに寮も失います。こんなところは「住まい」とは呼べません。
「職業」と「住まい」と「安定した収入」。
政府の統計で補足できるのは、せいぜい3つめの「安定した収入」ぐらいのものです。
政府や、社会一般の人が指標になるかのように考えているのものが、実は生活実感の充実という観点から見ると、まるで指標になっていない。ということは、政府や政治の努力が、現実を改善しない可能性が高い、ということです。
■「おしゃれ度の高さ」は生活実感の充実を示す?
「職業」と「住まい」のほかに、生活実感の充実を示すものはいろいろあります。そのひとつが、「おしゃれ」です。
ちょっと唐突ですが、一例としてお聞きください。
日本の若い人たちが、世界の中で見てもすごく進んでいる、充実していると胸を張れるものに何があるのか、と考えたときに、「ファッション」「おしゃれ」は、その主要なもののひとつと言えるのではないかと思います。
日本の若者のストリートファッションは、今世界から注目されていて、着こなしのうまさ、高い服ではなく、普通の値段の服を着こなすコーディネート力、ヘアスタイル、持ち物など、非常に洗練されているという評価です。
「美人時計」という人気サービスがあるのですが、ストリートで見つけた「美人」に「12:31」など時刻が書かれたボードを持たせて写真を撮り、1分ごとに写真が変わるという「時計」です。
この美人時計に、韓国版が登場したので、日本版と韓国版を並べて表示させてしばらく見ていることにしました。すると、はっきり印象が違うのですが、日本の女性の洗練度が圧倒的なのです。特に服選びのセンス、ヘアデザイン、そしてメイク。どれをとっても雑誌のモデル級の洗練度で、見ていて飽きません。
韓国版の女性たちも、本人の用紙は決して見劣りしないのですが、服、ヘアスタイル、メイク、いずれも平均値がかなり素朴な感じ。かわいいとかどうかではなく、洗練度が違うのです。
もちろん、女性のファッションは、社会的な要請や、同世代の男子の好みが色濃く反映されますが、それも含めて、日本のファッションセンスのレベルは非常に高いことがわかります。
もし、GDPに代わって、「世界おしゃれ度ランキング」がより一般的な社会の評価として見られていれば、日本は間違いなくトップ3に入っていて、みんなもっと自信を持って生き生きファッションを楽しんでいるという可能性もあります。
日本は元気じゃない、日本の将来は暗い、という人が、もしファッションランキングでものをいえば、とても元気じゃない、などといえないでしょう。
とはいえ、ファッション関連の活況をGDPで表せば、たとえば百貨店の売り上げが伸びないとか、いい数字にはならないでしょう。
この状態を「ファッションセンスは良くても、経済は良くならない」と嘆くのか、「GDPなど上がらなくても、ファッションセンス世界一なら、その方がハッピー」と考えるのか。
GDPが成長していても、それが女子高校生Aさんの功績だとは思えないでしょうが、「日本のファッションは世界一と言われているけれど、Aさんのファッションは、その代表例だね」と言われれば、Aさんは「ギガントハッピー」になるのではないかと思います。
実際、若い女性のファッションの殿堂である渋谷109(マルキュー)では、平日でも若い女性があふれていて、その情熱は強烈です。マルキューの売上は日本の産業をリードするほどではなくても、マルキューに集まる女性たちの情熱の総和は、日本中に波及しています。このエネルギーが、日本の「成長の指標」に反映されないのは、指標をつくっている金融やシンクタンク業界のおじさま・おばさまたちが、マルキューに渦巻くエネルギーの本質を見抜く力がないからでしょう。
ちなみに僕は、高校生の娘を着せ替え人形のようにかわいくすべく、娘と一緒にマルキューを数時間歩き、アドバイスし、試着させて、スポンサーシップを発揮し、ちょっとハード系ファッションだった娘を、今っぽい甘系のファッションに衣替えさせるきっかけを作りました。渋谷の町を歩き、大学生のファッションを見極めれば、年齢を問わず、若い世代のファッションパワーを理解することができるし、そのパワーが彼らの生活の充実を形成していることははっきり見て取れます。
大事なことは、生活実感の充実が何によって示され、何をすればそれが加速するのか、という視点を持つことなのです。その充実をGDPに置き換える必要はない。
成長発展というと、経済ばかりになりがちですが、成熟というと、質の面の成長も含まれます。サステナビリティにとって経済発展は相性が悪いのですが、成熟の希望をなくしては、人は生きていけません。みなが何に期待して前向きに生きていけばいいか、それを具体的に示すことが、本当の意味でのサステナビリティだと思っています。
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