(by paco)「人生のwhat?を見つけるセミナー4 ユダヤとアメリカ、民主主義」が始まりました。day2に向けて、ユダヤとアメリカの関係について、概観しておきます。
◆ナチスのホロコーストがイスラエル建国につながる
現代の中東問題は、ユダヤ人が建国したイスラエルと、もともとそこに暮らしていたアラブ人との間の紛争です。
アラブ人は、アラビア人といいかえられるわけですが、アラビア半島を中心に、西は北アフリカのモロッコ、東はイラク当たりまでに広がって済んでいる民族で、言葉はアラビア語、宗教はイスラム教です。国としては、西から、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、エジプト、ヨルダン、レバノン、シリア、イラク、クウェート、サウジアラビア、UAE、イエメンあたりになります。いずれの国も多民族国家なので、もちろんそれぞれの国にアラブ人以外の人たちもいます。また、上記の国以外にも周辺国にアラブ人が住んでいますが、概ね上記の国がアラブ人の国になります。
その、アラブ人が住む地域のほぼ中央に、イスラエルが位置しているのですが、ぜひ地図を見てください。
ユダヤ問題を考えるときに、ユダヤ人が決まった国を持たなかったという歴史を見て、ユダヤ人の3500年の歴史を全部理解しないと、ユダヤのことはわからないと考える人がいるのですが、実際にはそんなにさかのぼらなくてもユダヤのことはわかります。
直接的には1948年のユダヤ人によるイスラエル建国までさかのぼれば十分です。とはいえ、もうちょっと背景もわかった方がいいので、1918年の第一次世界大戦の終結までさかのぼればいいでしょう。
第一次世界大戦までは、中東はオスマン朝トルコに支配されていました。トルコはトルコ人の国ですから、アラブ人とは民族が違います。トルコ支配下では中東ではイスラム教のアラブ人、ユダヤ教のユダヤ人、そしてキリスト教徒のアラブ人やユダヤ人(少数派)など、さまざまな人種、民族が入り交じっていくらしていて、概ね平和でした。ときには小競り合いもあったでしょうが、お互いに違いを認め合って、あまり干渉しすぎないように暮らしていたのだと思います。
今も、エルサレムではユダヤ教と、イスラム教徒、キリスト教徒が混じって暮らしていて、概ね居住区が分かれているし、バスなどの乗り物や買い物をする店もそれぞれ違うものを利用するのですが、すべてが厳格に分かれているわけではなく、イスラム教徒の店の隣にユダヤ教とのための店があったり、入りまじっていることもあるようです。
トルコ人という支配者のもとに、いくつもの民族が平和に共存していた、というわけです。
第一次大戦のとき、オスマン朝トルコはドイツ側について参戦し、敗北しました。その結果、オスマン朝トルコは崩壊して、トルコはアナトリア半島だけの版図に縮小され、今のトルコのサイズになりました。中東はトルコという支配者に変わって、大戦に勝ったイギリスが進出してきて、イギリスの統治領になります。イギリス人の植民地支配は巧みというか、巧妙で、民族をわざと分断するように国境線を引き、複数の地域に分けて統治しました。今、中東の地図を見ると、イラク、シリア、ヨルダン、エジプトなどの国境線が、まっすぐ直線で引かれています。これは、砂漠の上でこれといった目印がないという事情もありますが、むしろ民族の居住地域を分断するように国境線を引き、国を多民族国家にして、不安定にした上で支配するというイギリス流のやり方なのです。
そのころヨーロッパでは、第一次大戦後、敗戦国のドイツではヒトラーが率いるナチス党が登場し、合法的な選挙によって政権を取って、大躍進を始めます。第二次世界大戦が引き起こされ、ナチスの支配は国粋主義的になり、支配地域内のユダヤ人の弾圧に変わって、東ヨーロッパに住むユダヤ人は民族浄化の大虐殺=ホロコーストによって、600万が殺害された、とされている惨事になるのです。
第二次大戦中、再びドイツと戦ったイギリスは、戦費調達のためにユダヤ人を誘惑し、イギリスに協力してイギリスが勝ったら、今後ホロコーストに苦しむことがないよう、ユダヤ人の国をつくってよい、支援する、と約束します。一方、中東に住むアラブ人(イスラム教徒)にも戦争に協力させるために、大戦が終わったらアラブ人の国をつくって独立してよい、と誘惑します。よく知られる「イギリスの二枚舌」です。
1945年に第二次世界大戦が終わると、ユダヤ人はイスラエル建国に動き出し、同時にアラブ人も独立し始めます。そこで問題になるのが、イスラエルをどこに建国するか、ということ。ユダヤ人は旧約聖書にも記されている「カナン」の地、今のパレスチナと呼ばれる地域に建国しようとして移住を開始し、1948年にイスラエルの建国を宣言します。
といってもここはそれまでアラブ人(イスラム教徒)が住んでいた土地で、いってみれば、日本の関東地方に中国人やモンゴル人がやってきて、「ここは昔、俺たちが住んでいたから国をつくる」といって日本人を追い出し始めた、というのと似ています。
当然、勝手はさせないと、アラブ人は武力に訴え、戦争が始まったのですが、イスラエルは圧倒的な武力によってアラブ人を打ち負かして(第一次中東戦争)、イスラエルの建国は決定的になるのです。
このとき、建国されたイスラエルの地域に住んでいたアラブ人を、地域の名前を取って特にパレスチナ人と呼びます。これは、日本人同士でも「関東人・関西人・九州人」と呼ぶのと同じで、「パレスチナに住んでいる人(アラブ人)」という意味です。
ちなみにパレスチナという地名と、聖書にある「カナン」という地名、そして新約聖書に出てくる「パリサイ人(人)」の「パリサイ」というのは、同じ名前です。紛らわしいですね。
という経緯になるのですが、ざっくりまとめると、
(1)もともとユダヤ人とアラブ人は仲良く暮らしていた
(2)ユダヤ人が東ヨーロッパで迫害された
(3)イギリスが両方に独立承認を示した
(4)第二次大戦後、ユダヤ人がイスラエルを建国した
(5)怒ったアラブ人との間で戦争になったが、ユダヤ人が勝った
(6)アラブ人は力では負けているが、あきらめずに正統性を主張し続けている
というつながりになります。これが、中東問題、パレスチナ問題を考えるときの基本的な構図で、今回の「ユダヤとアメリカ」もこの構図の中に位置づけられます。
◆少数者としての自らをどう守るか?
では、ユダヤ人は、今、どこに暮らしているのでしょうか。全世界で約1300万人のユダヤ人がいて(少ないですね)、そのうち570万人が米国に住み、550万人がイスラエル、その他200万人が、ヨーロッパや北アフリカなどに散って暮らしています。
世界の視点で見れば、ユダヤ人が多数派なのは唯一イスラエルだけで、ユダヤ人から見れば、イスラエルとアメリカ合衆国が、ユダヤ人が住む主要な国家ということになります。この、「ユダヤ人の立場から見れば、イスラエルとアメリカが中心」という構図をしっかり押さえておきましょう。
その上で、アメリカという国にとっては、ユダヤ人がどういう存在なのかを見てみます。
米国の人口は3億1000万人ですから、米国の人口の中でユダヤ人は2%弱にすぎません。米国は多民族国家ですから、さまざまな人種、民族が入り交じっていて、2%という少数民族だからといって暮らしにくいということはありません。しかし、主流派のアングロ・サクソン系と比べればやはり圧倒的に少数で、黙っていると権利が十分守られない可能性もあります。
テキスト(「アメリカはなぜイスラエルを偏愛するのか」)では、米国の少数者グループを「エスニック・グループ」と呼んでいて、エスニックグループの中でユダヤ人だけがなぜ存在感があるのか、ということについて、様々な角度から分析しています。ここでは分析の前に、なぜユダヤが「存在感を出そうとしているのか?」について考えておきましょう。
ユダヤ人の3000年以上の歴史は、差別と迫害の歴史でした。なぜ差別されるのかについては、セミナーday1で詳しく考えたのですが、ざっくり言えば、ユダヤ人はイエス・キリストを処刑したということで、ヨーロッパのキリスト教徒からさげすまれたこと、それ故に、ユダヤ人は就ける職業に制限を受けることが多く、金融や法曹など限られた職業が中心になり、「ベニスの商人」に代表されるように、がめつい、厳格で非人間的といったイメージがつきました。しかし、こういったキャラになるのも、もともと金融などの職業にしか就けないという差別が先にあるのであって、必ずしもユダヤ人のキャラクターではありません。しかし、いずれにせよ、ユダヤ人は、平和に暮らせたかと思うと迫害を受けるという歴史を繰り返し経験してきました。
特に20世紀は、帝政ロシアでひどい迫害を受け、その後ナチスによるホロコーストにつながって、悪夢ばかりでした。その結果、米国に移住したユダヤ人たちは「何か手を打たないと、自分たちはかんたんに迫害され、ガス室に送られかねない、何とか方法を考え抜いて、迫害を未然に防ごう」と考えました。
米国に住むユダヤ人たちの中には、大きくふたつの考えが生まれました。ひとつは、なるべくユダヤカラーを薄めて、米国のほかの市民の中に融け込もうとする「改革派」、もうひとつは団結して権利を主張し、米国政府を動かして、ユダヤ人を公平に扱う(というより優遇させよう)とする「正統派」と「シオニスト」です。
いずれにせよ、ユダヤ人は、第二次大戦後、どうやってこれから自らを守るかということを民族全体として考えざるを得ない立場になりました。改革派はユダヤカラーを薄めて目立たないようにしたものの、完全に融け込むことはできないこともまた、よく知っていました。自分たちが「私たちはユダヤ人的ではありません、よき米国人です」といったところで、迫害を受けるときには「そうはいってもおまえららユダヤ人だ、収容所に送る」と決めつけられるのです。
こういう決めつけによる迫害は、米国でも起こった歴史があり、第二次大戦中、日系人は「敵国人で何をするかわからない、スパイかもしれない」と疑われて、収容所に送られました。収容所に送られるよりはいいと、軍隊に志願し、ヨーロッパ戦線に送られて最前線で戦死する日本人も多かったのです。
ユダヤ人が自らの身を守るために、政治的な意味で行動しなければならないという考えを共有するには、こういった背景があるのです。
今、日本人は「自分の身を守るために、デモを行ったり、政党を作ったりしないとダメだ」と考える人はほとんどいませんが、やはり身に危険が迫ったり、生活が守れないと思えば、立ち上がるでしょう。米国のユダヤ人は、そういう状況にあるのです。
◆外交無関心のアメリカ人と、外交センスのあるユダヤ人
米国のユダヤ人たちは、国内での自分たちの身を守るということと、同じユダヤ人がイスラエルでアラブ人という敵に囲まれて生活しているということを、同じ意味に捉えるようになります。
米国のユダヤ人は、米国の国内政治を動かして、米国内のユダヤ人の権利を高めると同時に、外交政策を動かして、イスラエルに有利な行動を取らせることが、自分たちの命を守ることになるのだと理解し、行動を取るようになるのです。
一方、米国人の平均的な外交感覚はどうか。
米国人という、ニューヨークやLAやシリコンバレーのビジネスパースンを思い浮かべるのが日本人ですが、人口の大半は、穀倉地帯で農業を営む農業国という本質を持っています。彼らは米国は世界一の国であり、世界の保安官であるという「お山の大将感覚」の持ち主であり、一方、日常生活の視野は狭く、目の前の広大な農地と穀物価格相場、そして周辺の仲間たちとスポーツや映画を楽しむ生活です。その生活に、ピューリタニズムというキリスト教の素朴な振興が密接に関わっていて、いわば、信仰に基づく素朴な農耕生活というのが、米国人のもうひとつの姿。いわば「外交音痴」「外交は、よきに計らえ」という態度が基本にあるのです。
米国の主流派は、外交音痴で宗教的な素朴なメンタリティというところに、ユダヤ人が米国の外交政策に影響を与えたいと考え、積極的・戦略的に行動を取る。ここに、米国がユダヤの影響下に入ってしまう基本的な構造があります。
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ということで、米国政府に、ユダヤ人がなぜ影響を与えようとするのか、なぜ影響を与えられるのかの、基本的な構図を見てきました。
実際に、どのように影響を与えていくかについては、セミナー当日と、次回のコミトンで見ていきます。
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