(by paco)425ノリピーの社会復帰をどうするか?

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(by paco)コミトン147号で「薬物使用はなぜいけないのか?」というテーマを扱いました。今週は、その延長線ということで、薬物使用で有罪になった場合の社会復帰について考えます。

酒井法子も高相祐一も押尾学も起訴されて、保釈されました。罪状は認めているようなので、有罪になる可能性が高く、初犯、反省しているとなれば、執行猶予がつく可能性も高いでしょう。ということは、このまま在宅起訴されて、判決後、そのまま執行猶予の身で「日常生活」に復帰することができます。

では、彼らはどのような「日常」に戻ればいいのでしょうか。

僕はテレビを見ないので、「世論」というのがどうなっているかよくわからないのですが、よく聞いているJ-WAVEでときどき出てくる意見やネットに載るような意見では、厳しい見方が多くて、二度と芸能界には復帰させるな、甘すぎる、という意見が目立ちます。

実際、芸能界はこれまでも薬物犯罪が繰り返されて、そのたびに犯人は社会復帰の先として芸能界をめざし、実際、けっこう多くの人が芸能界に復帰しています。これを「甘い」と見て、二度と復帰させるなという意見が出てくるのだと思います。

僕自身は、今回の件で余罪がなれば、基本的には条件付きで賛成です。

まず、厳しい意見の背景を考えてみましょう。芸能人は有名だからちやほやされている、社会をなめているし、自分は特別だと思っているから、薬物に手を出す。一般社会人なら有罪にならなくても、起訴されれば解雇されるのは当然だし、いったんクビになればそう簡単に元の会社には戻れない。悪いことをしたのだから、厳しい制裁を受けるのは当然だ……。

しかしこの意見の中には、芸能人に対する「特別に好意的な思い」が、一転して「とんでもなく悪いやつという嫌悪感」に反転してしまうという人間の心理があることをまず指摘しておきましょう。これは芸能人に対するだけでなく、よくあることです。離婚する男女はしばしば憎しみ合いますが、もともとは愛し合っていたことがあるはず。深く愛していればこそ、憎しみになったときにも深い。もともとの他人同士なら、距離がありますから、気に入らなくても深く憎しみの感情を持つより前に、遠ざかってしまうはずです。愛と憎しみの鏡像関係は、芸能人に対する感情に限ったことではないのです。

このような構造を取り去ってもなお、人々の間には強い懲罰感情があるものです。悪いことをしたのだから厳しく処罰すべきだ、という意見は、特に被害者が存在する犯罪では顕著で、家族を殺された遺族は犯人を殺してやりたいと思い、周囲もその気持ちに理解を示してしまうのが、「自然」だと言えてしまうほど、共有されています。しかし、人間社会が採用してきた方法は、被害者や遺族の感情と、社会的処罰を切り離すという考え方でした。

もちろん、それには理由があります。江戸時代は武士に限って敵討ちが認められてきました。武士同士が殺し合いになり、一方が死んだ場合、死んだ者の家は取りつぶしになり、家族は浪人となって路頭に迷います。殺し合いに負けたのは戦う者、武士として不名誉なことなので、家の断絶という制裁を受けるのです。しかし、残された遺族が殺した相手と戦って相手を殺せば、仇討ち(あだうち)成功となり、断絶した家は復興する決まりでした。

しかしこのしくみでは、さらなる仇討ちが企図されて、仇討ちの連鎖が起きてしまいます。そこで、「仇討ちの仇討ち」は禁止でした。

と言うことを見てみると、武士のような「人殺しが本業」のひとでさえ、殺すのも殺されるのもルールがあり、厳しくコントロールされていて、やられたからやり返す、という無秩序な殺し合いは時代を下るにつれて規制されていったのです。

やられた程度より、処罰の方をゆるくし、犯罪が次の犯罪を生まないようにする工夫を、人間社会はとってきました。処罰の決まり事は、確かに犯罪を抑止し、思いとどまらせる力がありますが、あまり厳しい処罰にすると、処罰の結果さらに犯罪が増えてしまったり、制裁が厳しすぎるあまり、犯罪を犯した者が社会のどこにも居場所がないという事態を招いてしまいます。社会から犯罪者を亡くすつもりが、犯罪者を増やしたり、社会からはじき出された犯罪者が裏社会を構成する事態になり、かえって社会が不安定になることを、人間は学んできたのです。

罪に対して厳しい態度で臨む(逮捕し、処罰する)ことは社会を安定させる側面と、不安定にさせる側面があり、どのようなバランスをとるべきかは、そう簡単に決められるわけではありません。時代によっても変化していて、時代が新しくなるほど、厳罰主義は薄れ、社会復帰させる方向になっているというトレンドは、十分つかんでおく必要があります。

今回のノリピー事件のような薬物犯罪は、「被害者」がいないという点でも、この「バランス」が難しい犯罪です。被害者感情に鑑みて、というロジックが使えないので、厳しくするにしても、甘くするにしても、ロジックが立てにくい。だからこそよけいに、「もっと厳しい制裁を!」という感情論にも火が付きやすいという構造もあるわけです。

ところで犯罪者に対する制裁には、法律上の制裁と社会上の制裁があります。裁判は法律上の制裁を決めるもので、今回、執行猶予が付くなら、そういうレベルの犯罪だという判断をしたということになります。一般からの意見が「覚醒剤所持の刑の規定が軽すぎる」という意見は、意外に聞かないというのも注目しておく必要があるでしょう。裁判で懲役数年、執行猶予3年、というような判決が出るという意見が法律専門家から出ても、「それは甘すぎますね、もっと厳しくしないと」という意見は、あまり聞きません。法律上の制裁自体は、「まあそんなものか」という合意が市民の間にあるのかもしれません。中国はじめ、いくつかの国では、麻薬の所持や売買は死刑に相当することもあるのですが、覚醒剤を使ったノリピーを死刑にすべきだという意見は、出てきません。

このような点から考えると、ノリピー事件での「厳しい制裁」とは、社会的制裁を甘くするな、と言うことをいいたいのでしょう。社会的制裁なら、自分の感情次第で厳しめに主張することもでき、この事件を自分の社会的不満のはけ口にしようという考えが下支えになっている可能性もあります。

というあたりまで考えてきて、厳罰を望む声自体にはそれほど合理性がなく、改めて「何のための厳しい制裁」なのかを、考える必要があります。

まず考える必要があるのは、二度と同じような犯罪を犯さないように、十分反省してもらう、ということがあります。この意味では、確かにかんたんに今までと同じような「ちやほやされる芸能人」に戻れてしまうようでは、反省しないでしょう。自分は甘かった、クスリをやっても許されるとどこか思っていたのは絶対に間違っていた、芸能人だからこそ、やってはいけなかったのだとはっきり自覚する必要があるでしょう。

そのために、ノリピーが二度と芸能界に復帰できない方がいい、というような意見もありますが、それが効果的なのか? 今回、彼女がこれだけは注目され、激しいバッシングを受けているのは、彼女が有名芸能人だからです。もしごく普通の主婦や会社員なら、近しい人以外には知られることもなく、もちろんメディアに登場することもなく、会社にはそっと退職願を出してやめても、わからないかもしれません。さすがに会社に居続けることは難しいでしょうが、クビ(解職)になるかどうかは、場合によりそうです。まして主婦なら特になんの変化もない。

再就職も、それほど難しくないでしょう。犯罪歴を隠して履歴書を書いても、それを興信所を使って調べる会社ばかりではないし、うすうすわかっても薬物所持は、詐欺や窃盗ではないので、仕事には大きな影響がないと考える採用担当者もいそうです。仕事ができる人なら、あるいは正社員にこだわらなければ、再就職はできるでしょうし、そのまま社会に復帰することもできるでしょう。

ノリピーは芸能人であるがゆえに、思い社会的懲罰をすでに受けているという言い方もできるし、顔も氏素性もわかっているだけに、そっとほかの会社に再就職することもできません。芸能界以外の職を得るのは、かなり難しいという状況に追い込まれています。

一方、芸能界に復帰すれば、テレビや映画に出るたびに、このヒトは悪いことをしたのだという目にさらされます。それに堪えて反省の弁を言い続け、周囲が監視し続ければ、芸能人以外のひとが薬物所持で有罪になったのと比べても厳しい制裁と言えそうです。

「ノリピーに厳しい制裁を」という人は、芸能界からも去って、かといって一般の会社に入ることもできず(入っても普通の仕事のキャリアもなく、まともな仕事はできないでしょう)、アルバイト・パートとして、レジ打ちでもするべきだという考えなのかもしれませんが、面が割れている彼女の場合、それも実際には不可能です。報道陣やパパラッチが集まってしまい、店は商売にならなくなり、彼女は解雇されてしまうでしょう。

ノリピーは引退し、当面は引きこもりの生活を続けて、半年や1年後にほとぼりが冷めたら、介護や障害者向けの仕事のような、社会奉仕に近い仕事について反省すべき、というような意見もあります。しかし、本人が進んで希望するならともかく、そうでないのにこの先ずっとそういう状況に置かれるべきだというのは、ほかの薬物所持犯罪者が受ける制裁と比べて、あまりに重いと感じられます。そういった生活を数年続けてからなら、芸能界に復帰してもよいという意見もありますが、こうなると、「芸能界に復帰できる」というのがメインメッセージになり、その条件を検討していることになります。永久追放(あるいは10年以上とかの追放)なのか、条件を満たせば復帰してもいいというのは、かなり意味が違います。永久(半永久)追放は、ほかの同様に犯罪者と比べて、過剰に重い制裁です。

こう考えてくると、この場合、適切なイシューは「芸能界復帰のために、どのような要件を課すべきか、そのような要件が妥当か?」という点になってくるでしょう。もちろん、あくまでもノリピー自身が復帰を望んでいる、ということを前提として、ですが。

芸能人にはやはり旬があり、あまり長期間ブランクがあると、実質的に永久追放と同じことを意味してしまいます。復帰を認めるなら、その時期は半年から、長くても1年半程度になると考えたいところです。その間に、何をしてきたら、彼女の復帰は認められるのか。

米国では、芸能人の、比較的軽微な犯罪に対しては、社会奉仕の判決が下ることがよくあります。ゴミ拾いやホームレスへの炊き出し、難民の援助などを一定期間行うことで、罪をすすぐわけです。何をどのぐらいが適当かは難しいでしょうが、芸能プロダクションが身元引受人になり、さまざまなひとと意見交換知り事例を集めて、妥当なプログラムを作り、それを公表した上で、実際に行い、さらにそれがメディアを通じて人々の目に触れることで、なっとくかんが得られるようにする。

さらに、薬物使用についてどう考えるのか、やめられるのかということについて、講演や執筆を行い、その収益を全額寄付するなどもよいでしょう。

プログラムに従い、かつそれを「やらされ」ではなく、主体的に取り組んでいることがわかれば、具体的な芸能界復帰のプランが公表され、ゆっくりしたペースで再開する、という方法がよいのではないかと思います。

実は、ほかの犯罪、たとえば貧しさゆえの窃盗などの場合、裁判のときに「刑に服したら私が身元を引き受け、二度と犯罪を犯さないよう、面倒を見ます、仕事は私の会社で雇用します」というような証言をしてくれる人がいれば、刑が軽くなったり、執行猶予が付くこともあります。芸能界が受け入れる気があるなら、受け入れるプロダクションがこの役割を果たし、プロダクションの期待にノリピーが添わない用意なら、ほんとに永久追放、という進め方がよいのではないでしょうか。

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犯罪を犯したひとを、死刑にしたり、社会的な制裁によって実質的に社会から放逐してしまうというのは、包摂性の面で、よくないことです。社会からはじき出しておしまいにしようという発想からは、よい社会は生まれないでしょう。犯罪歴があるひとを、どのような要件で受け入れていくか、社会復帰のための知恵を社会自身が持たないと、犯罪が犯罪を予備、復讐が復讐を呼ぶ社会にもどってしまいます。

ノリピーの事例は、日本社会の包摂性の形を考え、実践するためのよいきっかけにできるとよいと思います。

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