(by paco)462「グローバルビジネス」と「田舎ビジネス」との対比

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(by paco)今月の<おとなの社会科>07「地域活性化」で、「グローバルビジネス」と「田舎ビジネス」のコントラストについて話をしたので、それについて改めてコミトンにまとめると同時に、やや説明が不足だったところを補いたいと思います。

■田舎ビジネスとグローバルビジネス

グローバルビジネスについては、だいたい見当がつくと思いますが、代表例としてはマクドナルドやトヨタ、SONY、パナソニックなど、世界のマーケットで競争するビジネスのことです。

これに対して「田舎ビジネス」というのは、「Regional Business」といい変えてもいいのですが、地域に根ざした小さなビジネスのことです。

地域活性化には、この田舎ビジネスが欠かせないのですが、なぜかという話を、day1で行いました。地域が活性化していないという状況は、やはりお金が回っていないということがあるのですが、実は、お金というよりは「仕事が回っていない」「つながっていない」ということの方が大きい。田舎ではお金の有無よりも、「やることがない」「やることを自分たちで生み出せない」という従属状態、他者依存状態の方がずっと問題で、そのことが結果的に「経済がよくない」という言い方になる。

でも実際には、経済がよくなくても、仕事がきちんと回っていれば、田舎の低迷感はかなり提言されるのです。簡単な例を挙げれば、田舎ではお金を媒介にしない物々交換が今でも多く見られ、大工仕事ができる人がお年寄りの家を直してあげたりする。ただというわけにはいかないので、材料費をもらい、あとは野菜とか米とかをもらってくることもある。都会ではこれに対して、10万円とか20万円とか見積もりがつくわけで、この額がGDPとして国や地域の「経済状況」としてカウントされます。

GDPが低迷する田舎であっても、人々が必要とする仕事がお互いに回っているのであれば、問題があまりない、毎日やるべき仕事をやって充実している、という状況になるので、必ずしもお金がたくさんある必要はないのです。

つまり、田舎ビジネスの本質は、誰かが仕事をした結果、「地域の生活がよくなる」ことであり、また田舎の人々に「それぞれ自分がやるべき仕事がある」ことなのです。

仮に国に税収が充分にあり、それを地方に分配したとしても、失業保険のようにただカネを渡して生活できるようにしても意味がなく、仕事が回っていくことが重要だということがわかります。

(もちろん失業保険は重要ですが、それは職がない人が次の仕事を得るまでのつなぎの生活を保障するという意味であって、ずっと失業保険で生活することではありません。一方、生活保護は、その人の状況によっては、一生社会が支援する必要がある人もいるでしょう。)

このことから、田舎で必要なのは、仕事でつながるという意味での「ビジネス」は必須なのですが、「お金を儲ける」という意味でのビジネスではありません。ここが、「田舎ビジネス(リージョナルビジネス)」と「都市型ビジネス(グローバルビジネス)」との違いです。

対比させてみましょう。

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■目的---収益なのか、暮らしなのか

まず重要なのは、目的です。グローバルビジネスでは、最大の目標はやはり収益になります。収益は「唯一の目的」ではないのものの、収益を考慮しないグローバルビジネスはない。収益という軸を基準に、世界中のビジネスが競争し、そこで勝ち抜くことが重要な存在意義だからです。

もちろん、グローバルビジネスにも社会的な責任はあるし、CSRと呼ばれるそれを収益とどう両立させるかは、重要な要素です。しかしCSRをどのように戦略的に「利用」するかという点も含めて(環境問題に取り組んでいることを主に宣伝材料として利用する企業もある)、収益のためのCSRであっても、許される。

日本の大企業、成長企業のほとんどはこの分類に属します。「うちは特に世界に進出しているわけではないし、英語も使わないよ」という人もいるでしょうが、実際には、世界と直接対決している企業の下請けをしていたり、そういう企業に必要なリソース、たとえば人材を供給するとか、金融サービスとかをやっていることが多い。僕の仕事でいえば、「研修・教育」という仕事そのものは日本語で、考え、話し、書くことが目的ですが、それを学んだ人が作っている製品やサービスの行き先は、米国であったり中国であったりするわけで、今の時代、一定規模以上に成長しようとすると、必然的にグローバルマーケットの中で世界と競争するという側面を持つことになり、一見無関係に見えるビジネスも、グローバルでの競争優位をつくるために、サポートしていると言えます。

一方、田舎ビジネスの目的は、収益ではなく、仕事を回す(それぞれが仕事をすることで、お互いの不足を補う)ことです。もちろん収益はなくていいわけではないし、増やしてもかまわない。でも現実には、収益をどんどん増やせるなら、そのビジネスは結局はグローバル化の道を進むことになり、仕事を回すことよりは、収益を増やすことが重要になります(ユニクロが宇部の用品店から世界企業をめざしたように)。

田舎ビジネスでは、地域の人が充足感を感じられるような仕事を提供し、仕事を通じて多少生活が潤い、仕事をしていることで充実し、納得した「暮らし」ができることが目的です。また、この仕事で将来も生活できそうだという見込みが立つことも重要で、この象徴的な例が四国・上勝町の「葉っぱビジネス」をやっている高齢者たち。彼らの中には、「孫がこの仕事を受け継げるように」と木を植える人もいて、先が短い自分たちの将来だけでなく、子や孫の生活に見込みが立つことに、葉っぱビジネスの大きな意味を感じているわけです。

■人材--スペック重視か、そこにいる人重視か

関わる人材に対する考え方も、まったく違います。

グローバルビジネスでは、まずビジネスの全体像を構想し、戦略を立て、必要なリソースを設計します。人材については、こういうスペックの人材がこれだけ必要とリストアップし、そのためには人にいくらの資本を投じるべきかを考え、人材以外のリソースも同じように考えて、投資を集める。つまり、先に抽象的なスペックで表された人材がそうていされ、かねによって集めようとします。そのためには、スペックにあった人がいつでも自由に採用できそうだという状況が必要で、こういう場所は大都市ということになります。雇用が流動化し、さまざまな人材がいつでも採れることが、グローバルビジネスには不可欠です。

この状況を個人の側から見れば、企業が求めるような人材にあらかじめなっておく必要があり、高等教育(学歴)だけでは足りずに、社会に出てからも常に最新スペックの自分になっておく必要があるわけです。材木にたとえれば、原木、丸太の「私」ではなく、製材し、サイズが整い、表面も綺麗にカンナがかけられているようにしなければならないし、どのような材が求められているかに合わせてアピールできなければならないのです。

これに対して、田舎ビジネスの本質は、今そこにあるリソース、特に人材を活かすということにあります。田舎は人も少ないし、新しい人が流入することもあまり期待できない。流入しても、スペックが揃った人を狙い撃ちできない。

材木でいえば、曲がった木であろうと、細い木であろうと、どっかり太い木であろうと、その木なりにふさわしい場所に使うことで、今必要な大きさの家を作れる能力が必要だと言うことです。

実は、昭和30年代までの、日本家屋の作り方は、こういう方法でした。まっすぐで太い木は家の真ん中の大黒柱に、細い木は板にして床に貼り、曲がっているけれど、風雪に耐えて堅い木は、梁(ハリ)に使いました。こうすることで、その地域の材、今手に入る材を使ってもっともつよい家が作れるのですが、それによって長く持つ木造住宅が作れました。手持ちの材で以下によい家が作れるか、しかもその家に住む予定の人のニーズに応えながら、つくれるかが、大工の棟梁の腕前だったのです。

これを適材適所といいます。

(このような家造りを非常にうまく描いたのが、昨年公開された映画「火天の城」とその原作で、この作品は安土城を築いた棟梁の物語です。おもしろいので、ぜひ読むか、みてください)

このような方法は、一軒ずつ手作りだからこそ可能であり、能力の高い棟梁と大工がいてこそ可能です。昭和40年代からは、合理化の流れの中で、標準化した材を使って、誰でもかんたんに家を作れるようにという方向になり、曲がった材は嫌われて使われなくなり、細い材を接着してスペックにあった柱や床材をつくるようになりました。

同じ例は、石材にも言えます。古い城の石垣は、巨石をざっくり割った形をそのまま生かし、組み合わせ方を工夫して築き上げましたが、今のつくられている大理石の外壁のビルは、薄く板状にした石を貼っているだけです。個人(石材)から見れば、どちらの石材として使われたいか、ということでもあります。

グローバルビジネスの人材活用とよく似ていますね。個性が強すぎる人材は活躍しにくい。

その結果、曲がった材や太すぎる材は使いにくくなり、大都市のグローバルビジネスには職が求められなくなり、田舎に残ることになりました。今の田舎は、曲がった材や細すぎる、太すぎる材ばかりが転がって、使いやすい材はみんな都会に出ていってでスペック通りに削られている状況なのです(都会の皆様、言い方が失礼で申しわけありません)。

と考えると、田舎ビジネスでは、扱いにくい材をいかに使って、曲がっていても、太すぎでも、細すぎても、うまく家を建てられるか、その能力のある棟梁、つまり地域のキーパースンが重要だということです。

一見めんどくさいようではありますが、実際にこれが実現できれば、他者からかんたんに真似のできない、強固なものができます。これしかない組み合わせなので、「葉っぱビジネスなら上勝町じゃなくてうちの村でもできる!」と思って真似する地域が出てきても、同じことはできないのです。

この結果、「真似のできない、しっかりした田舎ビジネス」が生まれ、将来も続けられると感じられることで(持続可能性)、暮らしの満足感が上がるのです。

田舎ビジネスを成功させ、地域を元気にするカギは、いくつかありますが、最も重要で、不可欠なことは何かといえば、この人材に関する考え方でしょう。

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さて、こういう田舎ビジネスとグローバルビジネスとの対比を見た上で、ここに僕は「Japan Cool」という概念を加えることで、田舎ビジネスに新しいポテンシャルを見出しているのですが、それについては、来週書きたいと思います。

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