(by paco)428コンパクトシティは希望と不安を内包する

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(by paco)先日研修で武蔵浦和に行ったのですが、駅前のコンパクトシティかが進んでいたので、それについて書いてみます。

武蔵浦和という駅は、埼京線にあり、武蔵野線との乗換駅であり、快速停車駅です。と聞くと主要駅のように感じるかもしれませんが、そもそも埼京線が新興路線で、どの駅もまだ充分に開発されていないので、街としては半端な開発状況の駅です。

浦和という街は、埼玉県の県庁所在地ではあるのですが、街としては隣の大宮のほうがもともと大きく、県庁所在地を浦和から大宮に移転すべき、という意見は昔からありました。しかし浦和市としてはもちろん県庁を取られるのは認められるわけもなく、埼玉県の課題のひとつでした。その課題を解決したのが、国が進めてきた町村合併でした。浦和市と大宮市は合併し、さいたま市となって政令市に格上げされ、埼玉県の県庁問題も解決を見たのです。

とはいえ、実は政令市に県庁があるということ自体が時代に合わなくなっているという事情があります。日本最大の市である横浜市(もちろん政令市)も最近政令市になった千葉市も同じ事情があるのですが、政令市というのは、県と同等の権限を持っていて、県の中の独立権と言ってもいい関係にあります。県から見ると、政令市は県の権限がおよばない場所になるわけです。県庁があっても、所在の街のことは県には影響力がないという状況にあるわけです。実際に県が影響力を行使する場所は政令市以外の地域と言うことになるわけで、たとえば神奈川県では、横浜と川崎が政令市ですから(近いうちに相模原市が政令市になる予定)、県庁は横浜にあるより、藤沢や小田原にあった方がいいのです

ということは、今回のさいたま市の誕生は、妙なねじれにあることがわかります。もともとは浦和市にあり、より大きな街である大宮市との間で県庁所在地を競っていたのに、その解決策として合併して政令市になってみたら、県庁はむしろ県庁所在地は政令市ではなく、熊谷とか川越とか別の街にあった方がいい、ということになります。

というような県庁の事情は、今回の本題ではありませんでした。

武蔵浦和は、そんなさいたま市の中で、旧浦和市の地域にあり、埼京線という新興鉄道の主要駅、ということは、さいたま市の新しい街づくりのモデルにすべき街ということもできます。ちなみに埼京線は、東北新幹線の線路の下に造られた鉄道で、新幹線が開通したときに、「騒音に堪えるのだから、見返りに哲朗をつくれ」という住民の要求によってできた線です。今では、沿線の人口も多くなり、首都圏の主要路線のひとつに育ってきました。

武蔵浦和駅の南西側が、今回の話題の場所なのですが、去年、一昨年と3年続けて仕事で行っています。一昨年は駅前に2つの高層マンションが建ったところで、その周辺はほとんど空き地であり、駅前なのに寒々しい雰囲気でした。去年は駅周辺に店もできはじめて、少し街らしくなり、3つめ4つめのマンションも直行されていました。しかし、完成している高層マンションの区画を抜けると、大きな工場が並んだ工業団地のような地域であり、街として快適な感じではありませんでした。

今年行ってみて、あれ?こんな場所だったったけ?と思うぐらい街らしく落ち着いてきたのが印象的で、全部で数棟の高層マンションが建ち、高架線の駅を出ると、2階の高さで空中廊下が隣接する高層マンションに向けて連続的に伸びていて、300メートルぐらいは地面に下りずに歩いて移動できるようになっていました。下には計画道路が走っていて、道路沿いにも自転車道と街路樹付きの歩道が整備され、ゆとりのある街になっています。

ゆとりはありつつも、道幅が広すぎないところはよいところで、これが筑波大学あたりになると、街路が4車線も6車線もあるために、街区と街区が離れすぎて孤立してしまい、歩いて移動する街には見えない距離になってしまうのです。

駅前に高層マンションを並べ、空中廊下でつなぐと同時に、空地を広げて歩道や街路樹を配置して、街にゆとりをつくるというやり方は、川崎市郊外の駅・武蔵小杉でも実現している街づくりです。

東京の都心の再開発では、高層マンションが盛んに造られていて、芝浦や築島などは高層マンションだらけになってきているのですが、都心ではなく、さいたま市や川崎市のベッドタウンでも高層マンションが街づくりの中心になるようになってきました。これはどのような意味があるのでしょうか?

駅の周辺の狭い地域に建物を高層化して、街を集中させる街づくりを、コンパクトシティと呼びます。駅から歩いて移動できる場所にたくさんの人が集まって生活するので、街のインフラを集中させることができることが特徴で、飲食店や小売店なども近くに配置できるので、ビジネスとしては採算性が取りやすくなり、街が活性化するし、住民は生活を自宅マンションから駅までの数ブロックの中で完結できるので、生活しやすくなるのです。

環境面からもコンパクトシティは好ましいとされています。歩いて駅まで行けるので、通勤通学にクルマを使う必要がなくなり、マイカーによる渋滞やCO2排出がなくなります。高層マンションが集まると、集中熱供給が可能になるので、エネルギー計画を適切に立てれば、一住戸あたりのCO2排出は大幅に削減できます(きちんとやれば、半分?3分の1以下にすることができるでしょう)。

実は、コンパクトシティは、北国の街づくりとして始められました。青森市など、雪国では、冬の道路の除雪や雪下ろしに予算がかかります。市街地域が広ければそれだけ除雪も雪下ろしもコストがかかりますが、狭ければ、安いし、同じ予算なら十分除雪することができます。雪下ろしは、木造住宅では必要ですが、マンションなら十分な強度があるので不要です。そこで、街の再開発に取り組み、街のサイズを小さくし、市域が拡大することを防いでいるのです。

街の活性化、ランニングコストが低い街づくり、CO2排出が少ない街づくり、といった点で、コンパクトシティはメリットがあり、武蔵浦和の街路を見ていて、なるほど、これはいいかも、と実感しました。

しかし、問題もあります。

ひとつは、高層マンションに住むというライフスタイルです。高層マンションなら建築基準、特に耐震性や耐火性が高いので、安全性は高いはずです。阪神大震災クラスの地震でも、問題なく生活が続けられるはずです。しかし、日常生活の面では、高層階に住むというのは、意外に住みにくいものです。朝の通勤時間帯にはエレベータが混雑して、なかなか下りられないし、ちょっと買い物と思っても、平面距離は近くても、移動距離は長くなるので、意外にめんどうになりがちです。高層階に住むと、出かける頻度が減るという調査もあり、住環境として果たして良質と言えるのかは、簡単には言えません。人間は順応性が高い生き物なので、高層住宅という環境にも次第に慣れて、本来の生活が営めるようになるのかもしれませんが、果たしてどうなのか。高層マンションができはじめてまだ歴史が浅いので、結論は出せないと思いますが、個人的にはあまり住みたくない感じです。

もうひとつは、再開発やニュータウンに常について回ることですが、同時期に似たタイプの世帯が一気に入居するために、高齢化も同時に進行して、30?40年後に高齢者比率が高くなって問題を抱えるという点です。多摩ニュータウンや横浜や川崎の西に広がるヒルサイドと呼ばれる地域では、かつてのニュータウンが老朽化し、高齢化によって生活が維持できなくなる事態が起きています。できたころは緑に囲まれた田園都市として歓迎されたのですが、今は問題のほうが多い。

これら、かつてのニュータウンは、郊外立地で、駅まで徒歩は無理、バス便も、当初はあったものの、次第に住民が減ったり利用が減って(定年になる人が増えると、通勤利用が激減する)、バス路線が廃止されると、陸の孤島状態になってしまいます。また、住民も世代交代が起きずに、子世帯がより便利な街に出て行ってしまうと、高齢者が飛び飛びの住戸に生活することになり、独居高齢者が増えます。こうなると、孤独死が起きるのは時間の問題で、ニュータウンでは孤独死をどう防ぐかが大きな問題になっているのです。

コンパクトシティでは、立地が駅前なので、人口にかかわらずバス路線が廃止されて移動手段を失うといったリスクは少ないでしょう(鉄道が廃線になる可能性はありますが)。駅近くなら、建物の築年数が経過しても、人気は保ちやすいので、世代交代が起きて街が極端に高齢化することはないかもしれません。

しかし、立地が半端なことが気になります。武蔵浦和は新宿から40分、大宮に10分なので、東京にも十分通勤圏ですが、最近は若い世代を中心に、東京でも山手線の内側に住む人が増えています。電車がなくなってもタクシーで帰れるほうが、家賃が高くても結局安くて済む、と考える人が多いわけで、そうなると、武蔵浦和は「けっこう遠い」街になります。同じように川崎の武蔵小杉も渋谷に20分、大手町に35分。これから日本全体で人口が減り、都心でも住宅が余ることを考えると、30年後には、今のニュータウンのように高齢化が進み、街づくりが失敗する可能性もあります。

結局、また同じような失敗を繰り返すことになるのでしょうか。
その可能性は十分あると思います。
ではどうすればいいのか?

ひとつは、コミュニティをしっかりつくることです。
これについては、知恵市場無料版に書いているので、こちらを参照してください。

人は、やはり人間関係が気持ちがいい場所に行きたがります。旅行でも同じで、旅先で出会った人が印象的だったり、親切にされたり、一緒に何かをした記憶があれば、また行ってみたくなります。あのとき会ったあの人にまた会いたくなるのです。住まいではもっとその傾向は強く、地元意識があれば、街を離れたくなくなります。地元意識をつくる大きな要素が人であり、子どものころから一緒に育った友だちや、近所のおじさんおばさんが一緒に年齢を重ね、今も共に生活していると、離れがたくなるのです。

特に「祭り」は重要で、恒例のイベントを協働で実行していると、習慣になると同時に、それがそこに住む大きな理由になるのです。新しい住民と旧来の住民が早く馴染むきっかけにもなり、街づくりの基本になるものと位置づけられます。

ふたつ目は、街を常にリニュアルするしくみを取り入れることでしょう。この場合のリニュアルは、商店や飲食店を常に新しくすることを重視するということです。店は事業が成り立たなければ、閉店してしまいます。その時に、「なくなったんだからしょうがない」と考えずに、空きテナントを放置しないよう、街の住民が協力することが重要です。次の店が決まるまで、イベント会場にしたり、期間限定の店を住民がつくったりするなど、とにかく店を閉じないようにしながら、次の正式なテナントが入るまで住民や他の商店が支えるのです。

当然ですが、テナントオーナーは、これに協力するというか、積極的に住民や周辺の店主に働きかけて、利用してもらうよう、努力する必要があります。次のテナントが決まるまで、無償で住民に貸し出すことをルールづくりするなどしてシャッター店舗がないように努力するのです。

シャッター通りという言葉が生まれて久しいのですが、これも1軒がシャッターを下ろしたままにしたことから始まります。せっかく新しい街づくりをしても、またシャッター通りになっては意味がありませんし、その可能性は常にあると考え、店を「使い続ける」しくみを街に組み込むことが重要です。

武蔵浦和の高層マンションがあった場所は、かつては戸建て住宅が並んでいたそうです。再開発で立ち退き、マンションに戻ってきた人もいるでしょう。まさにコンパクトシティへのつくりかえです。であれば、なおさら今度は、30年で終わることなく、100年後も快適に生活できる街をめざして、コミュニティ機能や商店が絶えないしくみなど、ソフト面の充実を図るべきです。知恵が必要だと言うことです。

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