(by paco)先日、鉄鋼業界の環境キーパースンと会って意見交換する機会があり、その時に感じたことを書きます。
鉄鋼業界が最近主張しているメッセージとして、「セクター別アプローチ」という考え方があります。
今、世界の温暖化防止のフレームは、国ごとに削減わくを決める方法です。日本が6%マイナスというのも、このフレームに基づいて、京都議定書で合意されたことと言うのは、ご存知の通りです。
これに対してセクター別アプローチというのは、国ごとではなく、産業ごとに世界を横串にして、産業の特性に合わせた削減目標を持とうというものです。鉄鋼業界は世界の大手が集まって方針を決める。発電業界も発電業界で、重工業はその業界で、というやり方です。
日本は、ポスト京都議定書の国際的な議論の中で、このセクター別アプローチを主張しているのですが、世界の支持は得られていない状態です。なぜでしょうか?
セクター別アプローチのなかで鉄鋼業界のこの会社が考えているシナリオを聞くと、それ自体は一定の説得力があり、努力不足とはいえないぐらいの目標を持っています。技術開発にも意欲的に取り組み、その開発は単独ではなく、世界の中核的な鉄鋼会社がコンソーシアムを組んで研究・投資しようというもので、なかなか意欲的なものです。
鉄鋼業の場合、鉄鉱石から鉄をつくるのが基本(高炉)なので、酸化鉄を還元するのが基本的なプロセスです。Fe(鉄)についているO(酸素)をC(炭素)で引きはがして、CO2にして、Feを単体にする。こうして鉄が得られます。地中から得られる鉄鉱石の質によって、一定量のFeを得るためにCO2がどれだけ発生するかは、ケミカルに(化学的に)決まっているので、いくらがんばっても、これ以下に抑えることはできません。
これはたとえばエンジンも同じで、燃費をよくするためにエンジンに投入するガソリン量を減らそうと思っても、無意味です。1mlのガソリンが完全燃焼するための空気の量はケミカルに決まっていて、それより少なくしても、空気が余るだけでかえって効率が悪いのです。この比率を理論空燃比といいますが、理論空燃比で燃焼させることが、エンジン屋の最も重要な目標になるわけです。ガソリンからもっともたくさんエネルギー取り出すためには、このときに出るCO2量が下限というわけです。
同じように、鉄鋼業でも以下に理論的に最適な還元プロセスを実現するかが削減のポイントになり、そのためには今のようなコークスを使う方法がいいのか、またコークスを使うにしても、石炭をコークスに帰るときに出る水素も合わせて反応に使う方がいいのか、それとも、コークスではなく、アルミのように電気を使う方がいいのか(電気は原子力でつくる)、木炭を使う方がいいのか。いろいろな研究開発に、世界各国の鉄鋼メーカーがトライすることで、もっとも効率的な還元プロセスを開発することを目指している、というわけです。
この考え方そのものは、科学・光学的だし、合理性も高いと思うし、技術開発もどんどんやっていくべきです。また国際的なコラボレーションで開発速度を上げることにも賛成です。
しかし、全体としてみると、セクター別アプローチがこれからの温暖化対策の主流になるとは思えません。
何が問題なのでしょうか?
セクター別アプローチに対して、今世界の環境キーパースンがやろうとしているのは、国別アプローチはそのままにしながら、個別企業に目標や義務を課し、削減量が多いところと少ないところが互いに削減量をとり取引するという、「カーボンオフセット」の考え方が主流です。この考え方は、京都議定書の中にも盛り込まれていて、国と国の間、国の中の企業間で取引を行って、それぞれが義務を果たす方法です。国をまたいで業界単位というセクター別とは大きく異なります。
このタイミングで、日本がセクター別アプローチを主張することについて、世界ではどう見ているかといえば、なんとも場違いな、いまさら何をいうの?というような白けた感じです。アプローチそのものには一定の合理性があるのに、なぜわかってもらえないのか。鉄鋼業界ではそのこと自体が理解できず、「今度は京都の二の舞にはならない」と戦闘モードという感じです。
なぜこのようなギャップが生じるのでしょうか。
ひとことでいえば、場の状況読めていないというか、自己中心的なお子様発想なのです。
鉄鋼業界がセクター別につながる議論を始めたのが、2003年です。その後、数年かけて今の長期見通しを確立してきました。これまで世界の企業ときちんと話を詰めてきたし、支持も得ているし、合理的で可能性が高い目標だと豪語するのですが、果たしてそうなのか。
京都会議は1997年です。この時点までに世界では企業も含めて温暖化防止のわく組についてさまざまな議論をした上で、京都議定書のわく組(国別)が決まりました。国別アプローチが最も優れているとは言い切れないものの、多くの困難を乗り越えてこの方法が選ばれたのです。また国別アプローチの矛盾を少しでも解消するために、CDM(排出権取引)のしくみが記載され、このわく組で進むことが確認されたのが京都議定書でした。
この議論の中に、鉄鋼業はほとんどコミットしておらず、ただただ「CO2削減なんて非現実的」「環境オタクが騒いで、現実離れした決めごとをした」「責任期間の2008?2012年なんてずっと先の話」という感じで、高をくくっていたか、無視していたのです(という話を、業界の当人から聞きました)。
しかし実際には米国の離脱で危機に瀕したものの、ロシアの批准で議定書は発効しました。発行するかどうかにかかわらず、議定書の趣旨に沿った削減努力が開始され、欧州を中心に、米国でも州単位では、積極的に削減努力が開始されたのです。
日本でも、トヨタがプリウスを発売したのが1998年であり、ソニー、リコー、エプソンといった企業では、90年代中葉に環境経営宣言などがだされ、具体的な目標設定が行われ、実績を積み重ねてきたのでした。
これに対して、鉄鋼業界が実質的に議定書の議論を始めたのが2003年。この時間的なギャップは致命的です。そして「遅れた」ことは彼らも認めるところです。
2005?6年ごろになって、セクター別アプローチがよいという議論になってきたようですが、この時点での世界から見てどう見えるかと言えば、こんな感じでしょう。
京都会議前の1996年頃から、世界ではCO2削減のわく組の議論をしてきた。その10年も後に、遅れて鉄鋼業界がやってきた。世界はすでに国別アプローチで動き出していた。
たとえてみればこんな感じです。グラウンドにみんな集まって、サッカーをやろうか、バスケとやろうか議論したのが1996年頃。1998年にはサッカーをやろう、ルールはこうね、決めて、実際にお試し試合が始まった。そこには、欧米だけでなく、日本の企業やNGOも入り、中国やインド、アフリカ、南米の代表も観客や選手の1人として参加し、練習試合が始まり、うまくいかないルールの変更も行われてきた。ほぼ、このルールで行けるかなと決まりかけてきた2005年頃、あとから北日本の鉄鋼業界が、「オレたちは野球をやるよ、だって野球のほうが絶対おもしろいし、観客も金も集まるよ」とグラウンドの真ん中でやり始めた。サッカーをやっていた先行組からはどう見えるか? わがままっ子かオコチャマにしか見えないでしょうね。
セクター別アプローチがまったく合理性を持たないとか、国別の方が圧倒的によいとか言うつもりはありません。それぞれにいい面もあり、悪い面もある。おそらく国別の方が合理性が高いと思いますが、決定的ではない。
しかし、もし鉄鋼業界が本当にセクター別がいいと思うなら、10年前、1996年頃の、まだなんのゲームをやるか決まっていない段階で議論に加わり、これがいいと主張すべきだったのです。そのタイミングでは完全に無視を決め込み、あとになってから別の主張をすると言うのは、無理がある。
それでも、やってはいけないと言うつもりはありません。それが合理的だと主張するなら、徹底的にやってもいいと思います。でも、それをするには、理論武装が自分たちの業界に限定されすぎて、他業界やビジネス以外の領域まで渡る、大きな世界観を描くことはできていない。またそこまでの努力をしようとしているとは思えない。
結局、タコツボの中で自分たちの絵を精緻にすることばかりに力を入れて、「この絵をいいと言わないなら、遊んでやらないもん」といっているような感じに見える、ということです。これでは世界の環境リーダーからは見向きもされない。
このような状況を見るに付け、日本の、第二次世界大戦の敗戦の構図を思い起こします。
日本の敗戦にはいくつかの原因がありますが、ここでは二つをあげておきます。ひとつは植民地政策の面、もうひとつが軍事力の面です。
帝国主義も末期に入った20世紀では、イギリスのインド経営に代表されるように、宗主国が直接植民地を支配する方法が手間と金がかかりすぎることがわかり、独立させて傀儡政権を作らせる方針に変わりつつありました。露骨な切り取りはやめ、民族意識を高めながら、おいしいところだけをうまくいただく。そういう方針の中で、南米各国が独立し、中東も独立の方向に動き始めました。日本はそういう動きが今ひとつわかっていなかった(ピンと来ていなかった)のでしょう。満州や中国で露骨な領土切り取りに当たるような戦いを始めた。いわば、先に来ていた人たちのルール決めやその変化を無視して、あるいはわかっていながらも、「おまえたちだってちょっと前までやっていたじゃないか」という解釈で、独自のルールを作り(=大東亜共栄圏)を作り始めた。日本が満州事変で帝国主義的な切り取りを始めたとき、イギリスのリットン調査団が「これは侵略だ」とする調査報告を国際連盟に提出し、日本が連盟を脱退するきっかけになりますが、報告書をよく読むと、「そのやり方ではなく、別のやり方でやろう」というメッセージが隠れていたのです。そのメッセージが読み取れず(国際政治の感覚が薄弱で)、独善的な行動をとって孤立していくのです。
軍事力の面でも、似たようなことが言えます。海戦の戦い方が変わっているのに、大艦巨砲主義で大和や武蔵をつくったり、陸軍では戦車や装甲車が主流になってきているのに、歩兵にこだわったりと、時代について行けていない打ち手が多くなります。航空戦が中心になる先見はあり、優秀な戦闘機や空母はつくったものの、中心には仕切れなかった。局地戦の勝敗より、十分な平坦戦を確保して総力戦で勝っていくやり方に変わっているのに、会戦1発の勝敗にこだわった。
こういう時代が読めないところ、変わっているルールについて行けていないことによる敗北は、今の鉄鋼業界や電力業界にも見て取れるところです。
今ならまだ十分キャッチアップ可能なタイミングですが、このままだと世界との戦略の差がつくばかりです。
世界の、未決の部分にリーダーシップを発揮するのはすばらしいことですが、すでに動き始めている部分を変えようとすることは、リーダーシップではない。未来観、世界観が必要なときに、世界観のよりどころがずれている。これは、なかなか悲しい事態です。
さて、そんな大手企業の動きとは別に、ただいま勉強会実施中の「エナジーグリーン株式会社」は、世界の対局を見据えながら、未来を戦略的に想像するためにポジショニングされた会社です。ぜひ、ビジネスコラボレーション、増資などにご協力ください。
3月17日(火)、最後の勉強会があります。
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