(by paco)390b白川郷という世界遺産(1)

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(by paco)今週は2本立てです。もう一本の記事はこちらです。

週末、白川郷に行ってきました。名前は聞いたことがあると思いますが、世界文化遺産に登録された、合掌造りというかやぶき屋根の集落です。

飛騨の合掌造りは、ちょうど1年前の2008年1月に高山に行って、見てきました。

▼飛騨高山の町並み→こちら
▼高山の古民家と山車→こちら

このときは、あと少し足を伸ばして白川郷まで行こうかどうしようかと思ってやめたのですが、今回は、その白川郷をターゲットに、ちょうど折良くやっている「ライトアップ」を狙って観光客してきました。

まず、合掌造りとは何かという話から書いておきましょう。三角のかやぶき屋根が特徴の大きな民家の名前ですが、特に飛騨地方のかやぶき屋根は、ほぼ正三角形の60度傾斜の屋根を持つことと、破風(はふ)がそのまま三角形の壁になっていることが特徴です。合掌造りを理解する前に、一般的なかやぶき屋根の民家を見てみましょう。

kayabuki.jpgminka5.jpg一般的なかやぶき屋根の民家の場合、さらに破風から傾斜した屋根が広がって、屋根の長を正面にして見ると、屋根のファサード(立面)は台形になります。


IMGP2356.JPGこれに対して、合掌造りはその名前の通り、左右の手のひらを指先だけ付けて手首に向かって広げたような屋根の形をしているのですが、指先のすきまにできた三角形の部分を破風と言います。合掌造りは、破風が三角形になり、屋根の長辺を正面にして見ると、屋根のファサード(立面)は長方形になります。

この形は、豪雪地帯で雪に堪えるための設計なのですが、雪がよく落ちるようにというよりは、雪の重みに堪えるようにこの形になったとされています。もうひとつの理由が、合掌造りの屋根裏の利用です。三角屋根が大きな合掌造りでは、屋根の内部に2?3層、1階と会わせて、4階建ての構造がつくれるのですが、2階から上は、養蚕や煙硝(火薬)などをつくる作業場になっていることが特徴です。雪に閉ざされる飛騨の山国では、冬の間の仕事の確保が大きな課題になっていて、養蚕や煙硝づくりで現金収入を得て、農業収入の不足を補っていたのです。

合掌造りは、大雪に堪えるという気候上の要請と、養蚕、煙硝づくりという仕事形態から生まれた住宅であり、飛騨地方の聞こうと生活に密接に関係があるということで、地域の生活文化そのものと言ってもいい、住宅です。そしてこの伝統的な地域文化の体現という合掌造りの正確が評価され、世界文化遺産の登録が実現したと言えます。

ちなみに、合掌造りは高山市あたりから北の飛騨地方を中心に、県境を越えて富山県の五箇山(ごかやま)まで、いくつかの集落が世界遺産に登録されています。白川郷は、この地区の一連の世界遺産を代表する、合掌造りの集落なのです。

さて、その白川郷ですが、どうやっていけばいいのかというと、大都市圏で一番行き易いのは名古屋圏から。去年の夏に開通したばかりの東海北陸自動車道でまっすぐ冨山方向に北上しすれば、150キロ少々で白川郷です。とはいえ、この東海北陸道は片側1車線、対面通行の高速道路なので、前に遅いトラックなどがいると、所要時間もストレスの面でもあまりよろしくないのですが、それ以前はたらたら地道を走らざるを得なかったことを考えると、雲泥の差です。

東京方面からだと、中央高速で松本ICまで行き、そこからR158で安房峠(あぼうとうげ)を超えて、飛騨高山を通過、高山の盲腸線になる無料高速道路を経由して、東海北陸道に入り、開通したばかりの区間を北上して、トンネルを10本くぐると、白川郷ICです。六兼屋からの所要時間は、高山まで3時間、その後1時間弱ということで、4時間行程でした。険しい安房峠ですが、真冬でも除雪がしっかりしていて、雪や凍結の区間は最小限です。

こうしてたどり着いた白川郷のようすはどうだったのか?

ひとことで言って、なかなか悪くない場所でした。いろいろ注文したくなる点はあるものの、全体としては悪くない。あらゆる意味で、世界遺産的というか、世界遺産というのは、こういうものだったんだなということがわかる場所という言い方もできそうな気がします。

合掌造りは、もともと、職住一致の地域の清潔形態がよく残され、それがその場の気候や土地の要件に密接にかかわりがあり、かつ他の地域とは違う独自性がある、というあたりが選定の評価軸になっていると思われます。そう考えたときに、今の白川郷は、合掌造りの多くが、みやげ物屋や飲食店、住宅資料館になっているのは、ある意味、現代の、そして世界遺産という「ブランド」がもたらした状況を、そのまま反映していると言えます。すでに日本では養蚕も火薬づくりも、農家の屋根裏でやる時代ではなくなりました。世界遺産登録もきっかけのひとつになり、観光客がたくさんやってくるようになると、地域の生活にとっての「職住一致」「気候にあった生活文化」も、変化していくことになります。それが合掌造りという「箱」を保存する方向に変化するなら、それはまさに「時代に合わせた正当な合掌造りの村」の形態だと言えるのではないかと思います。

合掌造りの村ということで、素朴な昔ながらの生活がみれることを期待して白川郷に行き、観光地化、俗化された集落の実態をみて、何か違う、世界遺産登録によって白川郷が壊れてしまったと、と感じる人もいるでしょう。しかし、世界遺産とは、生活文化そのものを未来に向けて残す(遺産にする)ためにブランドの使用を許可するという意味合いがあり、白川郷の変化は、白川郷の本質を残しながら、形態を時代に合わせたという意味で、とっても世界遺産的だということができそうです。

ということで、今週は白川郷のアウトラインを見ていただいた上で、来週、このあたりをもっと深めていきたいと思います。

白川郷の旅の写真はこちらから。
[写真館]白川郷、昼[写真館]世界遺産白川郷 ライトアップの夜景
[写真館]五箇山菅沼集落

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