(by paco)子供を持った日本人のほとんど99%が子供に言っていること。それは「他人に迷惑をかけなければ、何をしてもいいよ」ということだと思います。
どうですか? あなたに子供がいれば、この言葉、言ったことがないですか? 子供がいない方は、将来子供ができたら、いいそうですか?
この言葉は、子供に対して、大人になるための要件を示していると考えられます。子供のうちは、まず「他人」が誰か区別が付かない。まず自分という存在を理解し、最初の家族である親や姉妹を認識し、その対比の中で、家族以外の他人を区別できるようになります。次に、迷惑とは何かをつかむという段階があり、そののちに、迷惑をかけないように自分をコントロールすることができるようになる。
このぐらいできれば、大人とは言わないまでも、一定の自由を享受してもいい、概ね一人前の人間だと思われるので、日本の大人は「他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」というのでしょう。
実は、このおとなの要件は、あまりよい要件ではない、もっというと、こんなことを子供に言ってはいけないのだというのが今週のお話です。いってもいいのですが、これがもっとも大事なことであるかのように、繰り返し言ってはいけません。
おとなの要件はもっとほかにあるのですが、その話はちょっと後にして。
「他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」という言葉なぜダメなのか。この話をいくら強調しても、娘が使用済みパンツを売ることや援助交際をすることを止めることができません。買春を止めることもできないし、麻薬や薬物をやることもとめらません。AVに出て、誰かとのセックスをビデオに撮らせて売ることも、止めることができません。
なぜか? 援助交際も麻薬も、他人に迷惑をかけていないからです。一応、麻薬は、法に触れますから、迷惑と言えなくもありません。では違法ぎりぎりの脱法ドラッグや100円ライターのガスの吸引、通常の処方薬を大量に摂取する「オーバードーズ」などを防ぐことができません。誰にも迷惑をかけていないからです。
親である自分が不愉快なんだから、「親に迷惑をかけている」のではないかと思うかもしれません。でも親は他人ではないし、親に迷惑をかけるという気持ちが少しはあるので、子供たちは親にはしゃべりません。他人に迷惑をかけていないし、親にはわからないようにやれば、親の言いつけをしっかり守っていることになる。自分はいい子。これが10?20代の若者の感覚です。彼らは親の言いつけをきっちり守っているいい子なのです。そして、それゆえに、売春もドラッグもどんどん増え続けているし、AV業界に自ら希望して入ってくる女性が途切れることがありません。最近のAV女優を見ていると、雑誌のモデルとしても十分通用しそうな顔とスタイルの子が以前より多く、表情もいたって明るいことにびっくりします。性が開放されて抵抗がなくなった(日常になった)ことに加えて、親にバレさえしなければ、自律のためのお金を難なく稼ぐことができるという点で、AV女優は優れた仕事というように映っているのかもしれません。
では、「他人に迷惑をかけてはいけない」という代わりに、どんなことを大人になることの要件として示すべきなのでしょうか。
僕がこれが一番いいのではないかと思っているのは、「自分のことをきちんとできるようになった上に、自分以外のことも少しずつできるようになること」ということです。
「自分のことをきちんとできる」ということは、仕事をして自活するということがイメージされますが、必ずしもそう考える必要はないでしょう。その子の年齢とポジションなりの「自分のこと」が親との間で合意されればいいのだと思います。高校生なら経済的な自立は必要ないでしょうし、大学生でも学びに専念するために経済面は親に支えてもらうのはありだと思います。親も、「早く経済的に自立する」ことが子育ての目標でもないでしょう。その子の状況キャパに合わせて、そのときどきの「きちんと」が合意されればいいと思います。逆に、「遊んだものを片付ける」ことはもっと早くからできることでしょうが、これも5歳ならできるというべきなのか、10歳までにできればいいのかは、その子のキャラと親の考え方で決めればいいと思います。しかし、大人になるまでにはできるようにならなければならない。
この定義によると、パパが土曜日に料理をして、片づけはママ任せでいいと考えるのは、「いかがなもの」でしょうか? 料理は、食材の料理から後片付けまでを含むものです。後片付けをしないで閉店するレストランはありません。料理は女性の役割で、それをたまたまがんばって男がやったのだから、片づけぐらい女性がやるべき、と考えているのかもしれませんが、こういう考えが合意されているならいいと思いますが、そうでないなら、一人前でない甘えた考えだと思います。
ちなみに、僕は料理をやりますが、なぜ料理をするのですかとよく聞かれます。理由は簡単です。自律した人間なら、自分の食べるものは自分でつくれるのは当然のことで、妻にこういう重要な役割を任せきりにするのは、人間として一人前ではないと感じるからです。僕の妻は、逆に、僕に食事についての仕事を任せているので、一人前ではないと言えますが、本人が何を一人前を感じるかはいろいろあっていいと思うし、僕が考える一人前と彼女の考える一人前は違うのでしょう。もっとも、妻の場合は、一人前でありたいとも思っていないと思いますが。
子供に「お手伝いをさせましょう」といいますが、この言葉も僕は嫌いです。子供にやってほしいことは、「手伝い」ではなく、「自分のことをきっちりやる」ことです。食事の前に手伝うのは、出したおもちゃが片付いてから。もちろん、手伝ようにいうことはありませんでした。逆に、小学校高学年ぐらいからは、食卓に食器を出すことなどはやってもらいました。これは「手伝い」ではなく、「自分の食事を自分で用意する」という考え方です。この年齢で日常的に料理をつくらせるのは無理があるので、料理は僕がつくる代わりに、自分の食事の用意を自分でする。とはいえ、家族ですから、自分の食器だけ出すのではあまりに味気ないので、テーブルセッティングは彼女にやってもらいました。あくまで自分の食事の用意ですから、「手伝い」といったことはありません。
人が生きていくためには、様々なことが必要です。衣食住を用意し、維持する。この中で子供が最初にやることは、「衣」でしょう。自分の服を自分で用意する。そして片付ける。洗濯は今は機械がやってくれるし、個人ごとにやるのも無駄が多いので、親がまとめてやりましょう。でもたたむこと、引き出しにしまうことは、早くからやってもらうようにしていました。さらに、服を選ぶことも、早くからやらせました。親が服を選んで出すのではなく、自分で今日の服を考え、親と相談しながら(寒くないか、暑くないかなど)、自分で選ぶ。その先には、自分で服を買うということも早くからやってもらいました。好きな拭くときや推服の違い。見た目のよさと気候にあった服選びのバランス。年齢相応の服を選ぶこと、そして値段とのバランス。さらにそれを買う店の選び方。これはかなり早くからできるようにしました。高校生の今では、自分の予算内で服は自分で買い、自分で管理しています。
僕の年齢より下の人たちは、男女とも自分で服を買うのが当然かもしれませんが、男性の中には下着は妻が買ったものを黙ってきている人もいるかもしれません。僕の親の世代は、服選びからほとんど妻任せという人も珍しくありませんでした。これも、一人前の男としては、みっともない感じ。自分の服を自分で選び、古くなったら買い換える、ということができて、大人になれます。
「他人に迷惑をかけないなら何をしてもいい」という前に、「自分のことを自分でやる」ことをしっかり親がリードし、できるようにしているかどうか。もしあなたが、子育て中なら、ぜひ振り返ってみてほしいと思います。もちろん、自分自身についても。
さて、自分のことができればそれでいいというわけではありません。
大人というのは、自分のことができた上に、人のことをフォローできる人のことをいいます。子育てというのは、子供という、自分で充分にできない人の世話をすることを含んでいるわけですが、自分プラス子供の両方をやるという意味で、まさに大人だからできることです。
自分のことができた上で、どれだけ人のことをやってあげられるか。会社員なら、自分の仕事をきっちりやった上に、後輩や部下がやったことのフォロー、指導ができてはじめて一人前(大人)です。やれてあたりまえなのです。にもかかわらず、後輩の指導を面倒がる大人がときどきいるのが嘆かわしい限り。「大人」ではありませんが。部下の仕事が不十分なことを、面倒がる上司はどうでしょうか。部下が大人なら、不十分な仕事しかできなかったことは、反省すべきですが、一方上司は大人なら、部下の足りない部分をやるのは当然のことです。フォローできることこそ、大人として満足感を感じるべきことです。
こう考えてくると、若い人が大人に「迷惑をかける」ことは、決して悪いことではないことがわかります。若い人にとっては、できれば「迷惑がかからない」ようにできる方がいいわけですが、大人から見れば「迷惑をかけられて、それを受け止められてこそ大人」なのですから、迷惑は決して忌避すべきことではないのです。
もちろん、あまりに不注意で取り返しの付かないことをやってしまったというような「迷惑」までも「おおいに受け止めるべき」というつもりはありませんが、迷惑一般を「かけるべきではない、かけられるのはイヤだ」と考えるのは、大人としてどうよ、という感じがします。迷惑をかけてしまう若い人(子供)と、それを受け止め、フォローできる大人がいてこそ、社会はそれらしく機能する。その意味でも、「他人に迷惑をかけない限り、何をしてもいい」という子育ての常套メッセージは、意味がないことがわかります。
僕が会社を作ろうとしたときに、お世話になっている公認会計士の藤好さんがこういいました。「経営者というのは、個人のお金をきちんと管理できる人がなるもので、二つ分のお財布をちゃんと管理できると見なせる人を、経営者というんですよ」。あ、そうなのか……。いくつになっても、お財布の管理は苦手です。苦手でも、なんとかひどいことにならない程度にちゃんとやらなければならない。それが僕が会社の経営者ということの意味なんだと知りました。
お金の管理は今でも苦手で、綱渡りが多いんですけどね。
あなたは、自分のことがきちんとできていますか? さらに、他の人をフォローできていますか?
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