(by paco)今週は2つのテーマについて書いていきます。
■志がないと経営戦略ができない
昨日、デジハリことデジタルハリウッド大学と大学院合同の講師研修会があり、スピーカーとして呼ばれて、ロジカルシンキングのでもセッションをやってきました。
研修会の後に懇親会があり、ふだんほとんどお会いすることのないデジハリ大の講師の皆さんといろいろ話ができてよかったのですが、その中で経営戦略を教えている先生がこんな話をしていました。
経営戦略は、立案の仕方はいろいろ説明できるけれど、その核になる志を持っていない人が多い。どうやって立てるか、フレームワークや分析はできるようになっても、志がないので、自分のビジネスプランにならないし、語れない、ということでした。これはまったく同感で、思わず志の話で盛り上がってしまいました。
分析ばかりうまくなる一方で、志が希薄になる学生たちという構図は、グロービスにも言えます。
彼がいうには、本来は、志と立案のスキルは、志の方が先にあるべきだ、といいます。これも同感。何をやりたいか、どうしたいのかがあり、やってみたけれどうまくまとまらない、から、どうやって戦略にすればいいのかを学びに来る。本当はこういう順番だろう。それに対して、実際には、「何か学ばなければいけない」という思いが先にあり、大学院で学ぼう、というようになり、経営戦略を学べばいいと思っているようだけれど、それは逆だ、というわけです。
実際のところ、何かやりたい志や使命感があって、その実現のために学びに来る、という人はグロービスでも少数派で、何かを将来につながることを学んでおかないとやばそうだ、中小企業診断士や会計などの資格を学ぶべきか、MBAの勉強をするべきか、という選択肢の中で、経営の大学院に来るというのが、現状でしょう。
つまり、学びの動機は、このままではまずい、現状維持ができないというあせりで、何かをしたいという志ではないというわけです。
僕の理解によれば、「このままではまずい、何かを学ぶ必要がある」という自己認識を持っていること自体、よいことだと思います。こういう考え方をする人たちは、それなりの会社で正社員であり、マネジャーだったり、マネジャーになることができるラインに乗っている人たちで、いわば、出世可能は人たちです。その人たちが、会社が用意するレールだけでは、そこから外れてしまう可能性があり、自力で補強する必要があると考えることは、とてもいいことだし、本来そうあるべきだと思います。
僕は28歳で独立して以来、ずっとひとりでやってきたので、自分の能力開発は自分の責任だったし、投資もしてきました(学校に行くという形ではないですが)。
僕と同世代の、今、会社で部課長クラスの人たちは、むしろあまり自己投資をせずに、会社のレールに乗っていくことで(会社が用意した研修をきちんと受けることで)、振り落とされずにそこそこ上に上がっていくこともできました(そのようなルートに乗れなかった人も少なくないにしても)。
今の20?30代は、会社が用意するレールが希薄で、不足感があり、その状況を正しく認識しているからこそ、大学院に学びに来る、その構図は的確です。ただ、それだけでは不足で、大学院に学びに来れば、勝ち残りのための「すべてが用意されている」という認識は、間違っている、のです。
その主要な不足が「志」なのです。
ちなみにグロービスでは、学長の堀さんが、志を身につけるためのクラスをやっているので、この点、大事なポイントを突いていると思うのですが、デジハリ大を含めて、志のためのクラスは用意されていないし、どのように学ぶべきか、その方法論も見えていないのだと思います。
実際、グロービスの堀さんのクラスも、それがいい方法なのかと問われれば、疑問もあります。それでも、志を高めるための努力を積み重ねていかないと、方法の精度も上がらないという点で、やはり堀さんはいいところを突いているのです。
ということで、僕の話になるわけですが、僕がやっているotoshaことおとなの社会科は、まさに「志」を探すための、僕なりの方法論の提供で、「SkillからWillへ」というコンセプトのもと、世界の正しい認識の中から、世界に対する自分のかかわり方が確認でき、そのかかわり方を結晶化したものが志である、というつながりを狙っています。
ちなみに、今3月に行っている「otosha05 日本人はなぜ貧しいのか?」では、日本の経済分析を参照しながら、日本を数字で見ることの難しさ、数字を見せられることから来る思い込みなどを排除しつつ、日本の現状について考えています。思い込みや強引な論理展開を見抜き、本当の姿をつかむ努力の中から、適切な世界認識ができるのです。
自分のビジネスの経営戦略は、世界認識に基づく「志=思い」を根っこに、それを実際のビジネスに落とし込んでいくプロセスの方法論(=Skill)です。志がなければ、方法論を学んでも意味がないことがわかると思います。
otosha05は、今週、day2です。これからの参加もできますので、こちらからどうぞ。
http://www.chieichiba.net/blog/2010/02/by_paco05--.html
■政治状況は、「民主党と官僚の戦い」の構図で見る
後半は、話を変えて「政治」です。先週、クリシンのday5があり、懇親会の席で受講生に政治の話をいろいろ聞かれたので、話したことをざっくり書きます。
そのまえに、そもそも、クリシンの懇親会のような場で、20?30代のビジネスパースン、特に女性も含めて、今のリアルタイムの政治の話が出るというのも、今の時代状況を象徴しているなあと思います。やはり、世界的に「政治の季節」に入っているのでしょう。90年代の「経済の季節」は、ブッシュの戦争とリーマンショックで終わり、新しい時代に入っているということですね。
さて、今の政治状況を見る視点ですが、基本的に「民主党と官僚の戦い」として捉えると、わかりやすくなります。
ちょっと前まで、小沢幹事長と鳩山首相の「金」の問題が政局の中心でした。これを「民主党も自民党と同じく、金まみれ」という問題として解釈すると、ちょっと間違えそうです。
小沢、鳩山、どちらも、攻めているのは検察庁です。検察庁は「正義の番人」ではありますが、同時に「官僚機構の権力の頂点のひとつ」です。頂点というのは、政治家を逮捕する権限も持っているので、政治との闘争という意味でとても大きな力を持ちうる、ということです。これはかつて権力の頂点にいた田中角栄が逮捕されたことを見てもわかると思います。
では、今起きている「検察vs小沢・鳩山」を、「官僚vs政治」で読み解いてみましょう。
民主党は政治主導を党是に掲げて、官僚の力を削(そ)ごうとしています。これに官僚が抵抗しているのが、「検察vs小沢・鳩山」です。検察の目的は、政治家の金の不正をただすことにあるのではなく、何でもいいから民主党政権の力を弱めて、政治主導を実現しないようにしている抵抗です。
なぜそう言えるのか?
鳩山の例も小沢の例も、妙に事前情報が多かったですよね。いつ事情聴取するとか、どんなやりとりがあったとか、どの企業が献金したらしいとか、定かではないことがマスコミを通じて流れました。情報のリークです。もし検察が本気で小沢や鳩山を逮捕したければ、逮捕できる証拠があると確信していれば、情報はリークしません。十分証拠を固めて、一気に逮捕に行く。長時間リークを続けたということは、本音では逮捕できるとは思っていなくて、小沢・鳩山が悪いことをしているという印象を国民に植え付けることがねらいであることを意味しています。実際、この事件の前後で内閣支持率は急落したので、検察=官僚のねらいは達成できたことになります。
今、官僚は政治家に対して絶大な権力を握っています。政治家が指示を出しても、官僚は面従腹背、表は従うふりをして、巧妙にやらずに済ませようとします。これを、本当に政治家の指示に従うようにすることが、政治主導への転換ですが、政治家の権力の源泉は、主権者である国民の支持です。民主党は衆院選で圧倒的多数を獲得しましたが、リアルタイムでいえば内閣支持率や政党支持率などの世論調査の結果が、権力の源泉です。検察の捜査とリークで、世論調査の結果が一気に悪化したのは、このラウンドでの官僚の勝利を意味しているわけです。
もうひとつの最近のイシューとして、普天間移設問題があります。これも「民主党と官僚の戦い」として理解するとわかりやすい。この場合の官僚は外務省です。
外務省の中心は北米局で、つまりは対米関係が密着しているほど、外務省の権限はつよくなります。民主党は普天間の計画を変更させることで、外務省が握っている対米交渉権限を弱めようとしたわけですが、外務省は「普天間移設がこじれれば、対米関係が悪くなり、日本は危機に陥る」という情報をマスコミにリークして、国民の意識をそちらに向けています。
しかし、この問題の本質は日米関係ではなく、あくまで「民主党vs外務官僚」なのです。なぜか? 米軍は、日本に駐留する必然性があるわけではなく、むしろ対外軍事力を縮小しようとしています。もし日本と沖縄が米軍に「不要」といえば、「わかりました、引き上げます」というだけです。日本は3000億円以上といわれる「思いやり予算」で米軍を日本に引き留めてきました。米軍は、グアムは本土に駐留するより、日本にいた方が軍事費が削減できるので、普天間にいるわけです。日本が「金は出さないし、出てってほしい」といえば、出ていくでしょう。
ではそれで対米関係が悪くなるかといえば、そんなことはありません。
フィリピンでは、以前、米軍の駐留にNOを突きつけて出ていってもらいましたが、それで関係が悪化したかというと、そんなことはありません。また、普天間に駐留する米軍は海兵隊で、この軍は紛争地域に真っ先に切り込む機動部隊であり、日本のような広範囲な地域を防衛する軍ではありません。防衛軍は、空軍が隣の嘉手納に、海軍が佐世保にいるので(こういう防衛の形がいいかどうかの議論は別にして)、普天間から海兵隊が出て行っても、日本の防衛には関係ないのです。
こう考えると、普天間問題は、日米問題ではなく、「民主党と官僚の戦い」だということがわかります。
普天間問題で鳩山政権がよい結論を出し、通すことができれば、金の問題での「判定負け」を取り返すことができるでしょう。また、「事業仕分け Ver.2」が始まるので、これを成功させることができれば、五分五分に持ち込めるかもしれません。
国民は何を考えればいいのかというと、民主党に何の仕事をさせたいのかをよく考え、それに取り組んでいるのかを見極めて、支持すべきならしっかり支持していくということです。
今、自民党はぼろぼろで、民主党に代わる力はありません。ここで民主党を弱くしすぎると、政治力がなくなって、混乱に陥ります。自民党をしっかり支持して、民主党に代わることができるようにするか、民主党を支持して官僚の力が強すぎる状況を変えるのか。いずれにせよ、国民の見識と先見力が問われています。
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