(by paco)432メディアといかに付き合うか

| コメント(0) | トラックバック(0)

(by paco)what?セミナー2はこの前の水曜日、最終回でした。最終回は、フリーディスカッションでこれまでの学びを振り返りつつ、まとめを行いました。

■メディアが社会の変化に追いついていない

このセミナーの間、ちょうど僕は行政刷新会議に出席しはじめ、メディアに取り上げられる側にいたのですが、こういう立場になってみると、メディアの特性がよくわかります。

このところ特に注目されていた民主党参議院議員の蓮舫さんは、僕と同じ第三ワーキンググループなので、彼女のメディア露出は格好のメディアリテラシーの教材になりました。

特に、そのあたりのギャップをうまく表現してくれたのがコラムニストの小田嶋 隆さん。彼女の発言を、言葉で書くのと、テレビで見るのの違いを実にうまく表現してくれているので、ぜひ読んでみてください。

同時に、僕が書いた記事も、参考になると思います。

これまでの3回のセミナーで、(1)メディアが伝える情報が民主社会にとっていかに重要か、を学び、(2)(3)なぜ、どのようにメディアが伝える情報が偏向するか、見てきました。

上記のふたつの記事からだけでも、メディアの情報が偏向して伝わる状況と、そこから何を読み取るか、鵜呑みにしないことの重要性がわかると思います。

ではさらにもう一歩深めて、メディアが偏向する自体的な状況についても考えてみましょう。

行政刷新会議では、すべての議論は公開で進められるばかりか、その場にいなくてもネット中継で誰にでも見れる状況でした。蓮舫さんが怖い表情で質問する場面は放送されますが、なぜ蓮舫さんが詰問調になるのかについては、放送されず、記事にもなりません。

たとえば、仕分け人が基本的な質問をします。「この事業の予算のうち、下請けの独立行政法人に支払われるのはどのぐらいですか?」。これに対して、説明をしている役所の局長さんクラス(かなり出世した人)は即答できずに、後の部下に確認するという場面が多いのです。これまでも類似の質問がたびたび出ているにもかかわらず、回答を用意していない場面が多いので、仕分け人は「そのぐらいちゃんと用意しておけよ!」と詰問調になるわけです。

yesかnoで答えられる質問に、yesかnoで答えないということもよくあります。(仕分け人)「この点について調べたことはありますか?」、(官僚)「もともとこの事業は○○という趣旨で始まって待っていまして、××のなんとかで……」という話が続いたあげく、終わってみたら、かんじんなyes/noの答えはなかった、ということもよくあります。そこで、「ちゃんと質問に答えてください!」とプチ切れするわけです。

ここから見て取れるのは、「絵になる」場面を取ろうとするメディアの特性に加えて、「なぜその発言が出たのか」という経緯は見ていないで、激しい口調というセンセーショナルな部分だけを探そうとしている姿勢がはっきり見て取れます。おそらく、リアルタイムで取材をしているものの、議論はほとんど聞いておらず、見た目や音響的にインパクトがあるに過ぎない場面だけはチェックしておいて、番組にするというやり方なのでしょう。

こういう手法がメディアの定番的な手法だったのでしょうが、これに対して視聴者はどう反応しているのかというと、かなり刺激的なやりとりや結果にもかかわらず、全体の受け止め方は冷静という印象があります。

「まずはチェックの土俵に乗ったこと自体がよかった」
「専門家同士のやりとりではなく、一般の目線で判断しているのはよいこと」
「説明責任が果たせないものややめるべき」

といった意見が聞かれ、とんちんかんな批判はあまり聞かれません。

このことからわかることは、受け手である市民はかなり冷静な姿勢ができていて、メディアがセンセーショナルに扱っても、それには簡単に踊らされないという成熟が見られる、と言うことだと思います。

逆に言えば、それだけ「きちんとした情報」を市民が求めているのに、メディアは相変わらず「絵になる」「派手な議論」ばかりを流していると言うことになり、市民の成熟に対してメディアが追いついていない、立ち後れが感じられるわけです。

本来であれば、メディアは市民をリードする気概で、時代を先取る情報を、先取る形で伝えるべきなのですが、逆転してしまいました。この状況は、市民のメディアリテラシーが上がっているということもできるわけで、その点では悪いこととは言えませんが、メディアの質が相対的に悪化しているとみると、やはり困った状況です。

メディアのみなさんには、これまで以上に新しい時代に合わせる努力をしてもらわなければなりませんが、受け手としては、こういったメディアの時代状況をよく知って、バイアスをはずす能力を高める必要があります。


■情報ピックアップ能力を鍛える

メディアリテラシーの力を発揮するためのもうひとつのポイントとして、情報を直感的にピックアップする感受性があげられます。

毎日大量の情報に接する今の時代ですから、そのひとつひとつをメディアリテラシーの能力を使いながら吟味しているわけにはいきません。ほとんどの情報は左から右に流さなければ、つらくて生きていけないのです。

しかしそのような状況の中にあっても、これはと思う情報はピックアップして拾い上げる字からがますます重要になってきます。

たとえばJINさんは、クラスメンバーのMLで次の記事をピックアップして送ってくれました。

-------------------------------------
ネットカフェ、本人確認を義務づけへ 警視庁が条例案

本人確認が不要なインターネットカフェが犯罪に利用されるケースが後を絶たないこと
から、警視庁は18日、身分証の確認や利用記録の保存を店側に義務付けることを決めた
。来年にも条例案を東京都議会に提出する。ネットカフェを対象にした条例が成立すれ
ば全国初。

ネットカフェを使った犯罪防止策を検討していた同庁の有識者懇談会(座長=前田雅英
首都大学東京教授)が同日、「安心してネットカフェを利用できるようにするには法的
規制が必要」との報告書を提出。同庁が今後、条例化に向けた作業を進める。

報告書は、ネットカフェを営業する事業者に東京都公安委員会への届け出を義務付ける
よう提言。本人確認義務などに違反した店には営業停止命令を出し、従わない事業者へ
の罰則を設けるよう求めている。
-------------------------------------

この記事をピックアップした上で、

「ネットカフェは、半ホームレス状態の人たちも利用している実態を考えると、この条例は、彼らを排除することにはならないでしょうか・・・? また、身分証の提示が、思想取締りなどに悪用される恐れは・・・?」

とコメントしてくれています。

この記事は、トップのトピックになるような記事ではないし、普通の人はほとんど気づかない小さな記事です。しかしこれをピックアップするということは、チラ見した瞬間に、「あれ?」と違和感を感じているはずで、その違和感こそがメディアリテラシーの中でも特にハイレベルな能力と言えます。

このような、見た瞬間に「あれ?」と感じるのは、論理的に情報をフィルタリングしているわけではなく、直感的、右脳的な能力です。直感的に多数の情報の流れの中から、これは「重要だ」というものを拾い上げる力なのですが、これは、行ってみれば河の中にさした網のようなものです。そもそも網が川の中に入っていなければ、情報はどんどん流れていってしまうし、網が適切な場所に入っている必要があります。社会問題に興味があるのに、競馬情報の場所に網が入っていても、いい情報は引っかかりません。網の目も重要で大きすぎればすべての獲物が網を抜けてしまうし、細かすぎればゴミが大量に入って、獲物を見分けるのに手間がかかります。ほどよいサイズの網の目を用意するのが難しいのですが、これもメディアリテラシーの能力のひとつなのです。

情報をピックアップしたあとは、なぜその情報が気になったのか、そこから何を理解するべきなのかを、今度は論理的、左脳的に考えるというプロセスに入ります。そのニュースのどこに自分は気になったのか。そのニュースが意味していること(So What?)を問いかけ、それが世の中を悪くするのか、よくしそうなのかを考える。中立的なこともあるでしょうが、その場合は、将来的に、どちらに転びそうな可能性があるのかを考えておく。こうしておくと、このニュースの続報が引っかかって来やすくなるので、最初にピックアップしたネタが、その後、よい方向につながるのか、悪い方向につながるのか、経緯を知ることができるようになります。

上記の記事の場合、ネットカフェがホームレス寸前の低所得層にとって、現実的に最後の「セーフティネット」の役割を果たしているという事実を知っていることが、ピックアップの要件になっていると思います。本来であれば、こういうセーフティネットは国が用意するべき話ですが、それができていないので、民間のネットカフェがあまり低コストとは言えない金額でセーフティネットの役を果たしている。ここのよりどころを失ったら、ホームレスになる人たちを、ネットカフェ難民と呼ぶわけです。この人たちは、すでに定住の住所を失っているので、免許証や健康保険証を失っている人も多い。そういう人たちに身分証明書を求めれば、一晩泊まるお金を何とか用意しても、ネットカフェにも泊まれないと言うことになり、さむぞれに放り出されることは間違いありません。

この施策が、行政が「ネットカフェ難民向けの一時宿泊施設をつくった」あとの処置ならまだわかるのですが、そういうことがなければ、弱者が単純に切り捨てられる可能性が高くなります。

JINさんはwhat?セミナー1「日本の難点」にも来てくれているのですが、このときに「包摂性」「大きな社会」という概念を学び、そのための努力が必要だと言うことがあたまにinputされていることが前提になりました。そこにメディアを見る視点が加わり、こういう情報がピックアップできるようになったと思います。JINさん自身が話していましたが、今回ふたつのセミナーで学んでいなければ、こういう記事もそのままやり過ごしてしまったか、「安全を守るためなら、やればいい」と決めてつけていたかもしれない、という姿勢だったと思います。

実際には、治安維持と弱者救済のバランスは、単純に決めることはできませんが、ひとりずつの考えの総和が社会の有り様を決めていくという考えを理解しておけば、自分なりの見解を持つことの重要性はわかります。

*社会問題について考えることについて、「どうせ自分が考えても何も変わらないし、そんな余裕がない」と感じている人も多いと思います。こういう考えに対して「社会に関心がない、自分勝手な奴が多い!」という見解の人もいますが、僕はそうは考えていません。問題と自分とのつながりがつかめていないので、自分が何かをやれば何かが変わる、という感覚が持てずに、無関心になるのです。では何をすれば? もしネットカフェを利用する人なら、自分は「難民」ではなくても、受付を済ませるときに、店員にこの話を持ち出すという方法もあります。「ニュースで見たけど、身分証明書が必要になるらしいね、そんな面倒なことはやだね」「身分証明書をいつも持っているとは限らないしね」と言えば、現場に意思を伝えることができます。お客が関心を持っているというのは、意外に上に伝わるものです。これを大規模のやったのが、楽天の「医薬品のネット販売禁止に対する反対運動」ですね。ビジネス上の動機とはいえ、三木谷さんがあれだけ動いたことについては、僕は立派だと思っています。

 ★ ★ ★

what?セミナーの2シリーズを通じて、社会のありようと、ありようを知る力を学んできました。受講のメンバーがほとんど同じだったこともあって、社会を見る目、そしてそれが自分の仕事以外に関係が深いのだということを理解してもらえたのではないかと思います。

人数は少なかったのですが、学びの質については、僕自身も手応えを感じているので、シリーズをもう少し続けてみようと思っています。12月は「現代史」をテーマに、今の時代に通じる知見のつくり方を学ぶセミナーを開催しますので、ぜひいらしてください。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://w1.chieichiba.net/mt/mt-tb.cgi/255

コメントする